「看護師さん」と呼ばないで。

 最近、ちょっと驚いたことがあるのです。

 それは、Y嬢から聞いた「旧看護婦さんたちは、『看護師』への名称変更を必ずしも歓迎していないみたい。むしろ『かんごしさん』と呼びかけられると、よそよそしい感じがするし、自分が呼ばれてるんじゃないみたいような気がする」という話のことで。
う〜ん、確かに違和感ありますよね、「看護士さん」にならともかく、「旧看護婦さん」に「かんごしさん」と呼びかけるのは。
僕らは、職場ではその人の名前で呼べばいいわけですからともかく、とくに年配の患者さんは「かんご…し…さん?」みたいな感じになりがちなようです。
というか、みんな「かんごふさ〜ん」と呼んでますが。
あんまり、浸透していないし、当の本人たちも、別に「師」になったからといって、別に変わらない様子。

 そこで、「どうして看護師」という名称になったのか?ということをあらためて。

日野原重明 聖路加国際病院理事長のコメントより。

 
日本でも男子の看護職が増えてきたこともあり,従来の「看護婦」と「看護士」のように性別で表現することを廃止し,同時に医療における看護職の重要性から,医師,歯科医師,薬剤師と同列に,「師」を末尾につけて看護師と称して,その職務の重要さを示すことが決定された.

 かつては,看護職は女子に最適の職業と世間からみなされ,看護婦の名称が選ばれた.しかし,戦前にも精神病院では,暴力を示す患者の看護には男性の手がいるとのことで,男性が「看護夫」ともよばれて採用されていたことがある.

 今後,看護職の社会的レベルが高くなることで,看護師の実力も名称にふさわしくレベルアップすることが要望されるわけである.看護職が医師などと名称上同格となるならば,看護職は臨床の実力においても医師と同格であるパートナーとして働くことが求められる.

 女性で医師になった人は皆,終生医師として生き,職業の場から降りることは米国でも日本でも例外的な場合にしかみられない.一方,看護職は,終身看護職を貫くという強い内的努力は必ずしも医師に及ばないように思う.たとえ臨床看護の前線にいなくとも,看護職として,プライドではなく,dignity(尊厳)をもって,生涯,看護職であることをミッションと考えて完走してほしい.

 あの「生き方上手」を書かれた、日野原先生の「看護師」への名称変更についてのコメントです。なるほど、むしろ看護士さんへの配慮が大きいみたいです。
「男の看護婦さ〜ん」と呼ばれることも多いみたいですし。

 しかし、僕は思うのですが、「看護婦」と「看護士」というふうに、性別で呼び方を分けるのって、差別的なんでしょうか?名前が同じだから、平等でしょ?というのは、あまりに短絡的な発想な気がします。

ちなみに看護師さんは、英語では日本語でも英語でも“nurse”なのですが。
むしろ、世間の「白衣の天使神話」みたいなのがある種の偏見を産み出しているんじゃないかなあ。旧看護婦さんたちについて、だいたいみんな妄想過多なわけで。

 形から入るというのは、非常に大事なことなんでしょうけれども、正直、名前を「師」にするよりは、看護「師」さんたちは、あまりにハードすぎる勤務体制や待遇面の改善を優先的にやってもらいたいと思っているのではないんでしょうか。

 差別的表現といえば、「看護婦」「看護士」よりも、むしろ「女医さん」という頻繁に使われる表現のほうが、差別的なのではないかなあ。「男医さん」とは言わないし。

 最後にひとつ、日野原先生に謝っておきたいと思います。
僕は、「終生医師として生きる」気も「ミッションとして完走する」気もないんですよね。
長生きできたら50くらいでリタイアして、たまっているゲームをやってから死にたいです。すみません、不真面目で。