「福島大野病院事件」地裁判決への雑感



Asahi.comの2008年8月20日の記事「産科医に無罪判決 帝王切開での女性死亡事故 福島地裁」


【福島県立大野病院で帝王切開手術を受けた女性(当時29)が死亡した医療事故で、福島地裁(鈴木信行裁判長)は20日、業務上過失致死と医師法違反罪に問われた医師、加藤克彦被告(40)に無罪(求刑禁固1年、罰金10万円)を言い渡した。事件は、治療における医師の判断、手術法の選択にまで捜査当局が踏み込んだものとして注目されていた。

 判決では、加藤医師が女性の癒着胎盤をはがした判断と行為について「胎盤をはがさずに子宮摘出に移れば、大量出血は回避できた」としながらも、「胎盤をはがしはじめたら、継続するのが標準的医療。はがすのを中止しなかった場合でも具体的な危険性は証明されていない」と述べ、過失にあたらないとした。異状死の場合、死亡後24時間以内に警察へ届けなければならない医師法違反にも問えないとした。

 判決によると、加藤医師は、福島県大熊町にある大野病院の産婦人科医で、手術は04年12月に行われ、女性にとって第2子となる赤ちゃんを帝王切開手術でとりあげた。女性は第1子も帝王切開で出産していた。

 胎盤は通常、お産後に、自然にはがれる。しかし、女性の場合、胎盤が子宮から離れない「癒着胎盤」で、かつ胎盤が産道につながる部分をふさいでいた。胎盤を手ではがそうとしてできなかった加藤医師は、手術用のはさみを使ってはがしたが、大量出血。輸血しながら子宮の摘出手術に切り替えたが、女性は4時間半後に死亡した。

 検察側は鑑定などから女性が前回帝王切開した時の傷跡に胎盤が接触しており、加藤医師が事前の診断で癒着胎盤を予見できたと主張していたが、判決では、弁護側の主張通り、「胎盤が前回帝王切開した傷跡に(接触して)なかった」と認定した。

 鈴木裁判長は「(検察側が証拠とする)一部の医学書と齟齬(そご)があるために、臨床現場で迅速な判断ができないのなら、医療現場に混乱を与える」と検察側の立証の甘さを指摘した。

 検察側は、加藤医師の過失について、「胎盤を無理にはがせば大量出血すると予見できたのに、子宮摘出に移らず、はさみで漫然とはがし続けた」と指摘。一方、弁護側は「胎盤をはがせば通常、血は止まる。はさみを使っても出血量は増えておらず、被告の行為は臨床医学の水準に反していない」と無罪を主張していた。(高津祐典)

 〈福島県立大野病院事件〉 04年12月17日、帝王切開手術を受けた女性(当時29)が死亡。外部の専門家による県の医療事故調査委員会が、執刀医の判断の誤りを認める報告書を作成したのをきっかけに、福島県警が06年2月に医師を逮捕した。医療界は「医療全体の萎縮(いしゅく)を招く」として強く反発していた。】

参考リンク(1):福島県立大野病院事件の福島地裁判決理由要旨(asahi.com 2008/8/20)


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 この判決をお昼にニュースで見たときは、正直「安心」しました。この事件に関しては、「これで有罪になるのなら、もう、産科医はみんな逃散するし、少しでもリスクのあるお産はどこも引き受けてくれなくなるだろうな」と思っていましたし、産科だけの問題ではなく、もしこの事件が「有罪」で、そういう判例ができてしまえば「結果が悪ければ、そのプロセスはかえりみられずに医者が逮捕される」という事例が頻発するのではないかと考えていたので。

 でも、ひとりの患者さんが不幸な転帰で亡くなられたということと、この判決は「産科をはじめとする、日本の医療の地すべり的な崩壊」を防いだものの、「医療崩壊の流れ」そのものは、昨日も今日もけっして食い止められたわけではないのです。

