「訴えられてしまう」産婦人科医たち


毎日新聞の記事より。

【大学病院の産婦人科に医師の派遣を依頼している全国1096病院のうち、大学が派遣を取りやめ、産婦人科医が全くいなくなった病院が全体の11%、117施設に上ることが16日、日本産科婦人科学会(日産婦、会長・藤井信吾京都大教授)の調べで分かった。勤務の厳しさから産婦人科医を敬遠する傾向がある中、臨床研修制度の必修化が一層の医師不足を招いたとみられる。
 調査は昨年9月、産婦人科がある全国102大学病院を対象に実施。03年以降、依頼された病院から医師を引き揚げたかどうかを尋ね、72大学病院から回答を得た。
 1096病院のうち、医師の引き揚げで産婦人科の医師数が減った病院は173施設(15%)。過半数に当たる117施設では産婦人科医がゼロになった。このうち定員が4人以下の病院が105施設を占め、小規模病院を中心に医師の引き揚げが起きていた。
 医師を引き揚げられた病院は、民間の紹介業者で医師を確保したり、他の病院との提携で医師のやりくりをしたりした。しかし、当直態勢が組めないなどの理由で45施設が分べんを取りやめ、25施設が手術をやめるなど業務の縮小を迫られた。
 調査結果は引き揚げの理由として(1)昨年春に必修化された臨床研修制度で2年間入局者がなく、大学に医師が不足している(2)大学で産婦人科を選ぶ医師が減りつつある――を挙げた。このため、病院に派遣している40、50代のベテラン医師が独立したり、大学と関係を持たない民間病院へ移籍した場合、補充も出来なくなっている。
 藤井会長は「大学が病院に医師を派遣できなくなっていることは残念だ。産婦人科医は出産などで勤務が不規則なため人気がない。医師が良い勤務条件で多くの経験を積めるよう、特定の病院に医師を集めるセンター化構想が必要だ」と話している。
 ことば=臨床研修制度
 一般的な病気に対する診療能力を持った医師養成が目的。大学を卒業し、医師免許を取得した新人医師が2年間で内科、外科、麻酔・救急医療などを数カ月ごとに回ることが必修化された。これまでは大学の診療科(医局)に所属し、その科だけを専門にしていた。】


参考リンク:「産婦人科の医師不足」(東奥日報)

     :「全国で産婦人科閉鎖…」(mariboo’s blog

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 実際のところ、「新研修制度」の影響を受けて、大学の医局が「医師の派遣を中止した」というのは、別に産婦人科に限ったことではないんですが、もともと比較的大勢の人が派遣されている内科や外科に比べると、少人数あるいは常勤医1人で切り盛りされていることが多い産婦人科の場合は、そのひとりがいなくなることで、科の存亡にかかわる、というのが現状なのです。

 産婦人科といえば、「新しい生命の誕生に立ち会える」というのは大きな魅力のはずなのですが、どうも最近では、「お産でいつ呼ばれるかわからない」「訴訟が多くてワリに合わない」という面ばかりが目立ってしまっているようですし、産婦人科は医師全体の5%なのに、訴訟は全体の12%、なんて数字を目にすると、やっぱり気後れしてしまう医者の卵も多いのでしょう。産婦人科というのは、大きな手術もあれば、お産もあるし、癌の患者さんもいれば不妊治療もあるという、けっこう専門性が高い科であるにもかかわらず、扱っている範囲も広いんですよね。大学ならさらに産婦人科の中での専門ごとに仕事を細分化することも可能でしょうが、市中病院であれば、「産婦人科の範囲」は、診なければなりませんし。
 そう考えると、産婦人科というのは、確かに、積極的に選択されにくい面もあるのでしょうが…

