『ブラックジャックによろしく』の影響についての再考


 はじめて「ブラックジャックによろしく」の第1巻を読んだときには、思わずニヤリとしてしまったのを覚えています。
「こんな『現実』を教えたのは誰だ?」って。
 大学からの給料だけでは全然生活できず、当直のバイトで生計を立てている研修医・斉藤英二郎。
 右も左もわからないまま当直をさせられ、あわてふためいて逃げ出そうとする姿に、僕は研修医時代の自分を重ね合わせてしまいました。
 「研修医を描いたリアルなマンガがあるらしい」という噂は以前から聞いていたのですが、まさかここまでやるとは!と。

 それまでの「医者が主人公のマンガやドラマ」って、スーパードクターを中心とした感動の人間ドラマばかりだったので、このマンガの容赦なさは、ものすごく新鮮だったんですよね。
 このマンガが世に出てから、それまでのように医者になったとたんに「お金持ちで羨ましいねえ」なんて言われる機会は少なくなったような気がしますし、研修医の大変さというのも広く認知されたような印象があります。

 どこまで本当かはわかりませんが、新研修制度にも大きな影響があって、研修医がひとりで当直のアルバイトに行くことができなくなったのは、このマンガの影響があったとかなかったとか。
 まあ、その一方で、われわれの間では、「受け持ち患者さん少なすぎ!」とか、「あんな前時代的な医局、どこにあるんだ?」とか言われていたのも事実なんですけど。斉藤は診断書も退院サマリーも書かなくていいし、症例検討会で上司にキツイことを言われることもないですし。

 ただ、このマンガのおかげで、それまで「親と医療関係者からみた、新生児医療の答えのない問題点」であるとか、「抗がん剤治療は、本当に『患者を苦しめるだけ』なのか?」という医療現場での現実が世間に知られるようになったのも事実なんですよね。キレイゴトだけでは医療(そして病気の人とつきあっていくこと)はできない、というのは、「献身的なスーパードクターが、難病を奇跡的に治療していく」という今までの「医者マンガ」にはみられない視点でした。そういう意味では、医療者にとっても、非常に大きな影響があったマンガだったのです。僕は正直、あそこまで患者さんに対して献身的になれる斉藤英二郎に対して、「こんなヤツいねえよ……」と自己嫌悪に陥ることも多かったのですけどね。僕は「日々自分がやらなければならないこと」をこなすのに精一杯の無能な研修医だったので。

 今回『新ブラックジャックによろしく』の第1回を読んだのですが、新章のプロローグということもあり、「皆川さん焦りすぎ!」という以外の感想はとくにないのですけど(というか、泌尿器科って確かに世間からは「外科」のイメージでは見られていないのかな、とは思いましたが)、「精神科編」の最初のほうでドロップアウトしてしまい、それ以降を読んでいない僕としては、もう、『ブラックジャックによろしく』で取り扱われていることが医療問題のなかでは枝葉末節に感じられるほど、医療の「崩壊」は進んできているのではないか、という気がしたのは事実です。多くの患者さんが求める医療の質は天井知らずになってしまって、それに耐えられなくなった医者は、船が沈む前に逃げ出すか、最後まで沈み行く船の甲板で演奏を続けるか迷い続けているのですが、救命ボートの定員は、もう残り少なくなってきています。消極的な選択として「臨床医」を選ぶ医者が増えるというのは、医療の現場にとっては悲しいことなのに。本当の問題は「研修医」や「研修制度」にあるのではなく、もっとごく一般的な「普通の医者」の目の前にあるということを、僕は最近切実に感じています。
 『ブラックジャックによろしく』を「衝撃的」だと思えていた時代は、まだまだ甘かったのかもしれません。