第76夜 オープニングで、もう泣きそうです…『MOTHER』
とにかく、今日はこのゲームについて書かないといけないでしょう。
そう、『MOTHER』(任天堂・1989年)のことを。
1900年代の初め、アメリカの田舎町に黒雲のような影が落ち、1組の夫婦が行方不明になりました。
夫の名はジョージ、妻の名はマリア、2年ほどしてジョージは家に戻りましたが、
どこに行っていたのか、何をしていたのかについて誰に話すこともなく
不思議な研究に没頭するようになりました。妻のマリアの方はとうとう帰ってきませんでした。
こんなオープニングストーリーではじまるこのゲーム、発売当時は、
「あの任天堂が創った本格RPG」ということで、けっこう話題になったものです。
このゲームの監修は、大のゲーム好きで知られた、コピーライターの糸井重里さん。
音楽は、ムーンライダースの鈴木慶一さん、という豪華メンバー。
(しかし、当時は「小室哲也プロデュース!」とか「デーモン小暮監修!」とかもあったから、
ものすごく豪華、というイメージは、正直あんまりなかったです。
「鈴木慶一って、誰?」って感じ(ゴメンなさい)。
「エンディングまで、泣くんじゃない」という有名なコピーで売り出されたこのゲームなのですが、
発売された当初は、「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」のような、
ゲームショップの前に大行列ができるような売れ方ではありませんでした。
だって、グラフィックも、「すごく綺麗」とはいい難いし(最初はあんまり評判よくなかった)、
音楽も派手ではありません(でもこれ、すごくいい曲なんだよ本当に)。
当時の任天堂が、RPGの製作にほとんど実績が無かったこともあり、
「様子見だな」というのが僕らの判断だったのです。
有名人がらみのゲームは面白くない!というのが定説になっていた時代でしたし。
実際、このゲームにも、当時はけっこう毀誉褒貶がありました。
フィールドも街もひとつのマップの中にあり、街に入っても画面が切り替えられずに
そのまま移動できるという斬新な移動方法
(でも、当時は「動かしにくい!」という意見がけっこうあったのです)。
少しだけ超能力が使えるだけの、ごく普通(じゃないけどさ)の少年と仲間たち。
当時のゲームとしては画期的な、SFでもファンタジーでもない、
現代アメリカ(だよね?)をモチーフとした世界観
(これも、あんまりカッコよくない、という人がけっこういました)。
なぜか武器が「いいフライパン」
敵は「おとなしくなった」り、「正気にもどった」り、
味方がやられても「意識ふめい」で入院、というように、
敵も味方も「死なない」「殺さない」というように、
言葉の使い方にもすごく気を遣われていたこと。
(さすがコピーライター!そういえば、堀井さんも「ドラクエ」で同じように、
モンスターを「やっつけた」「たおした」にしたという話を聞いたことがあります)
ちなみに、お金の入手法も、「お父さんが振り込んでくれる」んですよ、このゲーム。
もっとも、その金額は、倒したモンスターに比例するのですが、そんなところにも、
このゲームの世界観へのこだわりを垣間見ることができます。
はじめて汽車に乗ったときの感動や助走が必要なワープ、
さりげなくファミコンの限界を超えていた音楽、
そして、個性的なキャラクターに彩られた、
ちょっとせつないストーリー…(再発されたばっかりなので、細かく書くのはやめますね)
「2」が発売されたのが5年後、そして「3」はNINTENDO64で出ると言われながら、
発売中止となってしまうなど、寡作のために今まであまり振り返られることがなかった
この傑作RPGですが、今回のGBA版「1+2」は、
過去のゲームの再発にもかかわらず、ものすごく盛り上がっているみたい。
少なくとも、「ドラクエ」も「FF」も、「旧作の移動速度が速くなっただけ」のリメイクで、
こんなに盛り上がることはないはずです。
このゲームの「優しくてせつない世界観」は、ひょっとしたらバブルの時代よりも、
現代が求めているものなのかもしれませんね。
やっと、時代が追いついた。