臨床復帰前夜の憂鬱


 明日の夜は忙しそうなので、とりあえず今の気持ちを書いてみる。4月1日から臨床に戻るわけなのだが、正直今は時間的な厳しさと肉体的な疲労でかなり憔悴しているという感じだ。病理で勉強したことで、僕の視野はだいぶ広がったような気がするし、今まで「CTとかMRIのイメージ」としてとらえていたものと実際の人間の「からだ」とのギャップの大きさもわかった。内科医にとっては、CTの写真は見慣れていても、生の臓器を見る機会というのは意外に少ないものだし。自分の専門の臓器にばかり目がいってしまうとう今までの感覚を反省させられたのも事実。でも、そういう「学問的なこと」は、またいずれ書きたいと思う。

病理の研究室にいて、少なくとも、こんな医者の世界というのもあるのだな、ということがよくわかった。毎日研究室にいて、標本を診たり、診断をしたり、論文を書いたりして過ごす日々。それまでの僕は、カーステレオから金属音が流れてきただけで、ポケベルの画面を確認していたのだが、「ポケベルが鳴らないこと」や「休みは休みであること」をに慣れるのには、実際にはそんなに時間はかからなかった。好きなコンサートや舞台にもほぼ予定通り行けるし、映画だって、途中でポケベルが鳴らないように祈る必要もなくなった。

僕はもともと人間相手の仕事というのが好きでもなければ得意でもなくて、好きでも得意でもないから余計に、相手に不快感を与えまい、状況に適応しよう、というプレッシャーを感じ続けていた。「患者さんが大事」なのは間違いないけれど、ときには、「神様の気まぐれ」に憤りを覚えたことだってある。眠れないとキツイし、仕事が押し寄せてくるとイライラしていた。そして、そういう態度は、自分の周りにいた人々にも悪影響を与えていたのだと思う。僕が少しだけ「優しい人間」でいられたのは、少しだけ余裕があったからだ。

でも、研究職だってラクなわけではないということもよくわかった。「自由であること」は、「結果はすべて自分のの責任であるということ」でもある。極端な話、「人間を診る」という行為は、ある程度時間が経てば「結果」が出る。生きるか死ぬか、治るか治らないか。良いことも悪いことも含めてなのだが。一方、研究職は、「結果」がすべてだ。研究職を続けるには、年相応には結果を出して偉くなっていかなければならないし(本当は、must ではないのかもしれないけれど、実際に50歳で無給なんていうのは、稀有な事例だろう)、そういう結果というのは「やらなければ出ないが、やっても出るかどうかはわからない」というものだ。それでも、「結果が出ないというのは、何もやっていないのと同じ」なのだ。腰掛けで来る「下働き」には優しいが、それは、裏を返せば上からみれば「自分を脅かす存在」ではないからだ。そして、そういう「結果」が求められる世界には、臨床以上に「嫉妬」というような個人的感情が介在しやすいような気がする。極端な話、研修医というのは「誰かが倒れたら、みんなが困る運命共同体」だから、みんな仲が良くなるのは当たり前の話。みんな偉くなって「競争」になれば、別の感情が発生してくるのが人間というものみたいだし。

 僕はこういう「オンオフがキチンとある生活」が好きだった。でも、結果として、そこで生きていくほどの才能もなかったし、「患者さんに聴診器をあてる医者」というイメージを捨てる勇気が持てなかった。そういう選択が正しかったかどうかはわからない。

 いや、そもそも、「選択」だったかどうかすらよくわからない。上の先生に「戻って来い」と言われて、その期日があまりに至近であったため、いろいろワガママを言って、迷惑をかけることはできない、と考えたつもりだったけど、実は、決断をするのを恐れていただけなのかもしれない。他人に決めてもらえば、その人のせいにできるしさ。でも、医者の世界というのは、ちょっと気を抜けば、奈落の底にまっさかさまだ。今はのほほんとしていても、明日は医療ミスで被告席に立っている可能性が十分にある。

 結果的に、研究室での仕事も完全には終えることはできなかったし(逆に、縁が切れていないことに少しホッとしてもいるんだけど)、これからの臨床生活、新しい環境にどのくらい適応できるかも心配だし、好きなことを別の緊張感なしにできる「自分の時間」がないことには、不安も感じている。一度離れてみると「毎日24時間オンコール」というのは、やっぱり「普通じゃない」と思う。でも、「好きで選んだ仕事だろ!」と言われるだろうしなあ。

 結局、何をやっても中途半端で、決断力もなく、面倒なことから逃げることばかりを考えているのだ。本当に、僕はどこに行くのだろうか?それよりも、どこに行きたいのだろうか?「お年寄り」を休みなく診ているうちに、いつのまにか自分も「お年寄り」になってしまう。そんな生き方は、ひとつの理想なのかもしれないが、そういうのが怖くないと言うと嘘になる。

 たぶんね、この山を越えたらまた「適応」できると思う。でも、いつまでそれが続けられるかは、自分でもわからない。

 ああ、医者失格。いやむしろ、人間失格……