他人を説得するための文章に必要な『5つのC』
「医学をきずいた人びと」(シャーウィン・B・ヌーランド著、曽田能宗訳)のまえがきから
【40年前、大学生だった私(=著者)は、生物学のクラスにいて、次のようなモットーを徹底的に教えこまれた。それはいまでも私の心にしっかし染みついている。しかるべき学位を取得するためには、あらゆる小論文試験で次の五つの基準を満たしていなければならない。明晰であること(clear)、論理が一貫していること(consecutive)、簡潔であること(concise)、完璧であること(complete)、正確であること(correct)。その一つでも欠けたら不完全なものとみなされる。こう語ったのは、線虫を愛する教授だった。人間嫌いで、哺乳動物に感心を示す者(いわんや臨床医学で身をたてようとする者)には軽蔑しか感じない人物である。】
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僕も論文を書かなくてはいけないわけなのですが、この文章を読んで、ドキッとしました。「他人を論理的に納得させる文章を書く」、ということは、こんなにも困難なことなのです。
この「5つのC」は、まさに論理的文章を成立させるための、重要な要素であると思います。正直、「complete」の1つだけで済んでしまいそうな気もするのですが。
しかし、そういうふうに考えたら、僕などが日頃こうやってかきなぐっている文章が、読んでくれている人に訴えかける「論理の力」というのは、ほとんどゼロに等しいということになってしまいますね。
自分の意見を述べたり、誰かを言葉もしくは文章で説得しようとするときには、声の大きさや言葉の強さで押し切ろうとするのではなく、この「5つのC」を意識していかなくてはならないと思います。
もっとも、自分の仕事や研究とはまったく関係ない「完璧な論文」を読んでみたいという酔狂な人間は非常に少ないですから、もしサイト上の文章がすべて論文調であったら、読むのも疲れるでしょう。
そんなのわざわざ読まない、という人のほうが多いのではないかなあ。
でも、本当に機能的な文章というのは、それはそれですごく美しいものでもあるんですよね。5つはムリでも、consecutiveとconciseくらいは、意識していこうと思います。
それにしても、論文書くのって、大変なこと。
その何ページかの分量の文章に、その人の人生の何十分の一くらいの時間が詰まっているんだから。
といいつつ、僕らは「この論文は使えないなあ」とかいって、著者には聞こえないところで、文句を言っていたりもするのですが。