 ところで、この「訴訟」の話なのですが、僕は以前、アメリカに留学していた先生に、こんな話を聞いたことがあります。
 あるスラム街の病院に行きも絶え絶えになって運ばれてきた男が、担当医とスタッフの懸命の治療の甲斐があって、ようやく元気になって退院の日を迎えました。そしてその患者さんは、退院の日に、こんなことを担当医に言いました。
 「ありがとう、ドクター。あんたのおかげで命拾いしたよ、感謝してる。でもな、俺はあんたを訴えるぜ。悪いけど、俺だって食っていかなきゃならないからさ」
 その男が、本当に担当医を訴えたのか、訴えたとしたら、その裁判の結果はどうなったのか、それは僕にもわかりませんが、なんだか、いたたまれない話です。
 もちろん、アメリカ人が、貧しい人たちが、みんなそういう人々である、という意味ではないのですが……

 実際に医者をやっていて思うのは、いわゆる「医療に関する裁判」には、大きくわけて3種類ある、ということです。
 ひとつは、同業者としても「完全に医者に非がある」と思われるケース。常軌を逸した対応や最低レベルにも及ばないような治療によるもの。
 ふたつめは、「説明不足の医者にも問題があるけれど、例えば、10000人に使用すれば1人に起こることは予想されていた重い副作用のような、医者側の『常識』と患者側の『常識』のズレによるもの」
 そして3つめは、「いいがかり」と言っては角が立ちますが、「それで訴えられてはかなわない…というようなもの」です。これには、「ものすごく混んでいる外来で順番どおりに診ているのに、『自分が待たされていること』に耐えられずに外来で怒鳴り散らす人」などがあてはまります。あるいは、もう亡くなってしまった人を連れてきて、「どうして助けられないんだ!」と食ってかかる人、とか。
 いや、気持ちはわかるし、そういう気持ちをぶつけられても、ある程度は「仕事の範疇」として対応するのが医者の仕事だとは思うのですが、訴訟となると話は別ですから…

 産婦人科、とくに産科の難しさというのは、「子供は無事に産まれるのが当たり前」という現代の日本での世間の思い込みにかかっている面が大きいようです。

 極端な話、内科でずっと慢性疾患を治療中の90歳くらいの高齢者の方が、朝起きたら急に冷たくなっていたとしても、世間一般的には、「不審な死」と疑うよりも「苦しまなくてよかったね」と感じる人のほうが多いのではないでしょうか。「亡くなられた原因を調べるには、解剖もできますが」と勧めても、「いや、いいです」と言われますし。言葉は悪いけど、「寿命だから」という結論に落ち着いてしまうのです。今のところ「人間は年をとれば、いつか『寿命』がくる」というのは、人類の共通認識だし。

