こんなはずじゃなかった、医者の仕事の現実
当直の夜、急患を知らせるベルの音におびえつつ、溜まりに溜まった書類を書きながら、こんなことを考えている。
ああ、僕が想像していた「お医者さんの仕事」と、現実の「医師の業務」というのは、なんて巨大なギャップがあったのだろう!と。
僕が学生時代(というか、医者になる直前まで)イメージしていた医者の仕事というのは、まさに「患者さんに接する仕事」だった。外来で問診をして、検査をして、薬を出す、あるいは結果を説明する、必要な場合は入院をしてもらって、より詳しい検査や治療をする。そして、夕方にはカルテを書いて今後の治療方針を自分なりに整理し、あとは研究をしたり、気分転換をしたりして明日に備える、という感じだった。もちろん、「朝から晩までひっきりなしに急患を診続ける「救命救急24時バージョン」の想像もしなくはなかったのだが、僕には無理そうだったのでその方向は考えないことにした。
さて、実際に医者になってみて感じた最大のギャップというのは、とにかく医者というのは、「患者さんと直に接していない場所での仕事が、やたらと多い」ということだった。それも、いわゆる「書き仕事」が。
いや、今夜はちょうど医療費の審査のためのレセプトという書類のチェックをやっているのでとくにそう思うのかもしれないが、実際に、この仕事をやっていて疲れるのは、高齢の患者さん相手に喋り続けなければならないノドと、一日中とにかくいろんなことを書き続けなければならない利き手(僕の場合は右手)なのだ。研修医時代は、検査のつきそいばっかりやっていたので足がきつかったし、外科の医者は手術があるので、内科の僕とは異なるとは思うのだけれど。
たとえば、ある外来担当日を例に挙げると、朝の9時から外来がはじまり、患者さんたちを診察しながら、30〜40人分くらいのカルテを書いていく。もちろん、9時からお昼すぎ(だいたい、13時から14時くらいに終わる)のあいだに、それだけの人数分のカルテを完璧に詳細まで書くことは不可能なので(当たり前だ、患者さんと話をしたり、診察をしたり、レントゲン写真を見るための時間だって必要なのだから)、重要なデータを走り書きするような形になるのだが。
そして、書かなければならないのは、カルテの所見だけではなくて、検査のための伝票や、薬を出すための処方箋もある。さらに、他の病院への紹介状や報告書の作成が必要なことも多い。これらはみんな「公文書」なので、あんまり適当に書くわけにもいかないのだが、とにかく外来では、「喋りながら手を動かしている」というのが、常態になってしまう。最近では、電子カルテの導入などで、この「書き仕事」がだいぶ減っているようなイメージもあるかもしれないが、あれの便利なところは検査データや画像をどこからでも見られるとか、病棟に行かなくても処方ができる、という面であって、一般診療では、書かない代わりにキーボードを打ちまくらなければならず、操作性も現時点では決して良いとはいえないので、正直、あまり効率的なシロモノではないし、かえって眼にも肩にもこたえる。
外来が終わって病棟に行くと、今度は看護師さんたちへの「○日にこの検査を」などの指示出しがある。さらに、発熱時はこの薬を、などの待機的な指示が必要なことも多い。そして、病棟の患者さんにも、検査の伝票は必要だし、なんといっても、カルテを書かなければならない。新しく入院された患者さんのカルテ書きは、病歴や全身所見など、かなりの大仕事だ。さらに、患者さんや家族に説明をすれば、その説明内容をカルテにまとめて書いておかないと、説明したことにならないのだ。言っただけでは、何の証拠にもなってはくれない。そして、多くの病院では、退院した患者さんについての「退院サマリー」を書くことが要求される。もちろん、入退院の多い一般病院では、大学病院などに比べればはるかに簡略化されたサマリーで良いし、上の先生のチェックもそんなに激しくはないのだが、これは本当に、ちょっと油断していたら、すぐに信じられないくらい溜まっていく。
