「サービス業」としての医療と「患者様」という呼称


参考リンク:『われ思ふ ゆえに…』(6/25)「『患者様』に思う」


 僕が研修医だったころ、週に1回、定期で大学の外の一般病院の外来のバイトに行っていました。当時はまだ、研修医が生活費を得るために外の病院にバイトに行くのが当たり前でしたから。
 そこで実際に仕事をして驚いたのが「看護師さん(+常勤の先生の一部)が、患者さんを『○○様、2番の外来へどうぞ』というふうに呼んでいること」だったのです。
 大学では「○○殿」と呼ぶのが慣わしだったのに…
 (というのはウソで、大学病院でも「○○さん」というのが一般的)

 さらにそこの病院の看護師さんは「敬語ラッシュ」で、「お体のどちらがお悪いのですか?」とか「血圧を測らせていただきます」とか、正直、そこまでやっては「慇懃無礼」なのではないか?と僕も思ったものです。

 逆に、そのあとで務めた田舎の病院では、勤続ウン十年とかいうベテランの看護師さんは、「じいちゃん、こっちこっち!」とか「今日はどうしたの?」とか、まさに近所のおっちゃんに話しかけるような口調で見事に外来をさばいていて、その光景を見た僕は、「失礼だな…だけど、いまさらこの人が『○○様』とか顔見知りの患者さんたちに言うのもなんか変だろうなあ」と感じていたものです。

 僕はかねがね、病院での「過剰敬語」については、居心地の悪さを感じていたのですが、上の文章で「患者さん側」である小町さんの言葉を読んで、少しだけ安心しました。少なくとも、あの「異常敬語」を「おかしい」と感じてくれる人もいるのだ、ということに。

 でも、実際に開業されている先輩方の話からすると、これもなかなか難しい問題みたいです。
 とくに都会の病院では競争も激しいですし、やっぱり「サービス合戦」というような状況もあるらしくて。
 病院というのは「バーゲンセール」とか「テレビコマーシャル」なんていうのはできませんから(美容整形とかは別)、口コミの評判というのが、非常に大きなウエイトを占めているわけです。
 まあ、救急車で受診せざるをえないような「生きるか死ぬか」という状況では選り好みもできないのが実情ですが、例えば「最近ちょっと胃の調子が悪いんだけど…」という状況下で、「病院に行こう」と決意した場合、どういう基準で病院は選ばれるでしょうか?「近い」というのは重要なファクターですし、「設備が整っている」なんていうのももちろん大事なことです。でも、「そこの医者の腕」とか「病院の雰囲気」なんていうのは、外見ではなかなかわからないですよね。
 そこで、大概の人は、身近な人に「胃が痛いんだけど、どこかいい病院知ってる?」とか聞くわけです。
 今ではインターネットという情報源もあるわけですが、実際のところ病気にかかる人の多くは、まだまだ世代的にネットを使いこなせない方も多いですし、何よりネットの情報というのは玉石入り混じっている状態なので、まだアテにならない面も大きいのです。
 やっぱり、「自分が知っている人、実際に行ったことのある人の口コミ」というは、非常に重要なんですよね。

 患者さんが病院を受診する際には、あまりひどい症状でなければ、その病院について、なんらかの印象を持つことになるでしょう。例えば、僕たちがスーパーで買い物をしたときに「レジの人が無愛想だった」とかいうのが印象に残るように。
 そして、多くの人は、「自分が大事に扱われること」というのを不快には感じないものなのです。
 「言葉だけじゃしょうがない」と思われるかもしれませんが、こちら側からすれば、「言葉遣いが悪い!患者をバカにしてるのか!と食ってかかられるクレーマーみたいな『患者様』」はいても、「どうしてそんなに丁寧な言葉遣いを俺にするんだ!もっと馴れ馴れしく喋れ!」なんてクレームをつける人はまずいません。病院に来られる人の中には、やはり精神的に不安定になってしまっていて、ちょっとしたことでも声を荒げるような方もいらっしゃるので、あの「慇懃無礼なほどの敬語」については、「誠意」というよりは、「サービス業としての自己防衛」なのかもしれません。
 ここまで(形式上にしても)大事にしていますよ、という。