 それに比べると、胎児や乳幼児の「突然死」というのは、やっぱり「認めたくない」者なのだと思うのです。その病因そのものよりも、「こんなに幼いのに、なぜ?」という認めたくない気持ちが「医療ミスだ!」という方向に転嫁されてしまう場合もありますから。
 ただし、こういう場合には、少し時間が経てば冷静になっていただけることも多いんですけどね。僕だって、そういう状況になれば、平常心ではいられないだろうし、「何かのせい」にしたくなるのもわかります。それでも、本当に訴えられてしまえば、自分を守るために闘わざるをえないでしょう。ものすごく憂鬱なことだろうけど。
 結局、遺族の「不信」というのは、「過程」よりも「結果」に対するもののほうが強くなりがちで、「医療ミス」の記事の陰には、「結果として患者さんが助かったから大きな話題にはならなかったけれど、『ミス』としては記事になるようなものよりも悪質なもの」も存在しているようにも思われますし。
 ただ、その一方で、内科医としては、羨ましい面もあります。産科とか小児科の医師というのは、本当に子どもというひとりの人間の「人生を変える」ことができるかもしれない職業だから。それだけ家族が神経質になるくらい、大事にされている存在を相手にしているのだから。
 内科医というのは、誤解を招く表現なのかもしれませんが、「もう人生のアウトラインができている人たちの『着地』を手伝う仕事」という一面を持っています。先に挙げたように、超高齢の患者さんとなると、周囲の人たちも覚悟していることが多いですし、病気を治すというよりは、完全には治らない病気と、いかにうまくつきあっていくか、を考えるようにもなるのです。まあ、僕のような鉄火場では気後れしてしまうタイプには、救命医とかよりは向いている仕事ではあるのでしょう。
 そういえば、病理医なんていうのは、そういう点では恵まれていないというか「病理の先生、ありがとう」なんて感謝してくれる患者さんがほとんどいないわりには、良性・悪性の診断を誤ろうものなら、確実に訴えられるんですよね。「休みの日にキチンと休める」という大きなメリットがある一方で、こういう「容赦のなさ」も抱えた仕事でもあるのですから、やっぱり良いことばかりじゃありません。
 ただ、こうして書いていて思うのは、「じゃあ、どうすればいいのか?」という問いに対する答えは、非常に難しいものである、ということなのです。
 実際に産科では、分娩時のトラブルを予防するために帝王切開が積極的に行われる場合もあるそうですし(帝王切開だって、100%安全、というわけではないにせよ)、家族説明の内容や同意書をとることにも、多くの時間が割かれるようになりました。それでも、実際のところ「こういうトラブルや副作用が起こる可能性があります」と説明されても、命を助けるには手術をするという選択肢しか考えられない場合だってあるわけですし、「医療事故が起こると思って手術台に横たわるバカはいない」に決まっています。

 「説明を聞いて理解する」ことと「その結果を受け入れる」ということは、近いようでいて、その間には、けっこう距離があるのです。「分娩時に100%無事に出産できるわけがない」という事実には、「まあ、そうだろうな」とほとんどの人は理解を示すのではないでしょうか?
 でも、「それが自分や、その周りに起こる」となると、「まあ、そうだろうな」なんて思う人のほうが少数派でしょう。宝くじは「ひょっとしたら当たるかも」と思うことができても、そういう「事故」が自分に起こるかも、というのは受け入れ難いのが普通の人間です。
 産科医が訴えられている一方で、世間の一部では「自宅分娩」が流行したりしるらしいですし。これも、確率論でいけば、「病院で出産したほうが、リスクは低い」はずなのに。

 「信じてほしい」と願っていますし、僕たちの立場からすれば、日本で日々行われている「医療行為」の数に比べれば、「医療ミス」の件数の少なさは、むしろ賞賛されてもいいくらいなのではないか、と思ってみたりもするのですけど……
 でも、僕だって自分や家族がそんな目にあったら、「運が悪かった」で済ませられる自信は全然ないしなあ。

 正直、産婦人科(とくに産科)が「訴訟を起こされやすい科」であることは、その対象とする患者さんを考えると、やむをえないことなのかな、とも感じますし、その傾向は今後も大きく変わることはないだろうな、とも予想できるのです。だいいち、この記事からすると、会長さんでさえ「人気がない」という現状に対して、「希望者を増やして、派遣病院も増やす」という方向よりも、「センター化して、現在の産婦人科医を有効活用することと、産婦人科医そのものの生活の質の向上を目指す」という方針を打ち出されていますから。
 確かに、現在でも「いつお産があるかわからない」という地方の「ひとり産婦人科医」の先生は、たいへんだろうな、と思います。そんなにお産の件数そのものはなくても「何かあればいつでも呼ばれる」という持続的なプレッシャーというのは、当事者以外にはわからないくらい重いので。

 日本全体としてはもちろん、他科のはずの一内科医としても、「産婦人科の先生があんまり少なくなってしまうと困る」のですよ実際。
 しかしながら、現在の医療情勢が続くかぎり、「今後、劇的に産婦人科志望者の割合が増える要素」というのは、正直あまり無さそうなんですよね…
 僕も「医者」ですけど、「お産」に際して何かやってくれと言われても、分娩室の前でウロウロすることくらいしかできそうにないしなあ…