医者同士の「馴れ合い」の世界


参考リンク:くうぶろぐ18年4月


 これを読んでいて、僕は昔、自分の父親に対して感じていたことを思い出しました。
 「いつも病院の話ばかりしていて、飲みに行くのも病院の同僚ばかり。なんて世間が狭い人なんだろう」と内心バカにしていたんですよね、自分の親のこと。
 今から考えてみると、本当に申しわけない話ではあるんですけど。
 そして、実際に自分がこの職業についてみて思うのは、「医療関係者以外と友達としてつきあっていくのは、すごく大変だ」ということなのです。
 勤め先によっても違うのですが、休みも確実にはとれない仕事ですし、医療者以外で接する機会があるのは患者さんくらい。もちろん患者さんに対しては敬意を持って接するとしても、やっぱり「友達」にはなりにくいのですよね。それは当然のことで、患者さんは、病院に「友達作り」のために来ているわけではないのですから。
 「医者は世界が狭い」というのは耳が痛い話です。反省すべき点だと思います。しかしながら、現実問題として、「じゃあ、わざわざ外界に『友達作り』をしに行くだけのエネルギーがあるのか?」と問われたら、僕は正直、「うーん」と考え込むばかりです。たぶん、この広い世界の中には、医者だからといって、偏見を持たない人もたくさんいるのだとは思うけれど。

 漫画家の桜玉吉さんが、以前、こんな話を書かれていました。
 ちょっと珍しい(というか、医者なんて、本来珍しくもなんともないのですが)職業とか、世間で「偉そうにしている」と思われがちな職業の場合、こういう「無遠慮な話の種」にされる機会って、けっこうあるのではないでしょうか。そういう意味では、政治家とか公務員とか学校の先生とかにも、僕は同情を禁じえません。

 いやまあ、「医者だから」という理由でバカにされたりする機会はあまり無いとは思うのですが、「へぇ〜お医者さまですか、すごいですねえ〜」なんて「特別視」されたり、「じゃあ、お金持ちなんですね」なんて言われたりするのって、正直、かなり肩がこるというか、あまり良い気持ちがするものではないのです。そういう「疎外感」があったり、急に病気のことをいろいろと尋ねられたりするというのは、やっぱり、気疲れするんですよね。僕自身はそんな特別な人間ではないにもかかわらず、周りから「異物」として扱われてしまうと、ものすごく居心地が悪くて。中には、「医者」というだけで、「医療ミスとかしてませんよね」とか、面白くもなんともない冗談(になってないけど)を言うような人もいたりして、それなら、仲間内で集まって飲んだほうがいいや、ということになりがちなのです。禁煙しなくてはと思いながらもなかなかタバコがやめられない人のように、「こんな狭い世界じゃダメだなあ」と感じつつも、「やっぱり、今日は疲れたし、同業の友達だけで飲もう」ということを繰り返してしまうのですよね。
 「医者全体」という枠組みでは、「もっと社会にアピールしていかなくては!」と思うのだけれども、「医者である僕個人」としては、「そんなめんどうな思いをしてまで、周囲の人に対してプライベートでまで『説明責任』を果たしたくない」というのが本音です。もちろん、そうやって「外界」と繋がっていくことで心のバランスを取っていける人というのが存在しているというのも、知ってはいるのですが……
 
 外から見たら「ハイソな馴れ合い」のように見えても、その中にいる人間にとっては、「外部の危険(じゃあ、何が具体的に「危険」なんだと問われれば、それはそれで困りますが)から身を守るために、やむをえず身を寄せ合っている」のかもしれないな、という気がするのです。

 この「隔絶」を変えるには、本当に難しいことだよなあ、と。
 大上段に構えて「無知な人々」に説教するよりは、身近な人とのコミュニケーションのほうが、「相互理解」への近道なのかもしれないなあ、と、頭ではわかっているんですけど。

 ただ、僕は医者同士の付き合いも苦手なのですよ、実は。「特別視」されるのが心から嬉しそうな人も、けっこういるものね。