「時間外手当」を貰えない人々


asahi.comの記事より。

【モルガン・スタンレー証券会社(東京)に勤めていた男性が、時間外手当を支払うよう同社に求めた訴訟で、東京地裁は19日、「一定の条件下では、時間外労働の対価は基本給に含まれて支払われたと言える」との判断を示し、請求を棄却する判決を言い渡した。労働実務では、88年に最高裁判決が認めた「基本給に含まれると言うには、基本給のうちいくらが時間外手当かがはっきりしていなければダメ」との考え方が支配的だったが、その実質的な例外を初めて明示したとみられる。

 判決によると、原告は40代で、98年に入社。就業規則上の労働時間は平日の午前9時〜午後5時半だったが、02〜04年には毎日、午前7時半ごろからミーティングに参加していた。原告は解雇された後の04年、時間外手当計約800万円の支払いを求めて提訴した。

 判決理由で難波孝一裁判官は(1)原告の給与は労働時間数によってではなく、会社に与えた利益などによって決まっていた(2)同社は原告の勤務時間を管理しておらず、原告は自分の判断で働き方を決めていた(3)基本給だけで月額183万円を超えており、時間外手当を基本給に含める合意をしても今回のケースでは労働者の保護に欠ける点はない――と指摘。こうした場合は、基本給の中に時間外手当が含まれているとしても、サービス残業を助長するようなおそれはなく、時間外労働に対して割増賃金を支払う義務を定めた労働基準法に違反しないと述べた。

 経済界などからは、労働時間についての厳格な考え方に異議を唱え、原則1日8時間労働の規制をホワイトカラーの一部には適用しないようにする制度を導入すべきだとの議論も出ている。判決はこうした議論に影響を与える可能性もある。 】

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 時間外手当も払わないなんて、モーガン・スタンレー証券会社って、なんて非常識かつ傲慢な会社なんだ!と思って読み進めていくと、判決理由の【(3)基本給だけで月額183万円を超えており】のところで椅子からずり落ちてしまう、というこの記事なのですが、まあ、それはそれとして、「労働時間と給与」に関しての一般的なイメージというのをあらためて考えさせられました。「そんなにもらっているんなら、7時半からのミーティングにくらい出ろよ!」とか、よそ様の業界のことになると、思ってしまうわけです。

 僕自身は医者になって10年くらいですが、そのうち2年間は、いわゆる昔の「研修医」で、月給15万+健康診断などのバイト代(まあ、多い月で月給と同額くらい)で朝から晩、いや、晩どころか深夜ときどき早朝まで働かされていたわけです。「時給に直すと、コンビニよりはるかに安い!」なんて、みんなで嘆きあっていました。そして、研究生を3年間くらいやっていて、これも無給どころか「学費」を納めていましたから(バイト代はあったけど)、本当にまともに給料をもらっていたのは、大学医局時代(これもバイト代が主な収入源だったけど)と外部の病院に出向していた3年間くらいのものなんですよね。それでも幾ばくかの貯金があるのは、たぶん、独身なのと使う暇がなかったからなのではないかと。

 まあ、本当に医者の労働時間に対する考え方というのは病院それぞれで、以前「基本給が高いんだから、若手の医者は超過勤務はつけるなよ」(まあ、確かにその病院の給料は当時の僕の経験と実力を考えたら優遇されていた)と言われたこともありましたし、今みたいに、時間外勤務をつけさせてくれるところもあります(ただし、こちらは逆にかなりこまめに超過勤務をつけていかないと、給料明細を見てガックリ、ということになってしまいます)。

 しかしながら、医者という仕事は、本当に「勤務時間」というのが曖昧な職業なんですよね。開業している医師などは、ある程度「営業時間」が決まっているのですが、入院患者を担当している医者にとっては、24時間ずっと病院内にはいるわけではないとしても、「いつ呼ばれても対応するのが当然」だったりするわけです。当直だってあるのだし。そして、研修医たちは患者さんたちの朝の食事が始まる前の7時くらいから採血をやっていたり、日常業務が終わった22時くらいからカンファレンスの準備をはじめたり、というように、「就業規則上の勤務時間」なんて、誰も意識していません。まあ、せいぜい寝坊しないように、というくらいのもので。だいたい、外来や病棟業務だけでも17時になんて終わりはしないのに、その上、医療保険請求用の書類のチェックとか、患者さんの診断書作成なんていう業務も続々とやってきます。まあ、頼むほうも頼まれるほうも、「医者だって勤務時間内に仕事を終わらせるのが当然」なんていう意識はないのですよね。いや、夕方とかにメールボックスに診断書依頼が詰め込まれているのを見ると、正直かなり憂鬱な気分にはなりますが。ほんと「時間外勤務上等!」な職場というか、「時間外にも働かないようなヤツは、医者やめちまえ!」とかいうのが「常識」なわけです。最近は、「新研修制度でローテーションしてきた連中は、18時くらいに平然と帰りやがる!」というような軋轢があったりもするんですが。病棟業務が終わって、「やっと標本整理ができる」とか「やっと退院サマリーが書ける」ときには、もう23時、というのが日常茶飯事。そのうえに論文書き、資格をとるための勉強、診療に役立てたり、勉強会で紹介したりするための論文読みなど…

 そして、「営業時間」が決まっていそうな開業医というのも、実際は自分が紹介して大きな病院に入院中の患者さんの様子を見に行ったり、地域の人々とコミュニケーションをとったりしないといけないので、あれはあれで大変みたいなんですよね。まあ、それは「義務」ではなく、「企業努力」なのだし、「結果」が収入に反映されやすい分だけ、「やりがい」はあるのかもしれませんが。

 実際のところ、どんなに「医者の仕事はきつい」と叫んでみても、医者から転職する人は少ないし(というか、ある意味「ツブシが効かない業界」であることも確かで、「医者を辞める」=「落伍者」という意識が強い世界なので)、結局、外部からは「待遇がいい」とか「好きでやっているんだろ?」とか思われているんだろうなあ、という気がするんですよね。いや、この証券会社の人の「就業時間」だって、まさか毎日午後5時半に帰っていたわけもなく、朝のミーティングも「自分の判断で働き方を決めていた」とはいっても、こういうミーティングを「就業規則にないから」という理由でスルーできる剛の者なんて、そんなにいるわけもないので、「暗黙の義務」だったのだろうな、と思いますし。正直、この基本給で、それが「時間外手当の対象」になるかといわれると、僕はあまり積極的に指示する気持ちにはなれないんですけどね。結局、「隣の芝生は青く見える」ということなのか。まあ、医者でも「稼いでいる人は、ちゃんと働いている」のだよなあ。

 しかし、【基本給の中に時間外手当が含まれている】にしては、とくに大学病院などの医者の「基本給」というのは、悲しいくらい微々たるものです。でも、なんかこう、お金の話ってしにくい世界であるのも事実で。だいたいさ、多くの医者は、どうみてもブルーカラーだしねえ……

 「金のためにだけ働いているんじゃない」つもりではあるんだけど、「お前は医者なんだから、金のことなんて言うな!」と他人に押し付けられるというのは、やっぱりちょっと悲しいのです。