「Ns'あおい スペシャル」の綱渡りっぷりを語る
「Ns’あおいスペシャル」、ドラマとしてはなかなか見ごたえがあったというか、なんで最近石田ゆり子は医者役ばっかりやっているのだろう?医者役をやる女優さんと看護師役をやる女優さんの「基準」みたいなものってあるのかな?とか考えながら観ていました。連ドラのときは、あまりにも「医者はロクでもない人間ばかりで、看護師は患者さんのことを第一に考えている」というような話ばかりに見えて、何度か観てすぐにドロップアウトしてしまったのですけどね。
ただ、このドラマを「医療者視点」で観ていると、「きっと、患者さんたちは、こういうものを医療に求めているのだなあ」ということがよくわかります。例えば、深夜などの時間外でも主治医が目の前に現れて対応してくれることとか、不穏や徘徊に対しても、拘束なんて「残酷なこと」は行わずにスタッフが献身的に看護・介護すること、そして、「データじゃわからない、患者の心の中」を医療者は思いやるべきだということ。
しかし、このドラマで語られていた「美談」には、現場としては怖いところが本当にたくさんありました。例えば、花村さんが自らの意思で退院されたときだって、御家族がいれば、「なんで退院を許可したんだ!」と抗議された可能性は十分にありますし、完全看護ではない病院であれば、あんなふうに不穏や徘徊があって、家族の付き添いが必要なら、家族の側から「危ないので拘束してください」とお願いされることもあるのです。あれは、「非人間的」ではあるのかもしれないけれど、残念ながら、現場では「効率」を優先せざるをえないときもあるし、夜の病棟というのは、何十名もの患者さんに夜勤の看護師が数名とか、そういう病院がかなり多いのです。「じゃあ、あおいちゃんみたいに、スタッフが休みを返上して献身的に看護すればいいじゃないか!」と御家族に責められるようになっては、正直体が持ちません。夏目先生も言っていたけれど、「じゃあ、寝不足でボーっとしている医療者に、あなたは診てもらいたいですか?」という話になってしまいます。実際は、寝不足でボーっとしている医者はゴマンといるので、飲酒運転撲滅とともに、睡眠不足診療も禁止してくれればありがたいのですけど…… いや、夏目先生のキャラクター設定はあまりにも極端なので、あれではみんな頷けないとは思うけれど、僕が患者だったら、大きな治療をしてもらうときには、人柄よりも技術で医者を選びます。というか、「店員の感じはいいけれども不味いラーメン屋と雰囲気は悪いけど上手いラーメン屋」という選択肢ならどちらを選ぶのも好みだとは思うけれど、優しさや温かさというのは、あくまでも「技術があること」前提での付加価値でしかありません(これは、僕自身にも言い聞かせなければならないことです)。
あと、高樹先生は、山形に行くべきだったと僕は思うのですけどねえ。「患者さんを残して、行けるの?」と問われても、山形には山形の患者さんがいるのだし、確かに「患者さんを大事にしている臨床医」という錦の御旗を掲げて、自分をアップデートしないことを正当化しているというのは、耳の痛い話ではあるんですよね。本当は「なるべく新しい、効果的な医療」をフィードバックしていくことのほうが、多少病棟を空けるデメリットがあっても、結果的にはプラスになるのかもしれません。
それと、当直の医者がひとりでてんてこ舞いしているところに救急要請の電話がかかってきて、あおいが「すぐ送ってください!」と答えるシーンがあったのですが、あれは、僕が当直医だったらキレるかもしれません。あの時点ですでに当直医の手に余っていたし、他の医師やスタッフが確実に応援に来てくれるという保証がない状態なら、電話の救急依頼の患者さんは、受けるべきではないと思います。むしろ、あの病院にいる人達のほうを、よそに搬送することを考えるべきだったのではないか、と。いや、もしそれで手が足りなくて患者さんが亡くなったりすれば、安易に受けた側の責任だし。
結局、すべてが「結果オーライ」であったため、「おせっかいな、Ns’あおい」は爽やかに終わっていくのですが、現実は、あんなにうまくいくものではないのです。まあ、そんなことはみんなわかっていて、ファンタジーとして愉しんでいるだけなのかもしれませんけど。
でも、夏目先生のツンデレっぷりと、「パソコンができない」と高樹先生をバカにしながらもキーボードを叩く手つきがあやしかったのには、ちょっとウケました。