「医師国家試験」の記憶(もう7年も前だよ…)



 
先週の土曜日(3月15日)から今日(17日)までの3日間、医師国家試験が行われた。
内部的には「国試(こくし)」と呼ばれているこの試験なのだが、全国の医学生たちは、
この試験に合格するために日夜勉学にいそしんでいるといっても過言ではなく、
それはもう、この試験のプレッシャーというのは、並たいていのものではないのです。
 
 それに、この「国試」というやつは、たとえば司法試験のような「受かったひとはエライ!」というものではなく、
「受かって当たり前の資格試験」という性格のものであり(ちなみに、合格率は毎年8割〜9割の間くらい。
もちろん、あまりにも成績が悪かったり、単位が足らなければ、受験する以前に卒業延期という場合もある)、
要するに「落ちるとかなり恥ずかしい」のです。
 
 僕は夏休みまで、そんなに戦力にもならないにもかかわらず部活の練習にフル参加していたので、
スタートは遅くなってしまいました。まあ
、今から考えたら、単なるモラトリアムだったような気がしますが。
 勉強会も、途中で空中分解するわで、もう散々。
模試を受けてもあまりに悲惨な成績に、途中で自己採点を中止したり、
模試結果の封を開けずにゴミ箱へダンクシュートしたりしていました。
 
 それでも、秋から怒涛の追い込みをみせ(いや本当に寝る時間以外はほとんど勉強していました。
テレビとか観ながらだけど)、なんとか当落線上のところまで辿り着いたところで、国試がやってきたのです。
 
 国試が近くなると、同級生たちは、みんな次々と壊れていきました。
夜眠れなくなるもの、なぜかこんな時期に別れ話が勃発してドツボに嵌るものなど、
「いっそのこと、早く試験やってくれないと、身がもたない…」というような声も、あちこちから聞こえてきていましたし。
 
 そして、いよいよ国家試験の当日。僕の受験会場は福岡市内の某予備校。
家から車で一時間半くらいでしたが、ずっと寝不足が続いている状態ですし、
万が一のことを考えて、高速バスで前日の昼過ぎに会場近くのホテルに入りました。
 ちなみに、この宿舎に僕の大学の受験生のほとんどが泊まっており、
(ここが出そうだ!」とかいうような「直前情報」が、いろんなところからまわってきていました。
 実際には、あんまり役に立たなかった気もしますが、
あまりに膨大な試験範囲で何をやったらいいのかわからない僕たちにとっては、
一筋の光明というか、とりあえず、それをやろう!という気持ちにはなったものです。
 
 宿舎に入って、まずは過去問をパラパラとめくっていったのですが、
これがまた、見直してみると、何度もやったはずなのに、わからない問題ばっかりなんですよ。
 血液疾患とか、副腎のホルモン関連なんて、もう悲劇的な状況で。
明日に備えて寝なきゃ、と思うのですが、眠れません。

それで、寝たか寝てないか、自分でもよく覚えていないような状況で翌朝になり、まず、1日目の試験。

 今は3日間にわたっての試験になっている(らしい)のですが、
僕が受験した9年前は、まだA〜E問題で、2日間の試験。
 とにかく、あっという間に時間が過ぎていくまま、僕は問題を解き続けました。
 休憩時間に答え合わせとかする人たちを心から呪わしく思ったことをよく覚えています。
だって、ここで正誤を確認しても点数が変わるわけじゃないし、むしろ間違っていたときの精神的ダメージのほうが怖い。
 それに、答えあわせの時間があったら、少しでも次の勉強をしたほうがマシだという気もしてましたし。
 
 なんとか1日目の試験が終わって、その夜。僕はもう、壊れかけていました。
だいたい前の日ほとんど寝ていないし、小耳に挟む答えあわせでは、自分の解答は全部間違っているような気がする。
 それで、結局、あまり勉強せずに寝てしまいました。
 どうせ2日目は臨床問題で、今更勉強しても大差ないだろうし、
むしろ寝不足で試験中に寝ちまったりするほうが怖い、って。
 
 2日目、臨床問題は、絶望的なくらいにわかりませんでした。
 もともと付け焼刃の知識なだけに、応用なんて利くわけもなく。
 もし、その翌年導入された「禁忌肢」(臨床上、これをやってしまうと
患者さんの命を危険に陥れてしまう可能性のある選択肢。この禁忌肢を一定数以上踏んでしまうと、
正解率がどんなに高くても不合格になるらしい、と言われている)があれば、危なかったかもしれません。
 
 2日目が終わったあと、みんな、試験が終わった開放感というよりは、魂が抜けたような顔をしていました。
1年以上、いや、6年間、この試験のためにやってきたわけですから。
 予備校の解答が出るのは、明日の朝。
 それまでは、もうどうしようもない状況(人によっては、友達同士で答え合わせをしていたのですが、
それはもう、よっぽど自信がある人だけ)。
 
 僕は、とにかく家に帰ろうと、仲が良かった同級生と2度目の受験となった先輩と一緒に
 博多駅の構内の居酒屋でビールを2杯呑み、電車で家に帰りました。
 たかが2杯のビールであんなに酔っ払ったことは、これ以降もなかったような。
 
 家に辿り着いて、参考書で散らかった部屋に戻ると、なんだかとてもホッとしました。
 家を出てから、ものすごく時間が経った感じで。
 
 とりあえず「勉強しなくていい」というのが、すごく不思議な感覚だった気がします。
 
 結局、その夜は、時間がもったいなくて眠れず、
スーパーファミコン版の「ダービースタリオン」を明るくなるまでやっていました。
 
 その年、僕はなんとか合格できたのですが、
結果発表の日まで「マークミスしてたかも…」とちょっと不安だったのをよく覚えています。
 
 そうそう、あと覚えていることといったら、宿泊先のホテルのテレビで、
オリンピック代表チームが予選の準決勝でキーパー川口の好セーブ連発で勝ち、

本戦出場権を獲得したのを観たことでしょうか。
 あのとき、試合終了後に力を使い果たしてフィールドに倒れこんだ川口の表情は、今でも忘れられません。
 
 ちなみに、同じ受験者の中にも、「試験中にパチンコ屋で大勝ちした」とか
「中州で呑んだくれていた」というような豪の者もいましたので、
僕の体験は、必ずしも一般的ではないです、悪しからず。