とりあえずこれらの業務を終えた時点(というか、退院サマリーを就業時間内に書けるなんてことは、まずありえないけど)で、だいたい就業時間の17時とかはとっくの昔に過ぎているのだが、ようやく医局に戻ってくると、メールボックスには、診断書の束が入れられている。診断名と仕事を休む期間だけのごくシンプルなものもあれば、いわゆる「入院証明書」の類もある。そして、「主治医意見書」などという全くもって煩雑極まりない書類や(しかも、昨日はじめて会った人から「主治医」として書類作成を頼まれたりするわけだ)デイケアの施設からの「医者からのアドバイスを」なんていう依頼もある。はあ、と溜息をひとつついて、僕たちは、その書類の山に足を踏み入れる。不謹慎な話だが、ほんと、この診断書作成というのは、勤務医にとっては全くもって「どんなに書いてもギャラはおんなじ」なので、たくさんあるのを見ると辛い。開業医の先生などは、直接自分の懐に反映されるから、それはそれで書くモチベーションも違うのかもしれないが。
ようやく書き終えて撤退しようとすると、事務の人が帰り際に、また新しい書類をメールボックスに入れておいてくれたりするので、またUターンして書き始めることもある。僕個人としては、「書かなければならない診断書が溜まっている状態」というのが、とても精神的に嫌な感じなので、帰るときには、せめてそういう仕事くらいは片付けておきたいのだ。
でも、翌朝来ると、また書類の束が、メールボックスに入っている。夜になったら靴を作ってくれる小人さんが、僕の診断書も書いてくれないかと、真剣に悩んでいるが、小人さんは、僕の仕事を増やすほうが好きみたいだ。
そのうえ、月の初めには、「レセプト」という医療費の請求のための書類のチェックの仕事もある。まさに書類山積みのうえ、事務処理をする側も限界に近いところでやっているようなので、山ほどの書類のチェックを「2日間でお願いします」なんていうことになる。そして、レセプトチェックがあるからといって、僕たちは外来に出なくてよくなったり、検査をしなくてよくなるわけではない。もちろん、患者さんが急変しなくなったり、救急車が来なくなるわけでもない。今月のように祝日が入ると、「じゃあ、金曜日の夕方までに」という話になるのだが、正直、金曜日1日、しかも日常診療をこなしながら、山ほどの書類のチェックなんて、できるはずがないのだ。そこで、事務の人々も、僕たちも、休日出勤上等!で、書類書きをすることになる。
さらに、大学とかにいれば、これにプラスして回診だとかカンファレンスだとかに時間が取られていく。学生講義を手伝わされたり、ということもある。で、入院患者さんとは、大きな検査のとき以外は、せいぜい朝夕1回ずつ顔をあわせるだけ、ということになってしまう。正直、外科医たちは、どうやって手術時間や標本整理時間、術後管理の時間をひねり出しているのだろうか、なんて考えてしまうくらいだ。まあ、僕の知る限りでは、その答えは「寝てない」「自分の時間がない」ということに尽きるのだけれど。
話を戻すが、医者、とくに内科医というのは、とにかくやたらと一日中何か書いている仕事だ、というのが僕の実感だ。そして、困ったことに「入院や外来の患者さんをたくさん担当していれば、そういう書類仕事はあんまりやらなくてもいい」というような、平等チックなシステムはどこにもなくて、現実には、「担当患者さんの数が多いほど、書かなければならない書類の量も増える」ということになっていく。働けば働くほど、「付加業務」としてのサマリー書きや診断書作成などの仕事も、さらに増えていく一方なのだ。疲労困憊してようやく帰れるというときのロイヤル診断書フラッシュは、本当にキツイ。
正直、僕ほど「書き物フリーク」な人間は、医者の世界でも少数派だと思う。しかしながら、その僕でさえ(そりゃあ、仕事の書類への熱意と、こうして書く文章へのモチベーションは違うけどさ)、この「医者」という仕事における「書き仕事」の量には、閉口し、悶絶してしまうことが、けっこうあるのだ。いや、僕がイメージしていたのは、もっと、患者さんとちゃんと接する医者ではないのか、と。
実際は、「書き仕事」の合間を縫って、患者さんを診察に行っているような気持ちになってくるのだよなあ。
これって、「人間好き、書き仕事嫌い」の人には、かなり辛い仕事なのではないだろうか?僕の場合は、そんなに「人間大好き!」じゃないから、それなりに「向いている」のかもしれないけどねえ。