樹木希林さんの「治療しない人生」

 

【女優、樹木希林(61)が発売中の対談本「人生の知恵袋」で網膜剥離により左目を失明したことを告白していることが29日、わかった。樹木はこの日、仕事先の東京・赤坂のTBSで会見。淡々とした表情ながら「一瞬絶望しました」とつらかった胸中を明かした。同局では樹木が出演するドラマ「貝黙」を、当初セリフだらけだった台本を書き直して大幅に削減するなど配慮。鬼気迫る演技に期待している。

 左目の失明は、長嶋茂雄アテネ五輪野球代表監督が、各界の著名人とラジオで行った対談を1冊にまとめた「人生の知恵袋」の中で告白。「手術するかどうか迷って、やっぱりやめようと思ったんです。『よし、私は目1個ぐらいつぶれても、お釣りのくる人生だったな』というふうに思って覚悟を決めたんです」などと明かしている。

 この日、樹木は出演するTBSドラマ「貝黙(仮題)」(年内放送予定)の撮影の合間に東京・赤坂の同局で会見。それによると、左目に異変を感じたのは昨年1月ごろで、その2カ月後には完全に視力を失った。

 「朝起きたら、バタッと見えなくなりました。真っ白でした」と当時の状況を振り返り、「一瞬絶望しました、明日、死ねるわけじゃない。ずっとこれで生きていくのかと思ったら。それも人生と思いながらも、ことあるごとにため息はついていました」と苦しかった胸中を吐露した。】

参考リンク:樹木希林、「左目失明」で見せた女優魂(サンケイスポーツ)


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 ちょっと遅ればせながら、という感じなのですが、朝のワイドショーで樹木希林さんの会見を観ていて、つい遅刻しそうになってしまいました。

 樹木希林さんといえば、僕の記憶では、「美しい人はより美しく、そうでない人もそれなりに」というフジカラーのCMや郷ひろみさんと一緒に「アダムと〜イヴーが〜リンゴを食べてか〜ら〜」という「林檎殺人事件」を歌っていた記憶しかなくて、もう61歳!なんてちょっと驚いてしまったのです。
 多くの人にはわからないこと書いて申し訳ない。

 さて、その会見を観ての最初の僕の印象は、正直なところ「網膜剥離の手術って(全身麻酔のリスクはあるとしても)、眼だけの手術なんだから、そんな『体力が無い』なんて落ち込んでないで、手術受ければいいのに」でした。体力的にも、、少しでも若いうちのほうがいいはず。

 極論ですが、現時点で「失明している状況」なら、手術の成否にかかわらず、これ以上悪くなりようもないわけですし、「手術をすれば良くなる可能性が高い状況」らしいですし。

 61歳という年齢は、医者(とくに僕のような内科医)からすれば「まだ若い!」と感じてしまうくらいの年齢でもあり、「そんなにアッサリ悟らなくても…」とか感じてしまったのです。

 あの会見で希林さんが仰っていた「体が弱いから…」「ティッシュペーパーを1箱持ち歩いている」というようなリアクションは、なんとなく精神的にうつ傾向なのかなあ、なんて考えてみたり。あのように「どうせダメだから」「怖いから…」という高齢の患者さんは、けっこう多いような印象がありますし。主治医はなんとか説得できなかったのかな、とか。

 だから、希林さんの会見に対する、インタビュアーやコメンテーターの「女優魂」とか「自然に生きる姿勢への共感」とかいうのは、違和感がすごくありました。

 末期癌のような「治せない」病気、あるいは糖尿病のような「コントロールすることは可能でも根治できない病気」ならつきあっていくしかない場合もあるんだろうけど、こういう「治せる確率が高い病気」に対して、「治さないこと」を賛美するのってどうなの?
 それって「女優魂」なの?って。

 その一方で、希林さんの「これも人生。元々形あるものしか見てなかったけど、これで裏っかわにあるものを見ていくチャンスかな」という言葉には、そういう考え方もあるのかな、とも思ったのです。
 もちろんこの病気が癌のように、「すぐ命にかかわるもの」であったなら、こんな「悟りの境地」に達せたかどうかは、わかりませんが。
 今だって、「悟った」とか言われながらも、不安に襲われる瞬間は、必ずあるでしょうし、自分の病気のこととなれば、コメンテーターの人たちが言うような「完全な悟り」なんてありえない。

 でも、そういうふうに病気とつきあっていく人生もあるのかな、「病気を治療しない人生」という選択肢もありなのかな、なんていうのも、自分が年をとっていくにつれ、理解できるような気もしてきたのも事実。

 僕は医者だから、「治る病気を治さないのは罪悪だ」というイメージを持っています。でも、そういうのって、病気を持つ患者さんの実感とは乖離しているのかもしれないなあ、とも感じることもあるのです。

 「手術や治療を受けてくれない患者さん」というのは、医者にとっては悩みの種のひとつです。多くの場合は、時間をかけて説明したり、御家族の助力を得たりして、「治療していきましょう」という方向になるのですが、それでも、「治療しない人生」を選択する患者さんはゼロではありません。そして僕たちは、「治療すれば良くなったかもしれないのに」なんて呟きながら、「医者の無力」に暗澹とするのです。それは「患者さんが選んだ人生」で、僕たちの罪ではないはずなのに。

 僕があの会見に素直に感動できないのは、「医者を必要としない人生を選択した患者さん」のサンプルをまざまざと見せつけられているから、なのかもしれません。そして、これからは、そういう選択をする人が増えていくのではないかなあ、という気もします。

 しかし、希林さんの選択に対して、諸手を挙げて褒め称えるマスコミもどうかと思うのですけどね。誰か「手術受けたほうがいいんじゃない?」って言ってくれるんじゃないかと思ったんだけど、病気とは関係なさそうな「女優魂」とか「個性派女優」とか持ち上げてばっかりだし。じゃあ、あなたたちの肉親が同じ病気で手術を拒否していたら、「会社員魂!」とか言うのか?とか聞いてみたい。

 「治る可能性があるのに、それでいいの?」って。

 ところで、ひとつ不謹慎ながら笑ってしまったのは、希林さんの夫の内田裕也さんのこと。

【長らく別居中の夫で歌手の内田裕也(64)にも失明したことは伝えた。「『オレも片方の目が見えねえんだ。オレも苦しいんだ』で終わりよ」苦笑いしながら、内田ならではの激励のことばを披露した。】

 僕が観ていた「とくダネ」では、コメンテーターたちが「これも裕也さんらしい励ましの言葉です」とか言ってたのですが、いくらなんでも、それは善意の解釈すぎないかなあ。
 僕には、いくら裕也さんのあのキャラでも、「励まし」とは思えない…

 人間の感性って、けっこう偏ったものだよなあ。