ある夜、患者さんに救われた話


※この話はフィクションを含んでいます。


 その日は、ひどい1日だった。朝から外来に人がたくさん来ていて、ようやく昼ごはんが食べられると思ったら、今度は急患がやってきて、僕は外来を離れることができなかった。おまけに、その日は午後から専門学校の講義に行かなければならず、その時間はさしせまっていた。その専門学校の講義というのも、率直なところ「押し付けられた仕事」であり、気乗りがしないものだった。だいたい、そこで働いている看護師の卵たちを朝から働かせているのは近辺の開業医の先生たちなのに、彼らは、「自分の病院の仕事が忙しい」という理由で。そういう雑用は、僕たちのところにやってくるのだ。そして、この病院の偉い人たちは「じゃあ、先生やっといて」と、そういう仕事を僕たちに分け与えてくださる。日頃の外来と病棟の仕事だけで、僕らはいっぱいいっぱいだというのに。「じゃあ、先生それやっといて」。偉い人は簡単にそう言うけれど、講義をするのに必要な手間というのは、その場に行って喋るだけじゃない。そのための準備には、講義の何倍もの時間がかかるだけどなあ。

 そんなこんなで、いろんな仕事を押し付けられてイライラしていて、さらに時間も差し迫っている状況で、その急患のおばあちゃんは外来を受診された。まあ、そういうのはこちらの事情なので、表に出さないように検査をしていったら、見た目は比較的元気そうには見えたのだが、どう考えても入院が必要な状況だった。外来の看護師さんには「今日は講義があるから、お昼近くの紹介の患者さんは、救急当番の先生に」と言っておいたのだけど。

 もっとも、看護師さんが見た目で重症度を100%判断できるというわけではないのだ、そんなことはわかっている。でも、その日は、あまりにも間が悪かった。

 もう時間がないので、バタバタと最低限の入院指示を出して、僕は講義に行った。その講義は、なかなか辛いものだった。ただでさえややこしい内容に、朝から働きづめだった生徒たち、蒸し暑い午後の教室……

 そりゃ居眠りするに決まってるよな、僕だってたぶん寝る。でも、話している側とすれば、忙しい中仕事の合間を縫ってきたにもかかわらず、そういう壊滅的な状況で喋り続けるというのは、とてもとてもつらいことなのだ。

 ようやく講義を終えて、病院に戻ってから、僕は、入院した患者さんのデータを持って、外科の先生たちに相談に出かけた。状況によっては、手術が必要なのではないか、と思ったからだ。

 外科の先生たちは親切に相談に乗ってくれたのだが、そこでの結論は、「うちの病院では診られない、専門的な病気の可能性があるから、大きな病院に行って、そこで診察してもらっておいたほうがいい」ということになった。僕は、そういう外科的な判断に従うしかない。

 そこで、もう辺りも暗くなった中、疲労困憊しながら救急車に乗って、大きな病院まで患者さんと一緒に行った。そこで診てくれた先生は、「うちの科じゃないね」と言って、そこの内科の先生に相談してくれたのだが、内科の先生は申し訳なさそうに「ベッドが満床なんだよね」と仰った。どうせだったら、いざというときに専門科で並診できる大きな病院のほうが良いに決まっているとは思ったのだが、結局、僕たちはそのまま元の病院にトンボ返りすることになった。だって、それ以外にはどうしようもないから。

 帰りの救急車も、行きと同じくらい、ものすごく揺れた。もともと乗り物酔いしやすい僕は、胃がキリキリするのを感じ、今日1日、ただひたすらいろんなものに振り回され続けて、結局増えたのは自分の仕事だけだった、という事実に疲れ果てていた。

 僕はたぶん、疲れ果てた表情で、救急車の座席に座っていたのだと思う。そんな僕のほうを見ながら、患者さんのおばあちゃんは、自分も苦しいはずなのに、僕に向かって、こう言った。

 「先生、こんなに良くしていただいて、ありがとうございます。先生のおかげで安心しました」

 僕は、正直自分が情けなくなった。こんなに、自分の都合ばっかり考えていることに。でも、その一方で、涙が出そうなほど嬉しかった。おばあちゃんは、「こんな、たらいまわしにされて…」と怒ってもよかったのに、僕に感謝してくれたのだ。

 そのとき、僕は救われたのだと思う。

 車酔いに苦しみながらも、この人が少しでも元気で長生きしてくれるのなら、ちょっとくらい辛い目に遭ってもいい、と心から思った。

 医者というのは、「患者さんに尽くすのが当たり前の仕事」なのだろう。

 でも、やっぱり、こんな時代だからこそ、自分を常にミスがないか見張っているような人だけでなく、信頼してくれる人がいてくれることが、とてもありがたく感じられる。

 たぶん、いい医者というのは、いい患者さんによって作られるのだ。誰かから必要としてもらえることは、自分を高めようという大きなモチベーションになる。少なくとも、僕は、そういうタイプの人間で、自分を高めるためだけに、不断の努力を続けることは出来ないと思う。

 一方で、それが積み重なっていくと、自分を大きく見せようという「歪み」みたいなものが、ずっと積み重なっていって、自分を追い詰めていくことだってあり、本当に、そういう「バランス」っていうのは、難しいものではあるのだとしても。