「個人情報保護法」への、医療現場の対応と困惑


読売新聞の記事より。


【病院で、外来患者を名前で呼ぶのをやめたり、病室から患者の名札を外したりする動きが出ている。誰がどの科を受診しているか、入院しているかどうかなどは個人情報にあたり、本人の同意なく他人に教えると今月から全面施行された個人情報保護法に抵触するためだ。
 一方、医療現場では「名前で呼ばないと、患者の取り違えなど事故につながりかねない」との声もあり、模索が続いている。
 東京慈恵会医科大付属病院(東京都港区)は今夏までに、外来受付や会計窓口で、患者に番号カードを配布して呼ぶようにする。一部の科では、発券機導入まで暫定的にポケットベルを渡して呼び出す。名前で呼ぶと、誰が受診しているか他人に分かってしまうからだ。同大学は「窓口で直接本人に名前を確認するので、間違いは起きないと思う」としている。
 慶応大病院(新宿区)は、入院患者本人の同意を得なければ、家族に病状や退院の見通しなどを一切説明しないことにした。見舞客から患者の病室を尋ねられても、本人の了解を得てからでないと教えない。相川直樹院長は「最初は対応が冷たいと思われるかもしれないが、仕方がない」と話す。ただ、番号カードについては、「取り違えなどミスが起きる可能性がある」と導入を見送った。
 世田谷区内の私立病院は、誰が入院しているか他人に分からないよう、病室から患者の名札を外した。病院の理事長(75)は「『入院しているのを教えたくない人に知られた』と裁判を起こされでもしたら困る。ミスが起きないように注意する」と話す。
 一方、「患者の個人情報保護に神経質になるより、病気を治すことが先決」(長野県内の赤十字病院)と、特別な対応を取らない病院も多い。秋田市の私立病院は「患者名が他人に分からないようにして、事故が起きたら大変。医療の安全の方が大事だ」と言う。
 厚生労働省は3月末、個人情報保護に関する事例集を公表したが、外来患者を名前で呼ぶことなどについて、「患者名は個人情報だが、どう受け止めるか患者によって様々で、医療機関が対応可能な方法を取ることが必要だ」としか書いていない。
 保護法では、個人情報の利用目的などをポスターやホームページなどで明示しておけば、情報の利用について一人一人から同意を取る必要はないことになっている。このため、「とりあえず日本医師会が作成したポスターを待合室などに張るだけで済ませた」(福島県内の病院)というケースも少なくない。
 厚労省医政局総務課は、「各病院が医療の安全を最優先にした上で、情報保護がどこまで可能か判断してほしい」としている。】


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 4月1日から、この「個人情報保護法」が施行されているわけですが、医療現場では、まだまだ、試行錯誤という状況があちこちでみられるようです。僕が知る限りでは、外来の患者さんの呼び出しを番号と名前のどちらでやるか、患者さん本人が選べるようになったところもありますし(実際は、「番号で呼んで欲しい人は、申し出てください」ということになったので、番号での呼び出しになった人のほうが、圧倒的に少数派だったようですが)、今まで通り名前で、という制度を続けているところもあるようです。実際のところ、もともと顔見知りの近所の人が集まるような町のクリニックで、今さら番号で呼ぶというのも、かえって不自然だという場合もあるみたいですし。外来をやっている医師たちの反応としては、「なんだか番号で呼ぶのは変な感じだし、ちょっと恥ずかしい」というものもありますし「銀行みたい」「囚人じゃないんだから」なんていうコメントもありました。暫定的に、ポケベルを患者さんに持っていただき、順番が来たら鳴らす、というシステムをとっている病院もあるらしいのですが、これも、大きな病院でなければ、なかなか難しいシステムでしょう。

 ただし、僕の知る限りでは、この「名前の呼び方」に対するクレームは、今のところは、まだ大きなものはないようです。僕たちは、「そのうち、外来でも患者さんの名前を呼べなくなるんじゃないか」「診察室から声が洩れるのを防ぐために、チャットで会話しなくてはならなくなるのではないか」などと、ありうべき近未来に、ややうんざりもしているのですけど。

 それこそ囚人のように、外来で顔をあわせていても「3357番さんは…」なんていう会話になるのは、今までのに「人間関係」の概念からすればどうなのかな、とも思います。ただし、その一方で、医者というのは、いままでそういう患者さんのプライバシーをあまりにないがしろにしてきたのではないか、と反省している面もあるのです。外来で患者さんの病気について、隣の診察室にまで聞こえるくらいの大声で説教する医者、なんていうのは、そんなに珍しい光景ではなかったわけですから。

