いま、「医療系サイト」に求められているもの
「メディカルブログの限界と可能性」(by エキブロ・メディカル)を読んで
僕は「エキブロ・メディカル」に属しているわけではないのだが、この記事には考えさせられるところがあったので、それを書いてみたいと思う。
通算3年半くらいサイトをやっているのだけれど、「医者であること」を表明してサイトを続けていると、そして、サイトに来てくれる人が増えれば増えるほど「書けること」は少なくなっていくような気がしている。ネットというのは「開かれた空間」だから、同僚が読んでいる可能性だってあるし、患者さんの目に触れてしまう可能性だってある。あるいは、メディアに晒されるかもしれない。そんなことを考えはじめると、なんだかきりがなくなってしまう。実名を出して堂々とサイトをやれるのならいいのだろうが(でも、医療のサイトを実名でやるというのは、相当の「覚悟」が必要だと思う)、防衛手段というのは「書かない」「会員制にする」「読まれても大丈夫なように、内容に気をつける」くらいしかないのだ。僕は知り合いに読まれるのはイヤなのだけれど、「万が一読まれていたとしても、なんとかセーフな内容」になるように、最近は気をつけているつもりだ。昔は、本当に「リアルな内容」で、自分しか読まない紙の日記に書くようなものを書いていたんだけどねえ。要するに、保身ですよ保身。
でも、読む側からしたら、どうなんだろうなあ、とも思う。
というか、確実に「つまらなくなった」という人が多いんじゃないだろうか。
具体的な病名を挙げると個人が特定される可能性があるし…なんて考えていくと、「胃潰瘍の患者さんに胃カメラをしたら出血していて…」という内容も、「アレがソレしてこうなって……」なんて、抽象的すぎてわけがわからない。
僕は医療関係者のサイトを数多く見てきたのだが、「いかに自分はすばらしい医者か」「どんなに仕事熱心か」「患者さんに尊敬されて、同僚から一目置かれているか」なんて自慢話が延々と書いてある医者サイトというのは、けっして少なくない。しかしながら、そういうサイトからは、すぐに足が遠のいてしまう。端的に言えば「そんな虚飾に満ちた自慢話なんてつまらない」し、「そんな話をしてくれるヤツは、医局でお茶でも飲んでいれば、たくさん湧いてくる」のだ。
僕は同業者が何を考えているのか、というのはやっぱり気になるし、たぶん多くの「医療系サイトを訪れる医療従事者」も、そうなのだろうと思う。
でも、医療関係以外の人が、医療関係者のサイトに来る理由というのは、いったい何なのだろうか?と考えることがある。「医学」という学問、あるいは「医療」という仕事への興味や憧れなのか、それとも、医療不信の時代だから、監視してやろうという気持ちなのか。
僕に想像できる範囲では、医療従事者以外の人々が「医療系サイト」を読みにきてくれる理由というのは、「医療従事者の自慢話」とか「キレイ事」を読みたいから、だけではないと思う。「ソセ中」(ソセゴンという鎮痛剤の中毒。ソセゴンは非常に効果が強くて有用な薬だが、覚醒剤と類似したような依存性があり、中毒患者が当直医しかいないような夜中に、「痛くて我慢できないから、痛み止めを打ってくれ」ということでやってきて、その必要性があるかについて、当直医を悩ませる)という言葉には、確かに「患者蔑視」のニュアンスが含まれているし、良い言葉ではないだろう。あるいは、「普通に外来を受診すると待たされるから、わざと夜間に受診する」とか「夜に連れてきたら入院させてもらえるだろう」という理由で、高齢者を夜中に救急車で連れてくる」というような事例に対して憤りを表明するのは、「患者様に対して失礼」なのかもしれない。
でもね、医療系サイトの来訪者が本当に知りたいこと、医療系サイトの運営者が本当に話したいことっていうのは、「そういう現実」なのではないだろうか。
例の「ヤクで眠らせちゃうよ」とかいう水戸の女医サイト事件に対して、世間では厳しい批難が浴びせられ、僕もあれはあまりにも露悪的かつ職業倫理に反するものだと思ったけれど、その一方で、ああいう「本音的なもの」を読みたがっていた人もいるはずだと感じてもいるのだ。
「耳障りの悪い言葉を排除する」ということは、確かに「礼儀」だとは思う。でも、だからと言って、あまりに「キレイ事」ばかりになってしまった、接待ゴルフみたいなサイトなんて、面白くもなんともないと思いませんか?そういうのが「ネットというツールを使った、医療従事者とそれ以外の人々の理想のコミュニケーションの形」だとしたら、僕は寂しい。表立って名前を出しては言えない、あるいは言うための手段を持たない医療関係者たちの「本音」を求めている人は、けっして少なくはないはずなのに。
「医療関係者同士の専門的な話題は、別の会員制サイトで」なんていうのも、違和感がある。たとえば、政治家のサイトを集めたコミュニティがあったとして、参加している政治家どうしが「政治の専門的な話は誤解を招くから、別の会員制サイトで」と表明したら、部外者としては、どんな気持ちがするだろうか?「一般向けのほうではキレイ事ばっかり言ってるけど、会員制のほうでは、好き勝手言っているんだろうな…」って思いませんか?
たとえそこで使われているのがわけのわからない専門用語で、関係者以外には意味不明であっても、「オープンにされていること」そのものに意義があるのだし、公開されていさえすれば、本当に興味のある人には、調べるための方法はいくらでもあるはずだ。もちろん、なるべくわかりやすいように書くべきだとは思うが、だからといって、「わからないかもしれないから、書くべきではない」というのは極論だろう。「わからないことを書かれるのは不快」という訪問者の気持ちもわかるし、僕だって「TPOをわきまえない、業界人たちの不快な会話」に苛立つこともある。でもね、「万人に対して不快感を与えない場所」なんて、あると思う?ああいう場でわざとらしく専門用語を使い散らしている人たちには、僕は「ああ、この人は医者になれて本当にうれしいんだねえ…自慢したいんだねえ…」というような哀れみの感情しか抱けないし、そんな人の書くことなんか、わからなくても全然かまわないと思うのだけど。
とにかく、大所帯というのは、何かと大変なのだなあ、とあらためて考えさせられた話ではありました。正直、自分たちの手で「魔女狩り」をして、表現(あるいは問題提起)の幅を必要以上に狭めるなんて、もったいない、とも感じるのですけどね。「大本営発表」みたいなブログなんて、誰も読まないよ。
僕のような弱小個人サイトとしては、どうしても「保身第一」になってしまうので、「エキブロ・メディカル」にはがんばってもらいたいなあ、と身勝手に期待している面もあるのです。
最後にひとつ。「医者って選民思想」とか言う人がいますけど、こういうのって「役人って」「スポーツ選手って」「サラリーマンって」「主婦って」「男って」というのと同じようなレベルの話で、なんでも一まとめにして「レッテル貼り」をしているだけなのではないかと思うのです。「一般人とは違う」って、「一般人」って何だよ?と僕は問い返さずにはいられないんですけどね。