 被告席に立たされた医師が失った時間と受けた心の傷のことを考えると、この裁判に「勝者」などどこにもいないという虚しさだけが残ってしまうのです。

 そんな中、こんな記事を見つけて、僕はさらに暗澹たる気持ちになりました。


参考リンク(2):妊婦失血死事件無罪判決 医師「もう一度医療に」 父涙ぐみ「許せない」

【手術中の判断をめぐり、執刀医の刑事責任が問われた県立大野病院事件。医師の不足や過酷な労働状況が改めて浮き彫りとなる中で迎えた20日の判決公判で、福島地裁が下した判断は「無罪」だった。微動だにしない加藤克彦医師(40)。がっくりと肩を落とし、涙をぬぐう亡くなった女性=当時(29)=の遺族。廷内は関係者が沈痛な表情を浮かべ、重苦しい雰囲気に包まれた。

 加藤医師は判決に先立つ午前9時45分ごろ、タクシーに乗り、地裁前に到着した。グレーのスーツに白ワイシャツ、赤茶のネクタイ姿。自信と不安の入り交じる複雑な表情をのぞかせながら、弁護人とともに、しっかりした足取りで地裁の建物内に入った。

 午前10時過ぎに入廷すると、正面の裁判官に向かって一礼。そして、遺族が座っている方向に向け、深く頭を下げた。鈴木信行裁判長に名前などを確認されている間は緊張からか、せわしなく両手を動かしていたが、「無罪」の主文が言い渡されると、身じろぎせず聞き入った。

 加藤医師は女性が死亡した後も県立大野病院ただ1人の産婦人科医として勤務し、逮捕時にも約10人の入院患者と20〜30人の外来患者を抱えていた。妻も第一子の出産間近で、加藤医師は自分で子供を取り上げる予定だったという。

 しかし逮捕で状況は一変。妻の出産に立ち会えず、患者のケアも不可能になった。保釈後も現場に復帰せず、休職を続けていた。「謹慎に近い状態で、医学博士の学位を取るために自宅で研究を続けていた」(弁護人)。今年5月の結審時には、「もし再び医師として働けるなら、もう一度地域医療の一端を担いたい」と希望を述べていた。

 一方、亡くなった女性の遺族もまた、「無罪」を言い渡した裁判官を見据えながら判決に聞き入った。「県立大野病院でなかったら、亡くさずに済んだ命。許せない」。これまでの公判で涙ぐみながら訴えた父親は、この日、祈るように両手を組み合わせたまま、判決理由に耳を傾けた。

 判決の朗読が始まって5分ほどたった後、うつむいた父親が突然涙をこぼし始めた。感情を抑えられない様子で、手にしたハンカチでいくども涙をぬぐった。

 無罪判決を伝えるニュースは、県立大野病院の待合室でも流れた。5年前、加藤医師のもとで出産した同県楢葉町の店員、宮本美樹さん(27)は「説明がわかりやすい先生だったので良かった」。病院関係者は「ほっとしているが、患者が亡くなったのは事実。お悔やみ申し上げる」と話していた。】


参考リンク(3):「病院には真相明らかにしてもらえなかった」 - OhmyNews:オーマイニュース

最初に陳述に立った女性の夫は、手術前に加藤医師から説明を受けたときのことを振り返り、「輸血を用意し、万が一に備えて応援医師も依頼してあるという加藤医師の言葉に、『そこまでしてもらえるのか』と安心して、すべてを託した」「『天国と地獄』という言葉があるが、それがそのまま、当てはまる状況だった」と語った。

 帝王切開手術当日。予定通り、女性が手術室に入って、まもなく赤ちゃんが生まれた。

 
「ところがいつまで経っても妻が戻ってこない。看護師に聞いてもはっきりしない。そのうちに奥の部屋に呼ばれて、先生が突然、『申し訳ありません。亡くなりました。いま蘇生しています』と頭を下げた。手術の説明を受けたが、とても納得のいくものではなかった」

