第89夜 記録より、記憶に残るカルト風ゲーム「レリクス」
この「レリクス」というゲーム、発売時はかなり話題になったので
(発売がやたら遅れた、ということも含めてですが)御記憶の方も多いのではないでしょうか?
このゲームのマニュアルには、ゲームの目的については何一つ書かれておらず、
ただ、操作の方法が載せられているのみ。
プレイヤーは、「何をすればいいのか?」をゲームを実際にプレイすることによって、自分で探していく必要があるのです。
実際は、みんなパソコン雑誌などで情報を得たりはしていたんですが。
現在であれば、「手抜きだ!」で済まされそうなこういう演出も、当時は、すごくミステリアスで画期的な印象だったのです。
「音楽・クリスタルキング」というのも(実際、彼らのヒット曲は「大都会」一曲、いわゆる「一発屋」の代名詞だったのですが)、あの有名グループが!と僕たちを驚かせたものです。
現在では人気アーティストがゲームの曲を作ったり、主題歌を歌ったりするのはごく当たり前になりましたが、当時は、すごく画期的なことだったので。
実際にゲームの中で使われたのは数曲だったと記憶しているのですが、彼らが作曲したオープニングテーマは、僕が遊んだシャープX1のPSG3重和音でも、やたらとカッコよかったのを想い出します。
さて、ゲームの内容なのですが、まず最初にプレイヤーは黒い小さなモヤモヤした感じの影として存在します。このままでは何もできませんし、ボヤボヤしているとジッとしているだけで生命力が尽きてGAME OVERです。
そこで、身近にいる生命体(兵士orウサギみたいなやつ)に乗り移って、今度はその身体を操って冒険を進めていくのです。
とりあえず、それなりに強そうな兵士に乗り移って、まずは弱そうなウサギをやっつけると…えっ?そう、今度はプレイヤーは、倒したウサギに乗り移ってしまうのです。
そう、このゲームのシステムは(基本的に)自分が倒した相手に乗り移っていくようになっているのです(「おじゃまユーレイ君」みたいですね、とか言っても、たぶん誰も知らないか、例えになってないや…)。
つまり、己の快楽のために、弱い敵を倒してしまうと、とんでもないことになります。
倒す必要のある敵だけを倒すのが、真のエンディングへの唯一の道。
(ちなみに、このゲームにはマルチエンディングらしいです。でも、僕はいわゆる真のエンディングしか、「見せてもらって」ないのですが)
ゲームの後半のほうでは、必要な鍵を取るために、6匹の中ボスのうち1匹を倒さないといけません(ちなみに、どれが鍵を持っているのかは、ゲーム中ではほとんどノーヒント)。
しかし、他の5匹を倒すと、乗り移ってしまったり、バッドエンディングに一直線だったりするという、詐欺のような設定。
結局、プレイヤーは、なんとかこの面までたどり着き、中ボスを一匹倒して鍵が出なければリセットして最初から、というなんともいたたまれないプレイを余儀なくされたのでした。
パートナーの女性を救出して、一緒に(ところが、この女の子はプレイヤーの後ろをついて歩くんだけど、よく障害物に引っかかって動けなくなります)巨大な地下迷宮を脱出し、HAPPY END!!エンディングは感動的です。
クリスタルキングの名曲も聴けるのですが、惜しむらくは、当時のようなインターネットもなく、攻略記事もパソコン雑誌(しかも月刊…)で小出しにされていたような状況では、果たして、このエンディングにたどり着けた人が何人いただろうか…ということです。
ああ、そういえば「ポプコム」とか読みながらゲームやってたなあ、とこれを書きながら想い出しました。
ちなみに、僕がなぜこのゲームのエンディングを観られたかというと、友達のゲームマニアが、僕の家に遠征してきて、最初から最後までやって見せてくれたから、なんですよね。
たぶん、自力でエンディングを見ることは不可能だったと思うのですが、やっぱり、他人に自分のゲームをクリアされるのは、なんとなく寂しかったなあ。
当時は、こうやって友達の家でRPGを最初から最後までクリアしたヤツが、けっこういたものです。ハードも一家に一台、なんて時代じゃなくて、カセットだけ持ってきて、他人の家でずっと遊んでるヤツとか。
この「レリクス」、発売当時は「なんじゃこりゃ?」と多くの人が言っていたような記憶がありますが(ファミコン版は、問答無用のクソゲーでした、ちなみに)、発売から時間が経つにつれ、「時代を先取りした、オリジナリティあふれる作品」と言われるようになってきた記憶があります。
確かに、「目的を探すのが目的」という世界観とうねうねと動く多関節キャラは、後のゲームにけっこう影響を与えたのではないでしょうか?
まあ、記憶のゲームは、だいたい美化されるものではあるんですけどね。