僕がパニックに陥った理由
このあいだ、当直室で夜、そろそろ寝ようかな、などと思いつつテレビのチャンネルを回していたら、田中美里と長嶋一茂が、なんだか深刻な表情で対談をしていた。
そういえば、「With Love」以降、けっこうテレビに出ていた田中美里だが、最近あんまり見なくなっていたような気がした。
対談の中で、彼女は、自分の「パニック障害」について語っていた。金子みすずを描いた映画の撮影に入る直前に、突然、動悸や過呼吸が出現するようになり、強烈な対人恐怖や視線恐怖を感じるようになったとのことだった。彼女は、高齢者しかまわりにいないような病院に入院し、しばらくの間は外出も怖くてできなくなり、部屋に引きこもっていたこと、自分が子供の頃から「いい子として周りの期待に応えないと」と常に思っていたのが原因ではないかと思っていることなどを話していた。「退院したかったら、いつでも帰っていいよ」と言われていても、外に出ることができなかった日々。
聞き手の長嶋一茂も、以前にパニック発作に襲われたことがあるということを話していた。突然おとずれる、とてつもない不安感。彼も「長嶋茂雄の息子」として、けっこうプレッシャーを感じ続けてきたのだろうなあ、と思う。
僕も、同じような経験をしたことがある。入院が必要なレベルではなかったけれど。
あれは、研修医2年目のことだった。当時の僕の指導医は、切れ者だが気難しいという評判の女医さんで、あまり仕事をテキパキとこなせるタイプではない僕とは、まったく馬が合わなかったのだ。
まだ、そこの病棟にローテーションしてきたばかりで、仕事にも全然慣れていない時期に「どーして、この検査が入ってないの!」とか「文献、調べてないの?」とか「やる気あるの?」とか毎日言われていたものだった。
ある日のカンファレンスの直前の時間帯、カンファレンスルームで独り、レントゲン写真を診ていたら、急に心臓がバクバクといいだし(本当に、自分の心臓の音が聞こえたのだ。理性ではそんなことがない、とはわかっているんだけど)、脂汗がタラタラと流れ出し、呼吸が苦しくなった。これが過呼吸なんだなあ、と自分の中で分析しつつ、休んでいたら、なんとか30分くらいで治まったのだが、それから、その先生のことを考えると、何度も同じような発作が起きた。
結局、僕はその先生をなるべく避けるようにして、その病棟の3ヶ月間のローテーションを乗り切った。もうちょっと長かったら、危なかったかもしれない。
僕も「いい子でありたい」と子供のころから思っていたし、医者になってからも「優秀な医者でありたい」という気持ちが強かったのだろう。当時は「うまく仕事がこなせない自分が悪い」と悩んだこともあった。
でも、今から考えると、多分、自分で自分を追い詰めていたのだ。人間関係なんて、どちらかが一方的に悪いなんてことはまずありえないし、相手が悪いところは、相手のせいにする。付き合っていくことにストレスを感じる相手ならば、極力避ける。それでいいのだ、きっと。
世の中、「負けずに立ち向かえ!」という人は、けっこういるけれど、それができる人は、たぶん、そのほうがいいだろうとは思う。
人前で緊張する人に「みんなカボチャだと思えばいいんだよ」なんてアドバイスする人はけっこういるものなのだが、そんなことができるなら、もともと緊張したりしないものだ。
緊張する人はするし、パニックになる人はなる。それは、受け入れないといけない悲しい現実。でも、どうせなら、そういう面が自分にあるということを知って、なるべく起こさないように生きたほうがマシだ。
緊張して人前でしゃべれなければ、あらかじめ原稿をしっかり作り、予行もして、緊張しながらでも、それなりのことができるように準備をしていくべきだし、仕事なら、突っ込まれても大丈夫なように予習しておくべきだ。
でも、それでもダメだと思ったら、逃げることだって、ひとつのテクニックだ。誰だって、道端で熊に会ったら逃げる。命の危険まで感じたら、わざわざ立ち向かう必要性なんて、どこにもないのだ。
僕のパニック発作の体験は、いまのところその先生にまつわることだけだ。その先生のいる病棟を離れてからは、パニック発作は起こったことはない。
医者としてまがりなりにも経験を積んだということもあるけれど、実は、自分がある程度上の立場になってくると、まわりから攻めてこられる機会が減ったという要因も大きいような気がする。
年をとるのも、生きていくうえでは悪いことばっかりじゃあないさ。
今でも、その先生のことを思い出すと脂汗が噴出してきそうなのだけれども。