「死ぬまで、あとどれくらいですか?」という問いかけへの2つの答え方
『最後の授業〜ぼくの命があるうちに』(ランディ・パウシュ+ジェフリー・ザスロー著、矢羽野薫訳・ランダムハウス講談社)より。
(膵臓癌の転移で46歳の若さで余命半年と診断された、カーネギーメロン大学教授、ランディ・パウシュさんの大学での「最後の授業」について書かれた本の一部です)
(ランディ・パウシュさんが、膵臓癌の肝臓への転移を告知されたときの話)
【僕にはすべてが見えた。癌は肝臓に転移していた。
ジェイはパソコンのそばに来て、自分の目ですべてをはっきり見た。そして僕の腕のなかに倒れこんだ。僕たちは二人で泣いた。そのとき、診察室にティッシュペーパーの箱がないことに気がついた。自分がもうすぐ死ぬとわかったばかりでも、僕は理性を失わないように努めずにいられなかった。「こんな部屋に、こんなときに、クリネックスの箱がないなんて。ひどすぎる。明らかな管理ミスだ」
ドアをノックする音がして、ウォルフ医師がファイルを手に入ってきた。彼はジェイを見て、僕を見て、パソコンのCTスキャンの映像を見て、何が起きたかを悟った。僕は先手をうった。「知っています」
その時点で、ジェイはほとんどショック状態で泣き叫んでいた。僕ももちろん悲しかったが、ウォルフ医師が癌患者の家族を相手に過酷な仕事に取り組もうとする姿に、感銘を受けてもいた。彼はジェイの隣に座り、彼女を慰めた。そして穏やかに、僕の命を救う努力は、これ以上はしないつもりだと説明した。
「私たちが挑戦するのは、ランディに残された時間を引き延ばして、最高の人生を送れるようにすることです。この状況になったら、通常の寿命まで生きるために医学ができることは、もう何もありません」
「待って、待ってください!」。ジェイが行った。「本気でおっしゃっているの? 『病気と闘いましょう』から、『闘いは終わりです』になってしまうのですか? 肝臓移植だってあるでしょう?」
だめです、とウォルフ医師は言った。転移してしまったら無理なのだ。そして、治療のためではなく、症状を緩和して数ヵ月の時間を稼ぐための化学療法の説明をした。終わりの時に近づきながら、僕が心安らかに人生を送れる方法を探していこう、と。
恐ろしい会話のすべてが、僕には非現実的な世界だった。もちろん衝撃を受けていたし、自分も、涙が止まらないジェイのことも、どうしていいかわからなかった。それでも「ランディ科学者モード」は確実に機能していて、事実を分析し、今後の選択肢について質問した。
同時に、ジェイに説明する医師の姿に、僕は畏敬の念を覚えていた。彼はこれまで何回も同じ経験をしているし、とてもうまくやっていたが、すべてが本当に心のこもった自然なふるまいだった。
僕は、ジェイの隣に座っている医師を観察した。自分は離れているところから見ている第三者のような気がしていた。医師は彼女の肩に手をまわした。身を乗り出し、彼女の膝に手を置いた。
腫瘍医をめざすすべての医学生は、僕と一緒にこの場面を見てほしいと思った。ウォルフ医師の言葉づかいは、つねに前向きに聞こえた。「死ぬまで、あとどれくらいですか?」と訊くと、彼は「三ヶ月から六ヶ月は健康でいられるでしょう」と答えた。
僕はディズニーワールドに遊びに行ったときのことを思いだした。従業員に「何時に閉まりますか?」と訊くと、彼らはこう答える。「午後八時まで開いていますよ」
ある意味で、奇妙な安心も感じていた。何ヵ月もはりつめた日々を過ごし、再発するのか、それはいつなのか、ジェイと僕はずっと知らせを待っていた。いま、こうして腫瘍軍団が勢ぞろいした。待つのは終わりだ。これからは、次に何が起こっても立ち向かうために前を向こう。
最後に医師はジェイを抱きしめ、僕の手を握った。ジェイと僕は一緒に、僕たちの新しい現実に足を踏みだした。】
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僕も「がん告知」をしなければならない機会があるので、この場面には本当に考えさせられましたし、今までの自分の告知のしかたについて反省もしました。一般的な日本の病院の外来や病棟では、さまざまな仕事に追いまくられていて、アメリカの腫瘍医のように時間をかけて話をすことが難しいし、日本には、告知のあとに手を握ったり、家族と抱き合ったりするような文化は無いとしても。
僕にとっていちばん参考になったのは、パウシュさんの「死ぬまで、あとどれくらいですか?」と言う問いかけに対する、ウォルフ医師の答え方でした。
「三ヶ月から六ヶ月は健康でいられるでしょう」
僕が同じことを問われたら、「三ヶ月から六ヶ月しか生きられないでしょう」と答えたはずです(実際は、「健康でいられる期間」が三〜六ヶ月ということは、「生きられる期間」は、もう少し長いのかもしれませんが)。
同じことを言っているようですが、この2つの表現の「違い」こそが大事なのだと僕は思います。パウシュさんは、それがわかりやすいように、「ディズニーランドが閉まる時間の話」を書かれているのですが、同じ「余命半年」でも、それを「半年は生きられる」と考えるか、「半年で死ぬ」と考えるかというので、その意味は異なってくるはずです。
もちろん、言葉を取り繕ったからって、現実は変わらないのかもしれません。
でも、現実が変わらないからこそ、その現実とどう向き合っていくのか、というのは、とても大切なことに思えるのです。
僕の場合、「事実を伝えること」にこだわる一方で、「それをどう伝えるのが、患者さんや家族にとってプラスなのか?」という点に関しては、まだまだ試行錯誤しています。
なんでも「前向き」だったら良いのかと問われれば、それはそれで「過剰な期待」を招いてしまって、結果的には相手を失望させる可能性もあるでしょう。
それでも、このウォルフ医師の答え方には、とても考えさせられましたし、今後の参考にしていこうと思います。