 夫が繰り返しのは「責任」という言葉だ。柔らかい語り口ながら、激しい言葉使いで医師を非難した。

 「(結果が悪かった)責任を(患者の身体状況に)転嫁しないでほしい。何が欠けていたのか、なにがミスだったのかを厳粛に受け止めてほしい」

 「弁護側は、医師の処置には問題はなかったというが、問題がないならなぜ妻は亡くなったのか。人間の体はさまざまというが、それに対応するのが医師の仕事だ。分娩室に入るまで健康だった妻はどうして亡くなったのか。病院は不測の事態のための設備を整えているはず。ということは、ミスが起きたのは医師の責任だ」

 「私は、子どもと妻のために、医師の責任を追及する。責任を取ってほしい。取ってもらいます」


参考リンク(4)「なぜ事故が」帝王切開死、専門的議論に遺族置き去り(読売新聞)

【一方、亡くなった女性の父親、渡辺好男さん(58)は、最前列で傍聴した。主文読み上げの瞬間、驚いたような表情で鈴木信行裁判長を見上げた後、厳しい視線を加藤医師に投げかけた。

 加藤医師は、約2時間20分にわたった言い渡しの後、傍聴席の遺族の方を向き、深々と頭を下げた。

 渡辺さんは判決前、「なぜ事故が起きたのか、なぜ防げなかったのか。公判でも結局、何が真実かはわからないままだ」と話した。

 あの日、妻(55)から「生まれたよ」と連絡を受けて病院に向かった。ハンドルを握りながら、娘に「もうすぐクリスマスとお正月。二重三重の幸せだな」と声をかけようと考えていた。

 病院に着くと悲報を聞かされた。1か月前、左足を縫うけがをした渡辺さんを、「体は大事にしなよ」と気遣ってくれた娘だった。

 帝王切開で生まれた女の子と対面した娘は、「ちっちゃい手だね」とつぶやいたという。これが最期の言葉になった。娘の長男が「お母さん起きて。サンタさんが来ないよ」と泣き叫んだ姿が脳裏から離れない。

 「警察に動いてほしかった」と思っていた時、加藤医師が逮捕された。

 「何が起きたのかを知りたい」という思いで、2007年1月から08年5月まで14回の公判を欠かさず傍聴した。証人として法廷にも立ち、「とにかく真実を知りたい」と訴えた。「大野病院でなければ、亡くさずにすんだ命」と思える。公判は医療を巡る専門的な議論が中心で、遺族が置き去りにされたような思いがある。】


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 これらを最初に読んだときには、この亡くなられた患者さんの父親は、「わからない」って言う前に、少しはこの病気のことを勉強すればいいのに……「自分が病気のことを理解できないから医者のせい」じゃたまんないよ……と正直感じました。自分の家族に起きた不幸を「誰かの責任にする」ことによって、この人は自分が救われようとしているのだな、と。

「県立大野病院でなかったら、亡くさずに済んだ命。許せない」

ああ、それなら、福島という田舎に住まずに(福島の人ごめんなさい)、東京の有名病院の近くに引っ越して、そこで分娩すればよかったのに。都会でも田舎でも「世界最高水準の医療」を受けられるなんて幻想であることは、考えてみればわかるはずなのに。本当に「最高の医療」を受けたいのであれば、受ける側にだって、それなりの「覚悟」や「犠牲」だって必要なんじゃないの?どんなに精神論や建前論を振りかざされても、竹槍でB29は落とせないよ……「応援を呼べ」って言われても、「余剰戦力」がないのだから……

 でも、それは医者として、第三者としての僕の見方であって、実際に「元気だった娘を突然亡くしてしまう」という体験をした人が、そういうふうにして悲しみを乗り越えようとするのを責めるのは、あまりに冷酷なのかな、とも思います。

 こういう「家族の言葉」をドラマチックに報道することが、この事件において誰かのためになるのか? 僕はとても疑問です。

 おそらく、この家族のところには共感の声と同時にバッシングも届くでしょう。そして、彼らはいっそう頑なになって、「病院は、裁判は『真実』を教えてくれない」と叫び続けるのではないでしょうか。彼らにとって受け入れられる「真実」が出てくるまで、その「闘い」は続くはずです。たとえ、そんな「真実」がどこにもないとしても。

