「機長が意識失い緊急着陸」を責めるという「良識」


読売新聞の記事より。

【10日午前11時45分ごろ、高知県足摺岬沖西約35キロの太平洋上空約1万1600メートルを飛行していたアンカレジ発香港行きトランスマイル航空8376便の貨物機(MD―11型機、乗員5人)で、機長が操縦席で突然けいれんを起こして意識を失ったため、機長の資格を持つ別の操縦士が操縦を交代、国土交通省に関西空港への緊急着陸を要請し、約30分後に着陸した。

 同省航空・鉄道事故調査委員会は大事故につながりかねない「重大インシデント」に該当するとして同日、航空事故調査官2人を関空に派遣、調査を始めた。同航空はマレーシアの航空会社。】

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 乗客の方々にとっては、本当に「無事でよかった」というニュースなのですけど、このニュースに対するメディアやネット上の掲示板での反応に「こんな危ない機長を乗せるな!」とか「もっと乗員の健康管理をきちんとしろ!」などというものが多かったのには、正直僕は悲しくなりました。もちろん、それが原因で大きな事故にでもなったら、航空会社側に「責任問題」が生じてくるのは当然なのですが、この事例では、ちゃんと他の操縦士が乗り込んでいて適切な対処をしたのですから、少なくとも「あまり起こってはほしくないけれど、想定の範囲内のトラブル」ではあったわけです。
 僕は脳外科や神経内科といった、脳神経疾患のエキスパートではありませんが、当直の際などには、「突然意識を失った人」(けいれんを伴う場合も、伴わない場合もあり)を診ることはけっして少なくありません。そして、そういう患者さんは「常日頃から意識消失や痙攣発作を繰り返している人」ばかりではないんですよね。基礎疾患や既往歴が無い人でも、ちょっとしたストレス、あるいは明らかなきっかけがなくても、「急に意識を失ってしまう」ことはあるのです。もちろん、毎年きちんと健康診断を受けている人にも起こりえますし、若い人にも起こる可能性はあるのです。原因も、一過性の脳虚血から、脳出血・くも膜下出血のような生命にかかわるものまでさまざま。そして、最初の「発作」や「発症」のタイミングというのは、誰にも(本人や医者でさえも)わからないのです。

 そもそも、飛行機に「副操縦士」というのが搭乗しているのは、このような「不測の急病やトラブル」が起こった際に対応するためのものなのですから、航空業界は「どんなに健康管理をしていても、急病というのは起こりうるものだ」と考えているのですよね。ですから、今回のような事例はひとりの乗客としてはものすごく怖いけれども、「それでも飛行機は最低限の危機回避行動がとれる」ということを安心するべき事例なのかもしれないな、と思います。もともとこの機長の体調が悪かったのにムリに操縦席に座った、というなら、話は全然別なのですが。
 誰にでも起こりうる「急病」、しかもそれをあらかじめ予期して適切な対応をとった事例まで責めるというのは、あまりに安易な発想ではないかと。

 僕は10年あまりの医者生活で、「運転中に意識を失った車のドライバー」というのを何人か診てきました。その人たちの多くは、「見通しの良い道路で突然対向車線にとび出してきた」とか「停車していたのにブレーキも踏まずに後ろからぶつかってきた」というような「悲惨な事故を起こした車のドライバー」として、救急車で搬送されてきた人たちです。「こんな飛行機は怖い!」って言うけれども、実は、普通に車を運転するのにも、「自分が急病で人を殺してしまうこと」や「自分が急病のドライバーの犠牲になってしまうこと」の可能性はあるんですよね。もちろん、これだけ多くの車が利用されているわけですから、そんな目に遭うのはけっして高い確率ではないのですが、車というものが存在しているかぎり、このリスクはゼロにはならないのです。社会というのは、そういうリスクと車という道具の便利さを天秤にかけて、「車を多くの人が運転できる便利さ」を優先しているわけなのですが、それはやっぱり、諸刃の剣でもあるんですよね。少なくとも車のドライバーの多くは、飛行機のパイロットよりも、はるかに健康管理ができていない人間でしょうし。
 「脳出血で急に意識を失ったドライバーにはねられた被害者」というのは、何を責めればいいのか?「運が悪かった」とあきらめきれるのか?
 こういうのは、たぶん、車や飛行機が無い時代の人々には、無縁の悲劇だったのでしょうけど。