「大きな病院で働く」ということ


 転勤になって、そろそろ2ヵ月が経つ。ようやく少し慣れたかな、というのと、急患の多さやオンコール待機・当直のキツさに、かなりバテてきているというのとその両方だ。

 現在勤めている病院は、前の病院とそんなに離れてはいないので、前の病院で診ていた患者さんと偶然会うことがときどきあるのだけれど、そんなとき、多くの患者さんは、僕にこんなふうに話しかけてくれる。

「先生、こんな大きな病院に移られるなんて、御出世ですね」

 こういうのはお世辞半分というか、逆に規模が小さな病院に移ったからといって「左遷されましたね」なんて言われることはないのだろうけど、たぶん、多くの患者さんにとっては、「大きな病院で働いている医者は偉い、優秀」という感覚なのだろうなあ、とは思う。

 でもまあ、実際のところ、大きな病院に移ったからといて、僕自身が急に変わったり実力がついたりするわけもないのだけれども。

 新しい病院に移って、仕事は圧倒的に忙しくなったし、働いている時間も長くなった。急患も多く、仕事上のリスクも大きい。しかしながら、給料は前の病院よりもちょっと下がってしまった。

 ……どこが「出世」なんだ……と、愚痴りたい気分になることだってあるのだ。

 メリットといえば「勉強になる」というのと「いざというときに、各専門科の先生にすぐに相談できる」ということ、そして、「大きな病院で働いていると、なんとなく偉くなったような気分になれる」ということくらいだ。まあ、「勉強になる」というのは確かに大きなメリットなのだが、医者というのは、このくらいのメリットのために、忙しく、より給料が安い職場で働くことを望みがちな人種なんですよね。みんなが教授になれるわけもないのに。

 こうして「受け入れる側」になってみると、とにかく近くの開業医の先生のところや病院から、たくさんの患者さんが送られてくる。「状態が悪いから」「ウチで診るのは不安だから」ということで。

 それを受け入れるのがこの病院の使命ではあるのだが、まだ来て間もない僕にとっては、救急車が玄関で順番待ちをしているような状態というのは、やはりすごくプレッシャーがかかるし、精神的にもに肉体的にもキツイ。たぶん、どの先生もそうなんだと思う。

 それでも、リスクはどんどん大きな病院へと流れてくるのだ。

 大きな病院には「なんでもできる」というイメージがあるかもしれないが、かわりに「小回りが効かない」というデメリットもある。前の病院では、「たまにフラットすることがあるので、一度頭の検査をしてほしい」と患者さんに言われたとき、すぐにCTのオーダーを出して、僕にわかる範囲で説明をしていた。もちろん、何か問題がありそうなら専門医に相談することにして。

 しかしながら、今の病院には、それぞれの専門の医者がいるので、患者さんが「ちょっと気になるので……」というレベルの患者さんの「希望」に対して、どこまで僕が自分で調べていいのか正直迷ってしまうのだ。なんでも自分でやろうとしてしまうと僕がいっぱいいっぱいになってしまうし、あまりにちょっとしたことで専門の先生に回していたら、その先生も身が持たないはずだし……病院であるにもかかわらず、「ちょっと風邪ひいたくらいだったら、近くの開業医の先生のところでまず診てもらってくれないかなあ……」なんて考えてしまうこともあるのだ。あまりたいしたことのない症状で来院されて、診察・検査の待ち時間が長いことを責める新患さんもいらっしゃるのだが、患者さんが多い病院を自分で選んでしまっているのだから、そんなふうに言われても……と悲しくなるばかりだ。僕だって、昼ごはんも食べず、トイレにも行かずにずっと外来をやっているというのに。

 とりあえず、大きな病院で働いているからといって、医者というのは急に偉くなったり実力がついたりするものではない。でも、そんなふうに勘違いしなければやっていられない面もあるのだろうな、というのも、自分で実際に働いてみてわかったような気がする。

僕自身も「患者さんを送る立場」として「大きな病院の医者の横柄な態度」にムカついた経験は何度もあるし、「患者さんを受け入れる立場」として、「なんで金曜日の夕方になってわざわざ……」と憂鬱な気分になることも度々あった。結局、その立場なりの苦労があるのだ、ということなのかもしれないけれど。

 しかし、大きな病院で働いていると、同じ僕という人間に対しても、紹介してくる先生の言葉遣いや態度がちょっと違うような気もするんだよねえ(少し慇懃になっているような……)。そういうのに、踊らされないようにしなければ、と自戒してはいるのだけれど、そういうのに少しは踊らないとやってられないよな、とも感じてしまう今日この頃なのです。