「スーパーマン医療の時代」の終焉


参考リンク:friedtomatoの日記(2/4)「産婦人科・小児科」


 まずは上記参考リンクをどうぞ。
 僕は男なので、ついついこの上司の医師のほうに自分を置き換えてしまいがちなのですが、確かに、(自分の配偶者のことなので、ちょっと照れがあったとしても)酷な発言だよなあ、と思いました。でも、これも「正論」なのですよね。僕は内科医という仕事を10年(正確には、そのうち研究室勤めが3年くらい)やっているのですが、当たり前の話なのですが、医者っていうのもスーパーマンばっかりじゃないのだよなあ、と痛切に感じます。医者が10人いたら、1人くらいは仕事ができて人間的にも素晴らしい人、まさに「スーパーマン(あるいはスーパーウーマン)がいて、1人は仕事はものすごくできるけど人間的には問題がある人がいます。その一方で、1人くらいは仕事もダメで人間的にも問題アリな人がいて、1人くらい、仕事はできないけど人間的には善良な人がいる。そして、残りの6人くらいは、バランス派というか「その中間」なんですよね。まさに、スーパーマンじゃないけど完全なダメ人間でもない普通の人間であり、たぶん、現場を支えている医者の多くは、ここに属しているのです。そりゃあ、周囲からみれば、みんなが「スーパーマン」であれば、それに越したことはないのだろうな、とは思いますけど。

 ここで話題にのぼっている「先生の奥様」は、まさにこの10人に1人のスーパーマンなのだと思われます。そして、こういうデキる人たちの(普通レベルの人からみての)難点というのは、スーパーマンというのは、「自分がものすごく頑張っているという自覚がない」ということなんですよね。周りから見たら「あの人は凄い!」って言われるような状況でも、本人にとっては、「医者として当たり前のこと」をやっているだけのことで、別に自分が偉いともなんとも思っていないのです。ですから、「後輩のために働きやすい環境を!」なんて思う前に、「みんなはなぜ、もっと一生懸命仕事をしないのだろう?」とか、イヤミじゃなく、心の底から疑問を感じていたりするのです。まあ、実際のところは、「当たり前のように働いてしまう人」のほうが、自分で自分を追い詰めてしまいがちでもあるのですけどね。むしろ、「なんでこんなに忙しいんだ!」とか、「給料上げろ!」とかいうような声を上げられる人は、まだ「常識的な感覚」で生きているので、船が沈みそうになったら「逃げる」という選択をすることができるのです。そして、船に取り残された「スター選手」には、いつか、限界がやってきます。

 でもね、じゃあ、「労働環境を良くするためにどうすればいいのか?」って考えても、医者はストライキをやるわけにはいかないし、どうしていいのか考える間もなく、次々と患者さんがやってくる、という状況だです。「スター選手が労働条件改善を訴える」というのは、時間的な制約もそうだし、自分ができている人というのは、「できない奴」に対応したシステムを作り上げようなんて、なかなか考えてはくれないものです。さりながら、「働いていない人」が、「労働条件改善!!」と声高に訴えても、そこには何の説得力もないのです。歴史的な観点からすれば、「革命の思想を作る人」と「革命を起こす人」というのは、必ずしも同じではないわけですから、「スーパーマン」に「労働条件改善への運動」まで期待するのは、基本的に間違っているとは思うのですが。よっぽどの変わり者じゃなければ、「適応できている人」は、システムを変えようとは思わないもの。結局、「スーパーマン基準」が、多くの医療現場での「スタンダード」となっており、多くの「普通の医者」が、「失格者」の烙印を押されないために、ボロボロになってそれに適応しようとし続けています。

 では結局どうすればいいのか、と考えれば考えるほど、僕にはその答えが出ないのです。そして、「家庭」というようなものに関して考えれば、「ずっと病院に張り付いて患者さんを診ている医者」というのは、家族からすれば「全然家に帰ってこない夫や妻や親」なのかもしれませんし、「すぐ家に帰ってしまう困った医者」は、「よき家庭人」だったりするのかもしれません。いや、この上司は、きっと自分の妻の医者としての能力は認めているのだろうけど、その一方で、「家庭人」としては「ずっと家でぐったり」というような姿ばかり見てきていたのだろうな、と。そして、夫のほうだって仕事で疲れていて、ほとんど家で顔を合わせることもなく、磨り減った顔をたまに見るだけ、というような状況では、こういう「酷な言葉」が酒の席で出てきてしまったのも、わかるような気がするのです。そりゃあ本来、「他人に言うこと」じゃないけどさ。「お互いに認め合って、高めあう」のが理想だなんてことは、みんな百も承知のはずなのにね。しかし、「あまりにもデキるパートナー」と人生を共にするってのは、自分が相手を徹底的にサポートする役に回るならいいんだろうけど、多少なりとも競争心があると辛いよほんとに。

 大先輩たちには、本当に「一日も休まず」医療に身を捧げてきた人がたくさんおられます。でも、僕自身には、ささやかながらも自分の人生を楽しみたい、という野心もあるのです。結局「普通の医者」たちは、なんとか騙し騙しやっていくしかないのかな、という気がします。だって、どんなに「労働条件改善!」と訴えてみたところで、今夜の入院患者さんや、明日の外来患者さんが減るわけでもないんだしさ。
 しかし、どんどん「スーパーマン」の割合は減って、「普通の医者」の割合が増えていっているのが実情。「訴えられない」ことを第一に考え、医療訴訟の記事を読んでは、自分の運の良さにため息、みたいな状況下では、「普通の医者を基準とした医療体制」にシフトしていかざるをえないし、僕も、そうなることを願っています。というか、「革命」が起こらないとしても、みんながそういう「普通の生活」を志向していけば、結局、労働条件そのものも変わっていかざるをえなくなっていくだろうしね。