ある小児科医の「遺産」
参考リンク:女医の愚痴(4/19)「えっ!」
僕は最近、医療従事者と患者さんたちを含む、それ以外の人々との間の「壁」に絶望しきっていたのですが、参考リンクで取り上げられている、亡くなられた小児科医師とその御家族の記事を読んで、思わず涙が出てきました。なんだか、うまく言葉にできないのだけれど。
亡くなられた小児科の医師は、本当に仕事に真摯で、患者さんたちにも慕われた方だとうかがっていますし、そんな医師が現代の「経営至上主義」の医療に対して投じられた一石は、まさに今の医療が抱えた問題を予見していたものだったと感じます。
僕は現実の医療というものが正しい方向には進んでいるとは思えないし、そのことに対して、医者もまた実情を訴え、声を上げていくべきだと考えています。
でも、その一方で、亡くなられた小児科医が、まさに身を粉にして働いてこの世界に遺したものは、なんて美しいのだろう、と思わずにはいられないのです。「美談」にして済ませてしまってはいけない話だということは、十分に理解しているつもりなのですが。
この医師は「儲からない小児科」と「子供の笑顔が見られる小児科」の2つの現実のあいだで苦しんで、身も心もボロボロになってしまったけれど、その真摯な生き様というのが世の中の人々に与えた影響というのは、けっして、少ないものではありません。僕たちがネット上で、「こんな労働環境じゃ危ない」「ある確率で起こりうる医療事故、あるいは力の及ばない疾病に対してまで『医療ミス』なんて言われては仕事にならない」などということを、いくら「わかりやすい言葉」でブログに書いてみても、このひとりの小児科医と、それが茨の道であることを知りながら、父親と同じ道を選ぼうとしている娘さんの姿の1万分の1の「説得力」もないのではないかなあ、と思えてしまって、しかたがないのです。世界を変えるのは、革命思想そのものではなくて、革命に殉じる人々の姿なのではないのだろうか。
たぶん、この記事を読んだ人の多くは、「こういう医師たちを過剰労働で追い詰めて失うような医療制度には問題がある」と感じてくれるはずです。それは、診られる側にとっても、「損失」であるのは間違いないことですし。「医者なんて所詮、わがままなエリートなんだよ」と日頃は揚げ足ばかり取っているような人たちにも、「伝わる」のではないでしょうか。
僕はここで、ある種のイデオロギーみたいなものを書いていますし、多くの医師たちは、「このままではいけない」とネット上で警鐘を鳴らしています。
しかしながら、本当に世間の人々と医療従事者の心の壁を取り払えるのは、「現場で実際に患者として接した際の医療従事者の姿勢とか態度」が、いちばん重要なのではないかと最近ずっと考えています。今の医療でも、多くの場合、「患者さんは医者の技術に救われ、医者は患者さんの感謝に救われている」のは間違いありませんし。おそらく今の医者と患者の間の緊張感の原因は、「お互いの信頼の欠落」なのです。実際は、ごく一部のトンデモ医者と最初からケンカ腰でやってくるクレーマーみたいな患者さん以外は、きっと「わかりあえる」はずなのに。
僕もあらためて「天下国家」ばかりに目を向けず、初心に帰って、ひとりの人間としてもうひとがんばりしなくてはなあ、と自分に言い聞かせています。こうやって書いていると、自分が特別な人間であるような錯覚に陥りがちだけれど、実際に医療の現場を支えているのは、そういう「サイレント・マジョリティ」の医者たちなのだから。
最後に。
この小児科医の娘さんは、まだ研修医だそうです。彼女が小児科に進むかどうかはまだわからないし、研修してみたら、イメージとは違ったということになる可能性は十分にあると思うのです。でも、それはそれで仕方がないことだと思うし、彼女が今後どういう道を辿るにしても、みんながあまり過剰な「期待というプレッシャー」を彼女に与えてほしくないなあ、と切に願ってやみません。「小児科の未来」というのは、ひとりの若者に背負わせるには、あまりに重すぎるから。
いろいろ辛いことがあっても、「医者」、「小児科医」という仕事が総じて言えば魅力的なものであると信じて頑張っている人たちが報われ、よりよい医療ができる。そんな世の中になるように、みなさんの力を貸してください。どうか、よろしくお願いします。