 そして、入院患者さんの「個人情報」についても、けっこうその取扱いには困惑しているのです。公式には「受付では、お見舞いの人に対しても、患者さんの部屋の番号は教えない」ということになっていて、各病棟のナースステーションでは、「患者さんの部屋を訪ねてくる人の対応にてんてこ舞い」という状況になっています。「○○さんは、何号室でしょうか…?」「あの…個人情報保護の立場から、お部屋の番号は、こちらからはお教えできないのですが…失礼ですが、どういう御関係の方ですか?」「弟です」(患者さんの部屋に行って)「○○さん、弟さんと仰る方が来られているんですけど、お部屋の番号を教えてもいいですか?」「ああ、いいですよ。どうも忙しいのにすみません」

 と、こういう光景が何度も繰り返されるので、病棟では、「ナースステーションでは、なるべく奥のほうに座っていたほうがいい」なんていう話も出ているくらいです。だいたい、総合受付も、いままでは病棟とか部屋番号まで教えていたのに、今は、「お教えできないので、直接行ってナースステーションでお尋ねください」という対応になっているらしいですから。いや、病棟に専属の案内係がいるようなところならともかく、一般病院でこういう対応のために時間をとられるのは、かなり辛いことなのです。

そして、「急に病院にやってきて、病状説明を求める親族」に対しても、「説明をするのは、患者さん本人の許可を得てからということになっています」という対応をとっているところが多いようです。まあ、3月31日まで普通に面会に来られ、病状を話していた家族の方に、4月1日になったからといって、急に「お教えできません」というのもなんだか変なので、そのあたりはみんな「臨機応変」に、対応しているようですけど。

すでに「自分は親戚なのに、説明してくれないなんて不親切だ!」なんて言い出す人も出てきているようですが、この仕事をやってきて思うのは、家族だからといって、必ずしもみんな仲良しなわけではないし、お互いを信頼しているわけでもない。そして、家族だからこそ言いたくないこともあるのだな、ということです。現場的には、「ガンの末期なのだけれど、本人しかその病気のことを知らなくて、急変されて亡くなられたあとに、親族から「こんなに急に死んでしまうなんて、医療ミスだ!」とか言われてしまうのではないか、というのは、ちょっと心配なのですが。これからは、医者と家族が本人への告知について相談する時代から、患者本人と医者が家族への告知について話し合う時代になっていくのかもしれず、今はちょうど、その過渡期なのかもしれません。

そして、さきほどの内容とも重なるのですが、悪性腫瘍に対しても「相手に正常な判断力があると考えられる場合には、原則的に病状を告知する」ということに定められています。

実際「告知」の問題については、まだまだ難しいところもあるのですが、現場では最近は「治療ができる場合」と「家族が告知に反対しない場合」には、原則的に告知をするという方向に向かっていたのです。しかし、その一方で、「告知をしなかったために、適切な治療を受けられなかった」として医師が訴えられたり、「告知の時期が不適当であったため、患者さんが悲観して自殺してしまった」として、賠償請求をされたりもしています。こういうのは「正解」がない(あるいは、やってみないとわからない)わけですから、あくまでも「結果論」なんですけどね。どんな「強い」人間でも、ガン告知をされて平静でいられるなんて人は、ほとんどいないはず。それでも多くの患者さんは、どんなに悲しい告知をされても、時間が経てば、また、自分の人生を生きようとされるものなのですが。

医者の立場からすれば、患者さんに「ガンの宣告」をするのは辛いことです。しかし、「告知しないこと」もまた、とても辛いことなのです。顔をあわせるたびに「先生、私はガンなんでしょう?」なんて言われると、ものすごく心苦しい。

でも、「個人情報保護法」のおかげで、前述したような「不適切な告知」に関して、思い悩む必要は減ったのです。とにかく、なんでもかんでも「告知」すればいいのですから。こういうのは、日本の伝統的な病人と家族との関係からすれば、かなり異質なことではあるのですけど、結局は「正直である」というのは、一つの正解なのかもしれません。「告知問題」というのは、ある意味「自分の余命を知ってしまった人のその後」に対する、医療関係者や周囲の人々の不安が最大の問題点、という面があったような気がしていましたし、最初は抵抗があるかもしれませんが、そのうちみんな納得していくのではないかなあ、とも僕は予想しているのです。伝統的な「家族」というのが、失われつつある時代だし。

ただし、高齢者に末期のがんが発見され、もう治療のしようが無くなってしまったような場合でも、その患者さんに、あえて「決まりだから」と「告知」をすることが、はたして正しいことなのかどうか?医者として「身を守る」ためには、告知するほうが「正解」なのかもしれませんが……

結局は、現場としては、原則に配慮しつつ「臨機応変に対応する」しかないのですよね。偉い人が簡単に口にするほど、「臨機応変」になんてやっていけないよ…というのが、現場の本音なのですけど。