医者をめざす人にアドバイスを。
「ドラマ」(映人社)2006年4月号に掲載されていた、岡田惠和さんと森岡利行さんの対談記事より。
【編集部:脚本家をめざす人にアドバイスを。
岡田:脚本家というポジションが自分に向いているかどうかというのがあると思う。読んだり書いたりするのが好きなタイプでも、小説家になっていくべき人と、脚本家になっていく人は、近いんだけど真逆だとおもうんですよ。つまち脚本家は、基本的には人と一緒にやること、共同作業が好きじゃないと多分向いてない。ストレスばかりになってしまう。小説家は、ある種自己完結できる。そこをちゃんと見極めたほうがいいんじゃないかという気がする。コンクールでいいものを書いた人ほど後で伸び悩むというのは、コンクール作品というのはピュアだけど、次からは誰もそれを求めてないから、そこで崩れてしまう。打ち合わせすることが好きになれなかったり、言われたことが被害者的になってしまうと、こんなシンドイ仕事はないと思いますね。ドラマが好きだから脚本家が向いているとは思わないほうがいい。
森岡:誤解してほしくないのは、内向的って、聞き上手だったりする。それで好感持たれたり、コミュニケーションがそれで取れる。相手の何かを引き出せたり、そういう人のほうが脚本家に向いてるんじゃないかという気はしますね。自分のものを出すのも大事ですけど。】
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なんだかこの話って、医者という仕事への「向き・不向き」にもあてはまるよなあ、と思いつつ読んでいたのです。今の日本の受験制度では、ある程度テストで良い点数が取れれば医学部に合格でき、そのうちの9割くらいの人が、「医者」という仕事に就けるわけです。でも実は、「テストで良い点数が取れる」とか「勉強が好き」だからといって、必ずしも「医者に向いている」というわけではないのですよね。僕もこうやって医者になってみて、あらためて「医者になるために必要なこと」と「医者という仕事を続けていくために必要なこと」の違いを感じたものでした。そしてそれは、僕にとって非常に辛い経験でもあったのです。
医者の大部分を占める「臨床医」にとって、「医療」というのは、「学問をつきつめる」という仕事ではなくて、「患者さんのニーズに応える」という仕事です。痛みをやわらげたり、隠れた病気を発見したり、あるいは、不安になっている人に状況を説明して安心していただいたり。
でも、医療の現場というのは、残念ながら「善意」ばかりで満たされているわけではありません。患者さんのなかには、医療者を信用してくれないばかりか、事あるごとに「何かあったら訴えるぞ」とか「医療ミスじゃないですか」というような態度で接してくる人もいますし、医療関係者や他の患者さんにイヤガラセをしてくるような方もいらっしゃるのです。あるいは、誰が悪いというわけではなくても、入院期間と医療機関の性質、医療費の兼ね合いなどで、「転院をお願いしなければならない」状況なんていうのもあるのです。なんだか、「結局は口が上手いやつや要領が良いやつが勝ちなのか」なんて考えてしまうこともあります。
正直、医者の世界というのは、「ブラックジャックによろしく」の主人公の斉藤のような、「理想を追求するタイプ」には、生き辛いシステムではあるんですよね。いやそもそも、あれを「基準」にされては、多くの医者はたまりません。彼は患者を一度に10人も担当したりしてもいませんし。
その一方で、「勉強で偉くなる」って道もないことはないのですが、もともと「勉強マニア」みたいな集団のなかで、さらに上にのし上がっていくというのはかなりの難業なのです。研究者というのは、けっして、必要な努力の割りに、割の良い仕事ではないですしね。医者の世界では有名な大学教授でも、あまり売れていない芸能人より、はるかに知名度が低いのが現実です。
結局、「学問を究めることもできず、サービス業だと割り切ることもできない、中途半端なプライド」を抱えているような人にとって、医者というのは、「辛い職業」なのかもしれません。本当は、多くの臨床医にとっては、「勉強ができること」よりも「コミュニケーション能力」とか「比較的パターン化されているけれども多忙でずっと気が抜けない仕事」を持続できる体力と精神力」のほうが大事なことなんですよね。
医者って、勉強ができなければなれないけれど、勉強だけしたい人には辛いし、人が好きじゃないと難しい仕事だけれど、人が好き過ぎる人にとっては、かえって向いていない職業なのかもしれません。いやまあ、ラクな仕事なんて、そもそもこの世に存在しないのだと言われてしまえばそれまでの話ではあるのですけど。