誰が小児科を潰すのか?〜小児救急の現実と問題点


共同通信の記事より。



【小児科医の不足で、子供の救急医療体制の維持が困難になっている現状を改善するため、厚生労働省は7日までに、結婚や出産、定年で退職するなど医療現場を離れた医師を再教育し、小児救急の拠点となる医療機関へ派遣する体制を整備することを決めた。
 2005年度予算の概算要求に3億9000万円を計上し、小児救急の充実を図る。
 子供の医療をめぐっては、少子化に伴う不採算性や労働条件の悪化から医学生が小児科を敬遠する傾向が強まる一方、親の側でも共働きが増え夜間や休日に診察を求めるケースが増加。小児救急の現場では、夜間の患者たらい回しや当直医の過労が問題化している。】


参考リンク:「瀕死の小児救急 ある小児科医の死」(YOMIURI On-Line


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 僕が最初にこの記事を読んで受けた印象というのは、「はたして、こんな対策で状況は改善するのか?」ということでした。こういう言い方をしては失礼なのですが、「医療現場を離れている医師」を再教育するといっても、小児救急のようなハードな仕事をやるというモチベーションが、一度現場を離れてしまった医師たちに、はたして湧いてくるのかな?と。
 実際、職場を選ばなければ、そんな「戦場」に出なくても、医者の資格を持っていれば収入を得る道はあるわけですから、一度現場を離れたり、リタイアされた人が、そんな激戦地に行くことを望むのだろうか、そして、その環境に適応できるのだろうか、とものすごく疑問になるのです。
 「子供を診るのは怖い」というのは、多くの大人相手の医療を行っている医者の実感でもあると思います。「医学的には、大人と子供は違う生き物」と言う人もいるくらいで。

 しかしながら、よく考えてみると、この方法も「何もしないよりは、かなりマシ」のような気もしてきたのです。
 僕が以前勤めていたことのある地方の総合病院は「救急車は断らない」という方針でした。それには、入院施設がある病院は、その近辺にはそこしかないので、断りようがない、という事情もあったのですが。
 
しかし、まだ駆け出しの研修医である僕にとっては、その状況下でひとりで(もちろん、わからないことや不可能なことがあったら他の先生を呼び出していいことになってはいましたが、自分にはどうしようもない場合はともかく、ちょっと迷うな、というくらいの状況では、やっぱり躊躇もするのです。
 そんな中でも、子供を診るというのには、非常に恐怖感を持っていたのです。
 小さな子供は自分で症状を説明できないことが多いし、ご両親は興奮されていることが多いし、検査も大人のようになんでもできるわけでもありません(そもそも、僕には小さな赤ちゃんの検査のやり方なんてわからないですし)。

とりあえず、「当直は内科医なので、もし必要があれば小児科の先生に連絡します」と話して、命に別状なさそうな子供たちには解熱剤を処方したり、喘息の吸入の指示を出したりという、最低限の処置を自力でなんとかやっていましたが、どうしようもなくて、夜中に小児科の先生に来ていただく機会も多々ありました。小児科の先生は一人だけでしたから、常に病院から離れられず、たいへんだったと思います。もちろん、それなりの給料は出ていたみたいですが、それでも他の科の同年代の先生とは変わりませんし、そんな「ビックリするような金額」ではありませんでした。

この「小児救急問題」には、2つの大きな問題、要するに、医療サイドと患者サイドの問題があると思います。
 まず、医療サイドの問題から。
 いちばんの問題点は、「そもそも、小児科をやる人間が少ない」ということなのだと思います。「きつい」「薬の量が少ないので、採算が取りにくい」「訴訟などのトラブルに巻き込まれる危険が高い」という科に自分から飛び込んでいく人は、傍からみると、ものすごく勇気があるか、子供が好きなんだなあ、という気がしますし。
 そして、経営サイドも医者個人としても、「小児は敬遠したい」という雰囲気が出てきているのも否定はしません。「これは小児科医の問題」という意識。

 そして、患者さんサイドの問題。
 記事には、「これは大丈夫、と教えてくれる祖父母の世代と同居しなくなった」なんて原因が書かれていますが、僕は、この理由はどうかな?と思います。実際、同居している田舎では、風邪でちょっと元気がないくらいなのに、祖父母が心配して絶対に病院に連れて行くように言った、なんて話もよくありましたし。そういう意味では、病院というのが昔ほど「敷居の高い場所」ではなくなった、というプラスの面もあるのかもしれません。「診せられるんだったら、診せておいたほうが安心」という心理は、理解できますから。

