クローン人間は「絶対に許されない」のか?

 

毎日新聞の記事より。

【クローン人間づくりの問題で、小泉純一郎首相は28日、国の総合科学技術会議で「世界各国で(クローン人間禁止に)取り組む必要があり、(禁止に向けた)条約の取りまとめに努力して欲しい」と、文部科学省などに指示した。

 この問題では、新興宗教団体「ラエリアン・ムーブメント」(本部スイス)の関連企業が「クローン人間を誕生させた」と主張している。ただ小泉首相は、ラエリアンの主張が会議で紹介された時には「これはあやしいな」と感想を述べたという。】

 

参考資料・文部科学省のホームページ「生命倫理・安全に対する取組」

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 「ラエリアン」のクローン人間誕生の発表には、かなり驚きました。
まさか、ほんとうにそんなとんでもないことをするなんて。
 結局はデマの可能性が高いようですが、それでも、このままクローン技術が発展していけば「クローン人間」が誕生するのは、時間の問題のような気がします。

 でも、待てよ。「クローン人間なんて、とんでもない!」と僕は思いましたが、どうして「とんでもない」と思ったんだろうか?

 クローン人間を「生産」するメリットを考えてみます。
 まずひとつ目は「労働力」として。これには当然「兵士」としての利用も含まれます。
 人間と同じ機能を持っているのであれば、これはいちばん想像しやすいですよね。
 ただ、クローン人間が人間と同じような自我を持っていたら、唯々諾々として人間が嫌がる仕事をやるとは思えないのですが。

 ふたつ目は、パーツとしての利用。
 ちょっとグロテスクな発想で申し訳ないけれど、たとえば臓器移植用の(臓器だけのものも含む)クローン人間なんてのは、当然考えられますね。現在だって、臓器売買が闇で行われるくらいですから、なんとかして生き延びたいと思う人間にとっては、間違った発想とは言い切れません。

 僕は、そういう発想はあまりに気持ち悪いですが、自分や愛する人たちに死がせまったときには、どんなことをしてもという気になるかもしれない。
 さらに、あまりにSF的ではありますが、老朽化した自分の肉体を次々と取り替えて、永遠の命を得るという使い方だってあるかもしれない。もしくは、個体としては死んでも、次々とクローンが入れ替わって、永遠の存在になるとか。
 たとえば、金正日総書記の身に何かあっても、クローンが総書記の地位を受け継いでいく、というような。

 

 3つめは、究極の不妊治療としてのクローン。
 世の中には、子供ができなくて困っている人々がたくさんおり、さまざまな治療が試みられていますが、今のところ100%というわけにはいきません。
 代理母や夫以外の男性の精子を使うことにも諸問題がありますし、そういう目でみれば「自分のクローンを自分の子供として育てる」
というのは、もっとも自分の近親なわけですし、受け入れやすい部分もあるでしょう。

 まあ、自分と同じ人間が2人いるなんて嫌、と思う人も当然いるでしょうが、これはある意味、究極の人生のやり直し、ですね。

 その一方、クローン人間のデメリットとは何か?と考えると、意外とすぐには思いつかないのです。
 ひとつは、文部科学省のサイトにも書かれているように、「種としての人類の遺伝子に、何らかの偏重をきたすのではないか?」
という不安。これはよくわかります。

 人間が遺伝子を組み合わせて子孫を残すのは、種として環境の変化に適応するためには非常に大きなメリットがあるのです。クローン人間は、同じ感染症や遺伝病でバタバタと倒れたり、人類に新しい病気をもたらす可能性もあるわけで。

 

 ふたつめは、倫理的な問題。

 しかし、これは今ひとつ、現代日本人にとっては受け入れにくいところもあるのです。
 「生命は神がつくり給うたもので、人間がそれを弄るのはおかしい」
 というのは、キリスト教圏では当然の発想なのかもしれませんが、僕にはなんとなく受け入れにくい。

 人間は、病気の治療のために臓器を切り取って移植したり、かなり理不尽なことを今でもやっているのです。もしクローン人間からの臓器移植で、自分の命が助かるとしたら…
 人類の遺伝子を守るために、お前は死ね!と言われてもイヤだと思う人がいても当然なような気がします。
 たぶん、僕たちの「クローン人間なんて、とんでもない!」という発想は、「自分と同じ人間が2人いたら気持ち悪い」という想像からきている面が大きいのではないかなあ。

 松本零二さんの「銀河鉄道999」は、限りある生命しかない「生身の身体」と永遠の命をもつ「機械の身体」の間で揺れ動く価値観の葛藤を描いています。

 僕はあれを見て、「命は、限りあるからこそ尊い」と感じたものでした。

 でも、もし機械の身体が、あんなにグロテスクじゃなかったら?
 
そして、自分の命の限りを本当に実感したときには?

 「クローン人間なんて、とんでもない!」という発想は、実は絶対的な真実ではなくて、人間にとっては、移ろいやすい現代の価値観のひとつでしかありません。

 だから、このことを僕たちはしっかりと考えて、今のうちにルールを作っておかないといけないと思うのです。
 
 ちなみに僕は、今のところクローン人間には反対です。

 でもそれは、僕の倫理観というより、今の自分には必要ないから、なのかもしれません。