驚愕の「救急車男」!!
読売新聞の記事より。
【22日午前2時20分ごろ、大阪府八尾市東山本新町、男性会社員(64)の妻(57)から「夫が酒を飲み過ぎて動けない」と119番があった。
同市消防本部の救急隊3人が駆けつけ、会社員を救急車に収容した直後、自宅から出てきた息子(37)が「おやじをどこに連れて行くんや」と叫んで暴れ出した。救急車のサイドミラーやワイパーなどを壊し始めたため、救急隊員が救急車から離れたところ、妹尾容疑者は父親を救急車から降ろし、運転席に乗り込んで走り去った。
救急車は30分後、現場から北約100メートルの路上で見つかり、八尾署員が自宅に戻ってきた容疑者(37歳の息子)を窃盗と器物損壊の現行犯で逮捕した。
調べでは、容疑者は父親と一緒に酒を飲み、当時は酔っていたという。】
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僕は今朝のワイドショーでこのニュースを知って悶絶したのですが、ほんと、世の中には困った人がいるものです。学生ならともかく、60歳前後の夫妻と37歳の息子。「飲みすぎたら、動けなくなる」なんて、当たり前です。おまけに「救急車ジャック」ですから、救急隊員もたまったものではないでしょう。学生じゃあるまいし、自分の酒量くらいわきまえておけよ…としか言いようがありません。こんな人は、救急隊員としても放っておいて帰りたいんでしょうけど、彼らには「応召義務」がありますから、一度呼ばれてからには救急隊員たちの「自己判断」というのは許されないのです。要するに「タクシー代わりに救急車を呼んだ人」ですら、最寄りの医療機関にまでキチンと搬送しなければならない、という決まり。ですから、この「救急車ジャック一家」に対しても、無視して撤収するわけにはいかないんですよね。内心は「勘弁してくれ…」だと思うのですが。
僕は学生時代に一度、救急車実習というのをやったことがあって、これは、救急隊の詰所に行って当直させてもらい、出動のときに一緒に連れて行ってもらう、というものなのです。そして、一晩だけですが実際に一緒に行動してみると、本当に大変なんですよ救急隊の仕事って。急病や事故の患者さんを救出して救急車に乗っていただく、というのも大変だし、そのあと、搬送先の病院を探すのがまた大変なのです(こういうのは、「地域性」があって、都会ではそうでもないのかもしれませんが)。救急隊と一緒に行動していると、「うちはちょっと満床で…」とか「専門じゃないので…」とかいって病院に断られまくるのは、とてもせつなくなってきます。自分のすぐそばに急を要する患者さんがいるのに、どこにも連れて行けないというのは、ほんとうにもどかしい。しかし、こういう一刻を争うものばかりなら、仕事としての必要性もやりがいも実感できると思うのですが、実際には、この「救急車ジャック」ほどのインパクトはなくても、「困った利用者」というのはけっして少なくはないのです。暴れる酔っ払いくらいなら、全然珍しくないし。
一方、救急車を受け入れる立場の医者になってみると、そういう「救急搬送依頼」の中には「ちょっとそれは…」と思うものが多いのも事実。こういう「酔っ払い」なんていうのは、救急車で病院に来なくても…という例の典型的なものなのです。そりゃ、急性アルコール中毒の重いやつなら、命にかかわるというのも事実ではあるのですけど、大部分は「動かせなくなった、単なる酔っ払い」で、病院で吐いたり暴れたり、ということも多いし。あと、「子どもの救急搬送」というのも、たぶん親御さんが心配で仕方がないからなのでしょうけれど、「普通にタクシーで来てもいいんじゃないかな…」というものが多いのは事実。いや、中には「救急車で行けば、待たずに診てもらえるから」とか「救急車で行けば、入院させてもらえるから」という人(公言するしないはさておき)だっているのです。そういう場合は、医療者としても、やっぱり「うーん」と考え込んでしまうんですよね…
そして、救急隊の要請に関しても、搬送先がなくて困っているんだとは思うけれど、「脳梗塞疑い」なのに、CTが夜は撮れない病院に依頼してきたり、「心筋梗塞の可能性」があるのに、せいぜい心電図しかできない病院に連絡をされても、やっぱりちょっと受けられませんしね。こういう「急性アルコール中毒」の患者さんというのも、当直医としては憂鬱になること甚だしいのだけど。
しかし、救急車というものの存在意義を考えると、「救急車の利用を厳しく制限したり、高額で有料化したりして、本当に必要な人が利用するのにためらうようになる」よりは、現在のように「タクシー代わりの人まで利用してしまうくらい」のほうが、はるかに正しい状態であるとは言えます。だいたい、病気の「重傷度」なんていうのは、極端な場合は医者でなくても「これは命が危ない」と「これはまあ命にはかかわらない」というくらいの判断はできると思うのですが、そのボーダーラインの場合には、医者にだってすぐにはわからないこともあるのだし。「見かけより軽い」のと「見かけより重い」ことがあるのなら、「とりあえず医者の判断を仰ぐ」ということ自体は、間違っていないのでしょう。
とはいえ、こういう「困った人々」ばかりになると、救急隊員も医者もたまりません。
今までの「日本の医療」というのは、患者さんの「良心」に支えられてきました。救急体制が破綻の危機を迎えながら、まだ「無料」で「絶対に患者さんをどこかに搬送する」というレベルが保たれているのは、利用する側に「このくらいで救急車を使っては申しわけない」というような自制心を持っている人が多くて、利用する段階である程度スクリーニングされていたからです。あるいは、「あそこの家に昨日救急車が来た」と近所に言われるのは恥ずかしい、というような「閉鎖性」というのもあるのかもしれませんが。
でも、そういうものがどんどん無くなってきて「自分は患者なんだから、『こんな軽症で』とか責められる筋合いはないし、救急隊員だって医者だって、仕事なんだから黙って運べよ!」というような「気軽に救急車を利用する人」が増えてしまったら、早晩日本の救急体制はパンクしてしまいます。もしそういう人だらけになったとしても、今の日本の制度では「断れない」のだから。今だって、もう本当にギリギリのところでやっているのだから。
もちろん、そういう「良心」のために、受診が遅れてしまう人もいて、それはなかなか難しい問題です。「これで救急車で来なくても…」という人がいる一方で、「昨日救急車で来てくれればよかったのに…」と思うこともあるしなあ。
今の流れで、「自分の権利至上主義」がどんどん強まれば、いずれは救急車の「有料化」とか「利用制限」みたいな話が出てくる可能性は高いと思うのです。結局、身勝手な人たちがシステムを崩壊させてしまうにもかかわらず、困るのは本当に救急医療が必要な人たち、なんですよね。
ほんと、医療をなんとか支えているのは、患者さんの目に見えない「善意」なのだけど、クレーマーみたいな人が「あの人はウルサイから」という理由で真面目に待っている人より外来の順番が早まったりする世の中って、何かおかしい。