医療での本当の「サービス」って何だろう?


 先日、近所のけっこう有名な肉料理の店にランチを食べに行った。

 店内にはピアノの生演奏が流れ、外には日本庭園が広がっている、そんな店だ。
 そこで僕たちは「ステーキランチ」を頼んだのだけれど、僕はオードブルのあとに出てきたステーキを見て驚いた。鉄板の上に、まるで焼肉みたいにほとんど生の肉が載って出てきたから。

「当店はセルフサービスになっておりますので、お客さまのお好みの焼きかげんでお召し上がりください」
 これを聞いて、僕はどうも釈然としなかった。別に、その場で文句を言ってゴネたりはしなかったけれども。
 まあ、肉そのものはそんなに悪くはなかったし、ランチだからこんなものか、とも思う。
 でも、やっぱりなにか腑に落ちなかったのだ。

「まあ、安かったしね」と言いながら帰ってきたのだが、僕には自分が納得できなかった理由はよくわかっている。
 そんな「セルフサービス」は、「サービス」じゃない、と感じたからだ。

僕たちは、ステーキ屋に何を求めているのだろうか?
 もちろん、素材は美味しい肉であって欲しいけれど、それと同じくらい大事なことは、肉の「焼き方」とか「焼き加減」だと思う。
 やっぱり、そういう「プロの肉の焼き方」なんていうのは、僕たちのような素人には真似できるものではあるまい。
 でも、この店は「お客さまの好きな焼き加減で食べられるように」という名目で、自分たちが「プロ」として違いを見せるべきところまで「セルフサービス」にしてしまっているのだ。
 そういうのって、寿司屋でネタとシャリを出されて、「お客さまのお好きなように握って召し上がってください」というのとか、ピアノコンサートに行ったら、舞台の上にピアノが置いてあって、「お客さまのお好きなように弾いてください」と言われるようなものではないだろうか。
 本当のプロなら「セルフサービス」なんかに逃げないはず。

もちろん「レア」とか「ミディアム」とか、だいたいの好みは反映されるとしても、「これが美味しい」という焼き加減の最大公約数的なものを料理人の判断で客の前に出すのが「最上のサービス」なのではないのかなあ。
 寿司屋でも、本当の高級店では「おまかせ」で頼むと、だいたいの予算や好みに合わせて、板前が考えてベストチョイスをして出してくれるものらしいし。

例えば、僕はパソコンやゲームを買うときには、店員さんの説明をほとんど必要としない。そういう自分が詳しい(と思っている)ものについては、自分なりの判断基準を持っているからだ。
 でも、友人に花束を贈るときには、僕は花屋さんに「5千円くらいで、花束を作ってください」と頼む。場合によって「なるべく豪華な感じに」とか「匂いがきつくなりすぎないように」なんていうリクエストを添えて。
 そういう、「自分には価値判断ができないもの」に関しては、プロの「サービス」に頼るしかないし、大概の場合、そうしたほうが自分で判断するよりうまくいく。
 まあ「誰に頼むか」というのは、大きな問題なのだけど。

 僕は最近の「インフォームド・コンセント」とか「患者の自己決定権」を重視する、という流れは、当然のことだと思っている。でも、その一方で、患者さんに説明すると「お任せします」とか「先生だったら、どうされますか?」という質問を受けることも多い。

 そして、「自己決定権」を声高に主張する患者さんのなかには、料理人でもないのに「お前の肉の焼き方は信用できないし、自分の肉なんだから、自分で焼く!」と言っているような人がけっこう含まれているような気がするのだ。
 ひょっとしたら、「説明不足」であることよりも、「医者が信用されていない」ことのほうが、根本的な問題なのではないだろうか?
 本当に医者のことを信用してくれているのなら「おまかせ」のほうが患者さんはラクなのでは、と思うこともあるのだけど。

「自分の体のことだから、自分で判断したい」
 その気持ちはわかるのだが、だからと言って、ムリして自分で肉を焼こうとするのが美味しい肉を食べるための近道なのかどうか。普通に考えれば、どんなに器用な人でも、プロの仕事にはかなわない。

 もちろん「焼き方は任せる」と言ってもらえるように、僕達ももっと勉強し、修行して、信用を取り戻さないといけない。たぶん、それがいちばんの課題だ。

 医者は「患者の自己決定権」を嫌っている、と思う人もいるかもしれないけれど、実際はそんなことはない。状況説明と選択肢と将来の予想だけ話して「あとはセルフサービスです」と言ってしまえれば、その方がよっぽどラクなのかもしれない。

 「先生はどう思われますか?」命がかかっている人にそんなふうに問われたら、プロとしては、知識と知恵をふりしぼるしかないし、それでも結論を出せないことも多いのだから。