上機嫌な医者、不機嫌な医者


「上機嫌の作法」(齋藤孝著・角川oneテーマ21)より。

【厭なことがあって不機嫌、いいことがあったら上機嫌というのはふつうのことです。しかし、人と接するときに気分をそのまま出すことは、かつてはあり得ないことでした。気分などという個人的なものはさりげなく包み隠し、互いに人への気遣い、場への気遣いをしながら営んでいくのが社会生活の常識だったのです。

 世の中にこれほど不機嫌が蔓延してしまった原因は、この「気遣う」ということをしなくなったからです。共存空間を心地よくするために、人を思いやる、場に対して気配りをするといった感覚を教えてこなかった、養ってこなかったがために、今やそれが当たり前であることすらわからなくなっている。

 そして、自分が不機嫌をさらしていることにも気がつかなくなってしまった。深刻な問題です。

 基本的に、不機嫌でいて許されるのは、言葉で意思の疎通を図ることのできない赤ん坊だけだと私は思っています。泣いたりむずがったりすることでしか心身の状態を訴えることができないのですから、やむを得ない。しかし、それも幼児期までです。

 または、特異な才能を持った天才と呼ばれる人たち。膨大な知性を持つ学者や際立ったものを創り上げる芸術家は社会や状況への不満、不可解さ、苦悩をいったものをバネに、新しい価値観を生み出すことがあります。それゆえ多少ん不機嫌さや変人ぶりも世間が認めるところです。しかし、凡人である私たちが不機嫌でいいはずがありません。

 人間は本来、すべからく自分の気持ちをコントロールできる状態にあるべきなのです。】

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 正直、僕は最近、仕事でなんとなくイライラしていることが多くて、その原因は、なかなか自分の思い通りにいかない治療のことだったり、人間関係の難しさだったり、ただでさえ疲れ果てているときにひっきりなしに鳴る電話の音だったりするのでしょうが、まあ、自分でもはっきり「何が原因」と言えないような感じだし、なるべくそれを表に出さないように気をつけてはいるつもりです。

 それでも、そういう「苛立ち」みたいなものは、確実に周りに伝わっていたのではないかなあ、と、これを読みながら、あらためて自戒しています。

 例えば、外来で山積みになっているカルテに向かって、「なんでこんなに患者さんが多いんだよ、ごはんも食べられない…」と嘆息を放ってみたところで、結局、何一ついいことなんてないし、午前3時に「タクシー代わり」に救急車で来た患者さんに対して苛立ちをぶつけてみたところで、救急隊員も他のスタッフも、もちろん自分自身も「救われない」のです。そう、自分としては「世の理不尽に対する憤り」なのかもしれませんが、他人から見れば「周りを不快にさせているだけ」なんですよね。それでも周りからたしなめられないのは「医者」だからなのかもしれません。そういうときって、本当は、みんな疲れていてキツイ状況なのに、本当に周りが見えていなかったよなあ、と。

 齋藤先生も書かれていますが、「不機嫌」というは、「真剣さの証」みたいに誤解されがちで、「忙しくてやってられない!」と文句を言う人のほうが、一生懸命がんばっているように見えてしまうのですけど、実際は、そういうのって、必ずしもその人の仕事量に比例しているわけではないんですよね。

 そして、多くの場合、そういう「不機嫌」は、周りに余計な気を遣わせたり、萎縮させたりするだけで、何のプラスにもなっていないのです。本人にとっては、自分の存在のアピールになっているつもりなのかもしれないけれど、周りにとっては、単なる「ワガママ」でしかないことも多いはず。僕だって、一緒に仕事するなら、文句ばかり言っている人より、いつもニコニコしている気のいいやつと働いたほうが気持ちがいいし、そもそも、不機嫌さと優秀さなんて、全く比例しないものですし。むしろ、自分こそどうしようもないのに、いつも他人の文句ばかり、なんて人も少なくない。

 だいたい、外来の患者さんが多いのだって、開業医の先生たちにとっては誇るべきステータスなのですが、僕のような勤務医の場合には、自分の勤めている病院というバックボーンに対して「受診」される患者さんばかりなのだし。

 考えてみれば、あのブラックジャックだって、あんな無愛想さが許されるのは、彼が天才的な外科医であり、彼にしか救えない命があるからです。そこらへんにいる平均的な腕の医者が「手術料は3000万円!」なんて宣告したら、怒られるか笑われるに決まっています。マンガとしての、あのブラックジャックのキャラクターはものすごく魅力的なんですが、あの性格だけ真似しても、誰も手術料なんて払ってくれません。いや、同じ腕なら、愛想がいいほうが、受診する側やスタッフからすれば良いに決まってます。

 感情を顕わにするのが「人間的」だというのは、幼い人間の、身勝手な誤解なのかもしれません。
 感情を抑えることができるからこそ「人間」なんだよね、とくに公の場では。
 もちろん、夜中に起こされるのはキツイし、割りに合わなかったり、納得いかないことだって、けっこうあるのです。

 でも、僕は少しでも「上機嫌な医者」を目指したいなあ、と思っています。結局、「不機嫌」が生み出すものって、くだらない自己満足だけでしかないのだから。同じ仕事をやらなければならないのなら、いっそ笑って歩こうよ(byアントニオ猪木)。あんまりヘラヘラしすぎていたら、不謹慎だと怒られそうだけど。

 ただ、この業界の困ったところは、あんまりキツくなさそうな(フリ)をしていると、どんどん自分の仕事が増やされていく、というところなんですよね……いつもニコニコ仕事している人のほうが、突然「オーバーフロー」になってしまう場合が多いから、みんな「不機嫌」で自衛している面もあるんだよなあ、たぶん。