医者が「書く」ことへの世間の風あたり
朝日新聞の連載記事「おやじのせなか」より。
精神科医・香山リカさんのお話の一部です。
【学生の時から雑誌などに書いていましたが親にも内証でした。医者が医療のこと以外で書くのは、世間の風あたりが強く、同僚にもばれないようにしていました。
30歳で私が初めて本を出した時に、「こういう本を出してしまった」と言うと、父も「それは大変だ」という感じ。当時の医者の世界では、教授のお許しがないとやっていけないこと。新人が勝手に本を出し、破門されたらどうしようと、研修医だった私の教授の元に一緒に行き「すみません、こんなことをして」と謝っていました。】
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香山さんのお父さんは産婦人科医で、北海道で去年までずっと開業医をされていたそうです。77歳の今も、週に2回病院に勤めて、地域医療に携わっておられるのだとか。ちなみにお父さんは【赤塚不二夫の漫画やゴジラ映画などのサブカルチャー的なものも、読書やクラシック音楽も好きで、どちらも同列に思っているような人だった】そうで、香山さんにはお父さんの影響が大きかったのでしょうね。
しかし、各界の著名人が「父親について」語るコーナーなので演出上いたしかたなかったのかもしれませんが、これを読むと、香山さんはかなりのファザコンだったのでは…とか、つい考えてしまいます。15年前といえば、僕が医者になるちょっと前なのですが、そのくらいの時代なら、いくらなんでも「教授のお許しがなくては…」ということもないとは思いますし。その自分の師匠である人の専門分野に関する本であれば、それを出すことそのものが「仁義に反する」とは思いますが、当時の香山さんの著書は、少なくとも「学術的」なものではなかったような気もしますし。でも、お父さんとしては、娘のことが心配でならなかったんでしょうけどね。それとも、僕の認識のほうが「甘い」のでしょうか?
それにしても、「医者が医療のこと以外で書くのは、世間の風当たりが強い」というのは、今でも変わりがありません。手塚治虫先生とか渡辺淳一さんとかの例外を除けば、医者が書くものって、「医学専門書」と「病院・医者を舞台にした小説」ばっかりですから。そういえば「チーム・バチスタの栄光」というミステリが、今話題になっていますけど、これも医者が書いた医療の世界を舞台にしたミステリです。
そもそも、同じ医者でさえ「医者なんだから、そんなのグダグダ書くより仕事するか勉強しろ!」という考えている人は少なくありません、とか書きながら、僕だって、「美人女医の本」とかを書店で見かけると「ヒマなんだねえ…」とか、つい思ってしまうんですよね。僕の場合はやっかみ半分ですが、医者のなかには、「医者なんだから、医療以外のことは遊びだ!」と考えている人は、けっして少なくないのです。ネット上では、医療のことって、書いている側以上に読んでいる人のほうは「医者がこう言っていた」というふうに読まれてしまうみたいで、むしろ、「触れないほうが無難」だったりするんですけどね。手塚先生だって、「ブラック・ジャック」に登場する病気について、かなり抗議を受けたりもしたようですし。「手塚治虫は医師免許を持っていた」からこそ、手塚先生が書く「医療の世界」に対する人々の反応も敏感だったという面もあったのだと思います。
そして、現場の医者サイドとしては、そういう「医学書以外の本を書きたがるような目立ちたがりの特別な医者」ばかりに世間の注目が集まりがちで、自分たちが日常を送っている「忙しくて地味でそんなにお金も儲からない医療の世界」がいつもで経っても世間に認知されることがないというのに、かなり不満を抱いていたりもするのです。テレビに出てくる「セレブな医者」なんて、自分の周りには皆無だというのに!
結局、医者というのは、「医療にすべてを捧げる人間」であってほしいというのが世間の希望なのだと思うし、医者の書いた文章なんて、「こんなの書くよりもっと働け!」と思う人が多いということなんでしょうね。まあ、僕だって贔屓のチームの選手が打てなかったら、「サイドビジネスばっかりやってるからだろ!」なんて憤ったりしますし、自分の親の主治医が家に帰ったらポルノ小説書いてたりしたら、「大丈夫なのか…?」って不安になるだろうしなあ……