実際のところ、病院というのは本来の診察時間が終わって当直の時間帯になると、医者ももちろんですが看護師・薬剤師・検査技師などもスタッフも人数的に手薄になりますし、「なるべく時間内に受診していただきたい」というのが本音です。
 そのほうが、お互いにリスクを軽減できることは間違いないし。
とはいえ、医者だって社会人ですから、「働いている人が、仕事を休んで病院に子供を連れていくこと」が心理的に難しいのは、実感としてよくわかります。実際、都会では病院の診療時間そのものにバリエーションも出てきているらしいですし。
 ただ、田舎ではやっぱり急にそうするのは難しいし、採算もとれないでしょう。

この「小児救急問題」というのは、医療サイド(行政も含めて)と患者サイドのどちらかだけが一方的にどうにかすれば解決するという問題ではないと思うのです。
 現在、小児科、とくに小児救急は、「不採算部門」として切り捨てられることが増え、残った救急病院の負担はさらに増しています。僕が知っているだけでも、小児科の外来や救急を廃止・統合した病院は、この数年で片手に余るくらいありますし、「収入が上がらない」という理由で小児科が槍玉に挙げられるケースは、けっして珍しくありません。
 そもそも、「入院期間が短く、使う薬の物理的な量が少ない」という小児科は、今の制度下では、「どんなに働いても、構造的に不採算にならざるをえない」のです。
 でも、これを一方的に責められるというのも、医療サイドとしては辛いところです。
「リスクが高くて、収支が合わなくて、人手が確保しにくい」という部門なんて、一般企業ならすぐ整理の対象になるはずですし。「赤字でもいいから、社会のために身を削って働け!」なんていうのは、やっぱり理不尽だと思います。

 ただ、僕が実際に小児科も含む「当直での診療」で感じたことは、「本当に専門の小児科医が必要な子供の割合は、そんなに多くを占めているわけではない」ということでした。
 当時の僕のような駆け出しの内科医でも、重症でなさそうな小児に対しては、「解熱剤を出しますから、とくに状態に変化がなければ、明日の日中に小児科を受診してください」という対応で大きな問題はありませんでしたし。

 そういう意味では、一般病院でも、せめて小学生以上くらいの子供は当直医が診察して、「危ない」と感じたら小児科救急を紹介する、というように、小児科をサポートしなければならないのかな、と思うのです。あるいは、せっかく2年間の研修期間があるのですから、そのうち半年くらいは、こういう小児への救急対応を学ばせて、「本当に小児科医が必要な子供たち」をある程度判断してから、小児科医たちの手に委ねることができる医者を増やすようなシステムはどうでしょうか?いっそのこと1年くらい研修期間を延長して、救急を含めた現場で小児科の基礎の基礎くらいは勉強してもらうとか。人手不足も解消できますし。

また、当直医を肉体的にも精神的にも疲労困憊させているのは、重症の患者さんの多さと同時に、「朝から様子がおかしかったけど、夜のほうが空いていると思ったから」なんて言いながら、あまりの待ち時間の長さに「遅い!」と待合室で逆ギレしている親だったりするのではないかなあ。

こういう人々の「患者は弱者だ!」という主張はけっして間違っていませんが、中原先生のような人まで「強者だから、医者だから過労死してもいい」ということはないはずです。多くの医者は、「自分も生きるために、医療を生業にしている弱者」にすぎないのに。

内科でもそうですが、「今、心筋梗塞が起こった」という人に対して「なんでこんな時間に…」なんて思う人はほとんどいないと思います。それは、「本来の仕事」だから、「がんばらなくっちゃ!」としか考えようがない。

要するに、「(小児科医以外も含めて)医者の側には改善すべき点もあるし、患者さんのほうも、より良い医療を受けるために、少し配慮していただけないでしょうか?ということが、僕の言いたいことなのです。そして、より良い医療を受けるためには(あるいは、現状のレベルを維持するには、かもしれない)、国も実態を理解して、お金を出してくれないとどうしようもない、ということを考えてみていただきたいのです。
 より良いサービスを受けるためには、コストがかかるって、医療の世界でも当然のはずなのに。
 医療費が負担であることは承知の上で、「でも、そういうことのために、僕たちは税金を払っているのではないか?」と問うてみたいのです。

中原先生の死は、多くの医者にとって他人事ではありません。
 その一方で、医者の中でも、「好きで小児科医になったんだから、しょうがないよね」と言う人もいます。
 でも、このままだと小児科をやる人は、誰もいなくなってしまうのではないかと、僕は心配なのです。
 それでいちばん困るのは、いったい誰なんでしょうか?