 医療というのは、異質なサービス業でもあるのです。
 たとえばファミレスの店員だって、いろいろな「クレームをつける客」というのに遭遇する機会はあるんでしょうし、その頻度は病院で働いているより高いかもしれません。でも、いざとなったら、ファミレスは「お代はけっこうですから、お引取り下さい」ということだって可能なのです。
 でも、病院というのは、どんなクレーマーみたいな患者さんでも「診療拒否」することはできません。もちろんご本人が「他の病院に行く!」と言ってくだされば問題ないのですが、医療側から「お代は要りませんから…」とは言えないのです。残念ながら、「患者様」の中には、「患者という絶対的弱者」というのを武器にして、理不尽な要求をしてくる方だっていらっしゃるのです。
 「病人を見捨てるのか!」というのは、ある意味最強の脅迫。

 病院というのは、「人間にとって恥ずかしい面もさらけ出さざるをえない場所」なので、僕も「○○様」なんて余所余所しい呼び方をするのは、なんとなくイヤな感じがします。
 「○○さん」と名前で呼んで、年上の方なら丁寧語で話しかけるくらいで十分なのではないか?と。
 しかしながら、上記のような、サービス業としての「競争」と「防衛」という2つの面もある一方で、患者さんの中には、「医者というのは、自分の体を『診る』人たちなのだから、偉そうにしていてもらいたい」ということを仰る方もいるのです。
 自分の体を診て、病気を治療するという人間には、「立派な人」(もちろん、いばりちらしているというわけではなくて、自信と威厳のある人、という意味)であってもらいたい、というのは、ある意味自然な感情なのではないかなあ、とも思います。僕だって、あまりにも「サービスしまっせ!」みたいな人の前で裸になりたくはないからなあ。なんとなく怖い…

 小町さんが書かれている【「先生」と呼ばれる立場の人には私たちが安心して頼れるよう、温かさと自信、そして奉仕の心を持っていてほしい】というのは、医療者側からみても、まさに「理想像」だと思いますし、多くの医者はこれを目指していると思います。
 でも、これらの要因がすべて成り立つというのは実際にはなかなか難しいし、同じ態度の医者に対しても「もっと医者らしく堂々としていてもらいたい」という患者さんもいれば「親しみやすくていい」という感情を抱く患者さんもいるのが現実で、結局は「相性」なのかもしれませんね…
 だからこそ、「形式的な敬語」とかでリスクを回避してしまうのかな。

 ただ、ひとつだけ付記しておきます。多くの医者は、外来での初対面では「○○様」と呼んでいても、例えばその患者さんに癌が見つかって入院されるようなことになれば、少しずつお互いに親しくもなりますし、入院中の病室で「○○様、××でいらっしゃいますか?」なんていう慇懃無礼な態度をとりつづけることはまずありません。接する時間が長くなって、同じ病気の治療に向かっていけば、やっぱり「医者と患者としての関係」と同時に「人間と人間としての関係」というのもできてくるのです。言葉遣いも失礼のない程度には崩れますし、冗談を言い合ったり、ちょっとした世間話をする人もいるのです。患者さんのほうが人間として先輩でもありますから、教えられることもたくさんあるのです。僕なども、「いい年なんだから、早く結婚しなきゃ!」なんて、よくからかわれますよ。

 「様」だけつければいいというものではありません。確かに僕もそう思います。
 でもね、「様」だけつければいいと思っているわけではなくて、「3分診療」なんていうのは、「病状が安定しているから、他の長い時間をかけて診察するべき重症患者さんに時間を割かせていただいている」というのが本音ですし(実際、「診察室の中で遊んでいる」から「3時間待ちの3分診療」になっているというわけではないんですよ本当に。見せられるものなら、診察室の中を見せてあげたいくらい)、診察時間をある程度指定したり、診察待ちの患者さんに余ったポケベルを持っていただいて自由に待ってもらったり、という努力も行われているのです。
 医者の「ドクハラ」に対する意識も、当然のこととはいえ、僕が医者になった8年前からもずいぶん変わってきています。「患者様」なんていうのは、ある意味「患者さんに『ドクハラ』だと感じさせないようにするための一手段」でもあるのです。

 それでも、「伝わってない」ということは、改善の余地は、まだまだたくさんありそうですね…