 唯一「得をする」のは、こういう扇情的な記事を書いて読者にアピールできるマスコミだけではないでしょうか。

 僕はこの事件や「わりばし事件」のことを考えると、とてもやりきれない気持ちになります。

 どうしてみんな、人の死を「誰かの、あるいは何かの責任」にしたがるのだろうか?と。

 この大野病院事件では、亡くなられた女性は子どもと自分が生きるために頑張ったのだし、担当の医師も、現在の自分に与えられた環境で、できる限りのことをした。でも、彼らの努力にもかかわらず、ひとりの女性の命が失われた……

 それは、「悲しいこと」ではあるけれど、誰の「責任」でもないはず。

「自己責任」なんていう言葉が一般的になりつつありますが、この世界で起こるすべてのこと、誰が悪いわけでもないことにまで「誰か責任をとるべき人がいるはず」と「犯人探し」をしてしまうというのは、良い傾向だとは僕には思えないのです。
 こんなやりきれないときのために、「運命」という言葉があるんじゃないかな……

僕は「医者というのは、感謝されることもあるけれど、恨まれることも多い職業」だと認識しています。どんなに医療側が全力を尽くしても、患者さんの状態が悪ければ、どうしようもない場合は多々あります。「もっと大きな病院で診てもらえばよかった」「もっと有名な先生に……」などという呟きが聞こえてくることもよくありますし、不幸な転帰を辿った患者さんに「感謝しろ」と言うつもりはさらさらありません。「もっと良い医者だったら……」と家族に陰で言われるくらいは、給料のうちだと考えるようにしています。でないと、田舎の中核病院で仕事を続けていけません。

 僕自身も、眠れない夜などに「あの患者さんは、僕があのときこうしていれば、もうちょっと良くなったのではないか?」とか「専門の先生がすぐに診ていれば、別の結果になったのではないか?」と自責の念にかられることはあるのです。たぶん、ほとんどの医者が、そうなんだと思います。今回心ならずも被告席につかされることになった医師も、いろんなことを思い悩んだはずです。「もし、あの場にいたのが自分でなかったら、この患者さんは助かったのだろうか?」と。

「世界一の最新鋭の設備の病院」で「世界一の名医」が執刀すれば、亡くなられた女性は助かったかもしれない。そう考えると、人間として、家族に頭を下げるのは自然な感情ではないでしょうか。

 ただ、それは「訴えられること」や「逮捕され、刑事事件の被告として裁かれること」とは別です。

 今回の事件について、僕が悔しかったのは、この裁判の(地裁での)判決が出るまで、警察・検察が「かなり強引な『証拠』や『証人』を振りかざして、裁判を続けたこと」でした。たぶん、彼らの「面子」が、途中で降りることを許さなかったのでしょう。

 しかしながら、そのせいで、被告席に立たされた医師は多くの時間を無為に過ごすことを余儀なくされ、自分の家族に起こった不幸を誰かの「責任」にして苦痛を緩和せざるをえなかった人たちは、どんどん自分たちの中での「真実」をつくりあげてしまったのです。

 おそらく、彼らも裁判の途中で、「これは無罪だ」と感じていたはずです。でも、「起訴した事件の99%が有罪」であり、「起訴した事件が無罪になることは恥」だという日本の検察には、「勇気と良心に基づいた撤退」ができなかったのだと思われます。

 少なくとも、こういう裁判が行われたという事実だけで、判決が「無罪」であっても(もちろん「有罪」であるよりははるかにマシではあるとしても)、産科医の減少は続いていくでしょう。いや、産科医に限らず、リスクの高い科を目指す医学生が減っていくのは間違いありません。

 それにしても、医療費削減とかのお金のこと以外で、医者たちがこんなに団結して社会にアピールしたのは、この事件がはじめてだと思います。
 しかも、医師会の偉い人たちだけでなく、ネットでも草の根レベルでの支援が展開されました。

 そういう意味では、大きな「転機」でもありますし、また、それだけ現在の医療現場は厳しい状況にある、ということなのでしょうね……