第123夜 たとえ配下武将がいなくても!〜『信長の野望・全国版』


ゲーム画面はこちらを御参照ください。


 「全国版」になる前の初代「信長の野望」は、まさにパソコンシミュレーションゲームの草分け的な存在でした。初代は、信長を中心とした17カ国しか登場せず、しかも、プレイヤーは織田信長でしか遊べない(ちなみに、2人用モードがあって、もうひとりは武田信玄になるのですが、こんな時間のかかるゲームを本当に2人で延々とやっていた人って、どのくらいいたのでしょうか)などの制約があったのですが、それでも大ヒットを記録し、「光栄」というゲームメーカーを世に知らしめました。今の「歴史シミュレーションと三国無双」という「KOEI」のイメージには程遠く、「ナイトライフ」とか「団地妻の誘惑」なんていう、アダルトソフトも作っていた時代のことです。
 「信長の野望・全国版」が発売されたのは1986年。僕が高校に入ったころで、ついに入手したフロッピーディスクでこのゲームを始めたときは、その綺麗な画面に驚いた記憶があります。武将の名前もちゃんと漢字でしたし(当時は、漢字が表示されるというだけで、ちょっとした驚きだったので)。
 「全国版」は、同時期に発売された光栄のドル箱「三国志」と比べて、大名のみで配下武将が出てこない(正確には、謀反とかイベントとかで出てくることもあるのですが、自分の部下として操る楽しみはありません)とか、出せるコマンドが各季節に1回ずつで、おまけに大名が死んでしまったら(寿命含む)その勢力は滅亡、なんていう、ある意味シビアなシステムでした。「内政で国力を上げて」といっても、内政コマンドをやっているうちに時間が経ってしまうので、それよりは「豊かな他国を攻めて、そこからの収入をアテにする」ほうがより現実的な選択だったのです。
 そもそも、このゲームそのものが各勢力の戦力差がハッキリしていて、「いつも数ターンで死んでしまう斉藤道三」とか「北条に征服されるために存在している里見」のような武将もいます。もっとも、やりこみ派の人々にとっては、これらの「クリア不能武将」での全国制覇は、かなりのやりがいを与えてくれたみたいですけど。

 とにかく、最初の頃は厳しい状況が続き、「周りの勢力同士が戦いを始めたら、それに乗じて疲弊した国を攻める」というのが常套手段でした。しかしながら、信濃のような「重要拠点だけど、隣接する国が多すぎていろんな国が入れ替わり立ち替わり攻めてくるところ」は、みるみるうちに疲弊していきます。逆に、薩摩の島津とか越後の上杉などは、地理的に敵国と隣接しない「補給国」が作りやすく、有利だった印象があるのです。

 そして、このゲームのもうひとつの醍醐味は、後半の「超大国になったあと」にもあるのです。当時の「信長」は、「天下統一」のように、「自分の勢力が大きくなるにしたがって、他所にも大勢力ができてくる」ということはほとんどありませんでしたから、「圧倒的な兵力をもつ自国軍が、10分の1くらいの弱小国になだれこんで、一撃で敵国を「抹殺」する、という状況になるわけです。お金もありあまってくるので、「暗殺」とかもやり放題。最初のころの「頼むからうちには攻めてこないでくれ…」という状況に比べたら、「泣かぬなら、殺してしまえ」とかいう不謹慎な心境にもなりがちで。
 まあ、慣れてしまえば「ある程度大国になると、後半はつまらない」ということになってしまうんですけどね。
 「三国志」のような、「武将コレクション」の楽しみもなく、ある意味「作業的」な面も大きかったのですが、逆に、そういうところが繰り返し遊べる要因でもあったのです。シンプルで、面倒なシステムはほとんどありませんでしたから。
 この「全国版」は、紛れもなく「日本のシミュレーションゲームの金字塔」だったと思います。当時14800円なんて暴虐な価格設定だった「三国志」に比べて、1万円で買えたのも嬉しかった。
 それでも、みんな内心「やっぱり武将がいたほうがいいなあ」と思っていて、それは「戦国群雄伝」で実現されるのですが、実際にそうなってみると、忠誠度とか戦闘時のめんどくささに疲れてきて、この「全国版」の素っ気ないくらいの単純なシステムが、妙に懐かしくなったりするものなんですよね。