西原理恵子さんを救った、高須院長の言葉
『ダ・ヴィンチ』2007年11月号(メディアファクトリー)の特集「西原理恵子〜酒と泪と男と女」より。
(特集のなかの「西原理恵子、どっぷりインタビュー」の一部です。取材・文は瀧晴巳さん)
【写真の鴨ちゃんは線の細い優男で、いい顔で笑っている。ネタ帳も見せてもらった。分厚いノート1冊で、ここ10年分。
西原「子供産む前はネタ帳なんてつくったことなかったんです。ネタ帳なんかなくても、頭の中で覚えてられたから」
それはここ10年の生活がいかに大変なものだったかを物語る。
西原「子供ふたり抱えて仕事しながら家にアル中がいるとね、もう何をどうしていいかわからなくなるんです。そこに落とし穴があるのに、自分から入っていっちゃう感じ。やっぱり体力が一番きつかった。とにかくのどが乾いてたって記憶がありますね」
そんな大変な生活をそれでも6年続けたが、長男2歳、長女4ヵ月の時に離婚。母親として子供を守るための決断だった。
西原「ガンと同じなのよ、アル中って。家族の愛情で治そうってことがもう間違いなの。専門の医師じゃないと治せないんです。それがわかるのに6年かかった」
『毎日かあさん』は破天荒な夫を持った妻の子育て現場ルポでもある。最新刊「出戻り編」ではアル中を克服した鴨ちゃんと再び同居。ガンで亡くなるのを看取るまでが描かれている。
西原「帰りたい。鴨ちゃんにそう言われた時、最初は断るつもりだったの。記憶は飛んでるのに、あの生活を思うだけで呼吸がまだ苦しくなったから」
「彼のためじゃなく、あなた自身のために彼を受け入れてあげるべきだ。じゃないと絶対に後悔する」そう言って、この時、西原さんを説得したのは、作品にもしばしば登場する大の西原ファン、高須クリニックの高須院長だった。
西原「高須先生はそれこそ何万人もいろんな女の人を診てきているからね。プロファイリングの量が違う。ありがたかった」】
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西原さんのマンガに出てくる「高須クリニック」の高須克弥院長って、完全に「大金持ちで好事家のネタキャラ」という感じですよね。僕は常々、「高須院長や西川史子さんを見て、みんなが『医者ってこんな人たちなのか』と思ってたらイヤだなあ」と考えていたのです。
でも、この西原さんのインタビューに出てくる高須院長の言葉を読んで、僕はこの人の「大きさ」や「人生経験」をあらためて思い知らされたような気がしたのです。「やっぱりこの人はスゴイ人なのかもしれないなあ……」と。
「受け入れらない人」「許せない人」が一人もいない人なんて、この世には、ほとんど存在しないのではないかと僕は感じています。傍からみれば「そんなことにこだわらなくたって……」とか、「それでも夫婦なのに」「血がつながった親子なのに」という状況であっても、当事者にとっては、「だからこそ受け入れられない」という場合も少なくないのです。
病院で仕事をしていると、そういうさまざまな「身内の事情」を目の当たりにすることは、そんなに珍しいことではありません。
そういうのって、僕たちには、「興味の対象」ではなくて、「誰も入院費を払ってくれない」とか「病状や治療に関する説明をして同意書を貰わないと先に進めないのに、誰も身内が来てくれない」という「困ったケース」として記憶に残ることがほとんどなのですけど。
「たとえ相手が病気で、死に瀕していたとしても、受け入れられない人」に対して、どうすればいいのだろう?と僕たちはいつも悩みます。
結局のところ「それでも身内なんですから!」というような「説教調」になってしまうことが多いのですが、それで(形式的にでも)上手くいく場合というのは、半々、あるいはそれ以下かもしれません。「亡くなったら葬式はやりますから連絡してください」と言われたこともあります。そんなふうになってしまった「事情」は、他人である僕にはわからないのですが。
高須院長が西原さんに言った「彼のためじゃなく、あなた自身のために彼を受け入れてあげるべきだ。じゃないと絶対に後悔する」という言葉に、僕は「重み」を感じました。
それはたぶん、高須院長が、医者としてではなく、ひとりの友人として、西原さんに言うべきだと感じていた言葉だからなのだと思います。相手がよく知らない人であったり、ここで「受け入れる」ことがマイナスになるような人であったら、高須院長は、こんなふうには言わなかったように思われます。
そして、その言葉は、まちがいなく西原さんを「救った」のです。
「元妻なんだから」「子供たちの父親なんだから」「ガンを患っていて、もうそんなに長くは生きられないのだから」……
そんな「正論」で、西原さんは自分の本心に気づくことができたでしょうか?
誰かを「受け入れられない」という人は、その「受け入れられない自分」を責めて、さらに自分を苦しめてしまうことがあります。もし、西原さんが「鴨ちゃん」を受け入れられないまま、彼の死を経験することになったら、西原さんは一生そういう自分を責め続けたかもしれません。
こういうときに誰かを本当に「救える」のは、医者ではなくて友だちや周囲の人々なんですよね、きっと。この場合は、友だちが医者だった、というだけのことで。