WEB日記と「守秘義務」(1)

 僕の父親は医者だったので、たとえば移動中の車の中や家族での食事の際などに、もと看護婦であった母と患者さんのことについて話すことが多かった。
その内容は、おおまかにいえば愚痴に属するようなことで、こんなことで夜中に起こされたとか、あそこのお爺ちゃんは、もう厳しいなあ…といった内容だったように記憶している。小・中学校時代の僕は、医者に「守秘義務」というのがあると知っていたので、親のそういう愚痴を耳にするのが嫌で嫌で、「なんで医者のくせに、守秘義務に違反するようなことをするのか」と口には出せずに心の中で憤っていたような気がする。

ちなみに、「守秘義務」とは、<刑法134条>に以下のように規定されている。

 1 医師、薬剤師、医薬品販売業者、助産師、弁護士、弁護人、公証人又はこれらの職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、六月以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する。

 なお、看護師や検査技師については「守秘義務」は定められていません。これはこれでおかしな話なのですが、今回はそのことは脇においときましょう。
医者の日記、についての話ということで。

 守秘義務」とは、要するに、仕事上知った他人の秘密を公にすることは、まかりならんということです。確かに医者という仕事は、秘密を守るという大原則のもとに患者さんの病歴や女性の出産歴、などをセクハラといわれずに聞くことができます。ただしそれは神父さんが「懺悔」を聞くのと一緒で、他の人に喋り散らしてはいけません。もちろん、治療上の必要があるときには他の医者に相談することはありますが。

 で、おもむろに結論。WEB日記において、医者(および医療関係者)が守秘義務を守るにはどうするか?

 日記なんか、書かなきゃいいのだ。もしくは、WEB上に、公開しなければいい。

まさに、沈黙は金。書くことによって非難されることはあっても、書かないことによって非難されることはないんだからさ。
 でも、それでも書きたい、誰かに読んでもらいたい、伝えたいという場合、どこまでが許容範囲となるんでしょうか?まあ、個人情報や病名がわかんなければいいんじゃない?という話にまずはなるわけで。

以下の例文は、以前書いていた日記のより抜粋しています。

 <以下例文(1)>

電話の画面を見ると、病院の呼出し番号。悪い予感。
案の定、「病気の患者さんが来てるので、先生のところで診てもらいたいんだけど」との内容。今日は、オンコールだったのだ。
この病気といえば、1日つぶれてしまうことになる。1〜2時間おきに、データを確認せねばならない。ゴールデンウイーク3日目の金メッキが剥げ落ちた。
激鬱になりながら、病院へ出勤。なんだかまた風邪が増悪したような気がして、倦怠感顕著。
ある部屋に行くと、医者が3人。入院管理を引き受ける。
ひとり病棟で仕事をしていた若い医者がおり、彼に主治医をやってもらい(要するに、いろいろ雑用を頼んでいたのだが)、少しずつ治療していく。途中、家族に話を聞く。

 <以下原文(2)>

電話の画面を見ると、病院の呼出し番号。悪い予感。
案の定、「糖尿病性昏睡の患者さんが来てるので、先生のところで診てもらいたいんだけど」との内容。今日は、オンコールだったのだ。
おまけに、糖尿病性の昏睡といえば、低血糖ならともかく、高血糖性の場合、1日つぶれてしまうことになる。1〜2時間おきに、採血してデータを確認せねばならない。「血糖1200なんだけど」この一言で、ゴールデンウイーク3日目の金メッキが剥げ落ちた。
激鬱になりながら、病院へ出勤。なんだかまた風邪が増悪したような気がして、倦怠感顕著。
救急の部屋に行くと、かなり上の先生2人と、部活の大先輩の救急医が1人。これでは、頭が上がりようもなく、入院管理を引き受けることに。
意識がはっきりせず、あまりいい状態とはいえない。
幸い、研修医がひとり病棟で仕事をしていたので、彼に主治医をやってもらい(要するに、いろいろ雑用を頼んでいたのだが)、少しずつコントロールをつけていく。途中、家族に話を聞くと「お互い、あんまり干渉してなかったので」との返事。40代くらいの人で、1人暮らしなら、それはそれで妥当なところではあるんだろうけど、こちらとしては情報が得られないので辛い。インスリン使用中にもかかわらず、あまりご本人も病院で検査を受けていなかったらしいし。

 個人情報を特定される要素を極限まで省くと(1)のような文章になります。

こんなの読む気になりますか?
書き手の技量の問題なのかもしれませんが。
もちろん、全部事実に基づいたフィクションにしてしまうという手はあるのだけれども。
それはそれで、モデルは…という話になってしまうし。
リアリティを出すためには、ある程度の情報を提示したほうがよいのだろう、きっと。
でも、医者の日記は、その点においてはほとんどのものが、ものすごく神経を遣っています。

実際、患者さんのこと、仕事のことが全然書かれていない医者の日記というのも存在しているわけです。(いや、今回いろいろ読んでみたのですが、医療のことを極力書かないという方針だった「当直日誌」は、僕自身が思っているほど医者日記らしくないものではないということが、よくわかりました)

 どこまでが許されるのか?ということなのだが、僕自身の今のところの考えとしては、

(1)   患者さん、スタッフの個人名は絶対にダメ(イニシャルもぼかす)

(2)   病気のことについては、一般的な病名はつかうが、その個人個人の病状については、深くは言及しないようにする。

(3)   患者さん、もしくは家族への悪口、陰口は厳禁。(サービス業の基本として)ただし、愚痴っぽくなってしまうことがままあるのが悩み。

(4)   他の医者・医療機関への罵詈雑言は極力避ける(とくに医療行為の内容については)。

(5)   医療行為の詳細な内容や、薬の名前などについては、一般によく知られているものを除いては記載しない(処方内容だけで、どんな病気か絞込みができる場合もある)

基本的に、「医者の生活」というか、自分の思っていることを書きたいのですが、やっぱり、病気のこと、患者さんのことを完全に避けては通れないわけで。しかし、いろいろ考えてれば考えるほど、「自虐的」な日記が綴られていく…
「お医者さんが書いた本」というのは、僕はあんまり好きじゃないです。そこに書いてあるのは、あまりに奇麗事になってしまっている場合が多いような気がするから。理想の医療、理想の看護、理想の家族。世の中、そんなのばっかりじゃない。
たぶん、医者の大部分は江口洋介でも織田裕二でもない普通の人で、普通の人間として悩みながら、医療というあまりに手に余る仕事に立ち向かっているんだと思うのです。
僕がこんな日記を書き続けているのは、結局は誰かに認めて欲しいのからなのかもしれないですね。やっぱり、自分がやってることに不安はあるから。

ネットは匿名だから、っていうけど、ネットの匿名性なんて、全然アテになりません。
カルテを公開して、捕まったひとだっていることだし。ちなみに「カルテを誰でも閲覧できるような場所に放置しておいた」というのも「守秘義務違反」になるそうです。
WEB日記は、僕たちが自覚している以上に開かれているものです。他人を100%傷つけずに何かを表現することは不可能だけれども、最低限のマナーは守っていきたいなあ、と思いつつ、また引き続きご愛読いただければと。

この「守秘義務について」は、今後も考えていきたいと思いますので、ご意見ご感想などいただけるとありがたいです。