「ものわかりのいい医者」


参考リンク『淡々としていなくもない日常』
 ‘03年12月14日「患者さんの希望にどこまで沿うのが正当なんだろう。」

ちょっとリアクションとしては遅きに失するかもしれませんが。

Nokoさんの上記更新を観て、ああ、僕もそういう(医者として、患者さんに検査の必要がない理由を説明して納得させるべきだ!と声高に叫ぶ)医学生だったなあ、なんて思い出していました。そんな医者の仕事に対する誠意のなさが、「検査漬け」に繋がっているに違いない、と。

しかし、現場で働いてみると、どうも妥協しがちになるのです。

例えば「めまいがする」という患者さんがいるとします。そこで、神経学的所見(まあ、僕がとれる神経学的所見なんて、まだ未熟なものではありますが)をとって、僕の中での診断は「筋緊張性頭痛」の可能性が非常に高いということになったとします。では、そこで、患者さんが希望したとして、頭部CT検査を行うかどうか?

僕の中の答えは、学生時代なら100%「No」でした。そんな「余計な検査」なんて、するべきじゃない。患者さんにその旨キチンと説明して、納得していただくのが医者のツトメだろう、と。ただでさえ「検査漬け」と言われているのに、って。

でも、今は正直言うと「ケースバイケース」です。ひとつは、自分の診断にそこまで確信が持てるか?という問題。そしてもうひとつは、実際に「説得して納得してもらうのは、ものすごく難しい」からです。

例えば、胃カメラや大腸ファイバーのように、患者さんが「キツイらしい」という情報を持っていて、「できればあまり受けたくない」と思っている検査なら、一般的に「やらなくてもいいですよ」と言えば、患者さんは「そうですか」と納得してくれます。

まあ、そりゃそうですよね。好きでキツイ思いをしたい人なんて、あんまりいない。
胃が痛い=胃癌というより、普通の人は「まあ、胃炎か胃潰瘍」くらいの意識でしょうから。

でも、「頭の症状」というのは、人間の不安をけっこう煽るようですし、患者さん側から「そこに検査ができる機械があって、自分は念のために調べてもらいたいと思っている。お金も払う。それなのに、なんであなた(医者)の一存で検査をしなくていいと決め付けるのか?」という問いかけがあった場合、「そんな検査は必要ないからやらない」と言い切れる人間が、どのくらいいるのでしょうか?しかもそれが、本人にとって苦痛を伴わない検査の場合。

CTなら、大人の患者さんにとって苦痛はほとんどないですし(子供はじっとしていること自体が難しいので、話は別)、単純CTだったら、そんなに時間もかかりません。
ただ、同じ「痛くない検査」といっても、MRIはちょっと話が別みたいです。うちの母親は、「狭い中で、ずっとコーン、コーンっていう大きな音がしているし、精神的に参る」と言っていましたから。

また、これにはいくつかの要因もあって、ひとつは経済的な問題もあります。
極論ですが、CTを新しく買って、稼動させなければならないノルマが課せられているような病院では、「積極的にCT検査をすすめてください」と言われることだってありますし、逆に検査が詰まっている大学病院などでは、「検査の適応」について厳しかったりもするのです。

「病院によって検査の基準が違うなんて、そんなのおかしい、間違っている」と思われるかもしれませんが、それは、ひとつの現実です。病院の経営側だって、高いお金を出して買ったCTがあって、使用予定が開いていて、患者さんが希望しているのに、どうして断る必要があるの?って思うのは自然ですし。副作用とかリスクがある検査なら別として。

 それにね、実際のところ、医者が自分に対して持っている自信ほど、患者さんは医者のことを信用してはくれないんですよね、実際のところ。これは、「医者が何をやっているのかわからない」というのと直結しているのかもしれません。

例えば、僕が患者さんの神経学的所見として、ハンマーで手や足をコツンコツンとやって、問診をして、「脳出血じゃなさそうですが」と言っても、患者さんは、なかなか納得してくれません。そう、患者さん自身は、「わざわざ病院に来るくらいの異変を感じていた」のですから、「そんな、何をやっているんだかわからない診察じゃ、納得できない」んですよね。

 医学の基礎知識がない人に、その検査の意味を説明するのは、やっぱり難しいのです。
 こういうときに、残念ながら一枚のCTの写真は、何よりも雄弁です。

 「写真とってみたけど、何もないよ」

 こう医者に言われて「そんなの嘘です!この写真はおかしい!」という患者さんには、僕は出会ったことがありません。やっぱり、目に見える証拠というのは、不安を取り除く力が強いのです。正直、多くの患者さんには「CTの所見」なんて、理解不能でしょう。でも、その「客観的な検査」によって、患者さんは納得してくれ、検査をしてくれた医者というのを受け入れるのです。本当は、「説得」できればいいんでしょうけど、患者さんは「医者に説得されに来ている」わけではありません。自分の症状と不安を取り除いてもらうために来ているのです。

僕自身は、説得を試みて、それでも「検査をしたい」と言われる患者さんには、時間と病院の体制が許せば、「必要はないけど、症状との関連が完全には否定でず、体に害がなさそうな検査」をやるのもやむをえないかなあ、なんて思うことが多いです。

ただし、病院というのが、24時間同じような機能を持っている、というようには、考えていただきたくないのです。夜中の当直医師・看護師しかいない時間帯に「頭が痛いから、CTを撮ってくれ」ということで来られても、緊急でCTを撮ることが必要な場合には、オンコールの放射線技師を呼ばなければならず、「わざわざ起こしてまでは…」ということだってありますし。もちろん、必要な場合にはお願いして検査をしますが。

まあ、これからは「病名によって、保険点数が決まっている」という時代になりますから、「検査漬け」よりも「いかに検査をしないで病気をコントロールしていくか」というのが医者の腕の見せ所になってきます。どの病院だって、「きちんと診療ができて黒字を出せる医者」を求めていますから。

今日読んだ本の中に、マラソンの小出監督のこんな言葉がありました。

【小出監督「だってね、人間というのは自分がいちばん正しいと思ってる。だからこそ、対立もあるし、権力争いもあるんです。会社の経営者も同じだと思うんだけど、監督というのは実績を残さなくちゃいけない。この子たちを世界一にすることだけ考えて、工夫すりゃいい。あの子たちに性格を変えろと言っても無理ですから、僕が変わりゃいいんです。」】
(注:「あの子」というのは、高橋尚子選手や有森裕子選手)

「患者さんのものわかりが悪い」と嘆く前に、医者の側もも少しずつでも変わらないといけないと思うのです。患者と医者の目的は同じわけですから。

もっとも、専門家としては、あまりにものわかりが良すぎると、かえってその役を果たせないこともあるのですが。糖尿病の患者さんには「食べたいんだから仕方がないよね」と食事療法を放棄させるようなことを言うのではなく、憎まれ役になるのが仕事ですし。