医者が「恵まれた職業」である理由
先日の後輩の結婚式のあと、久々に会った同級生たち(みんな医者)と飲んでいたら、こんな話になった(ちなみにみんな、けっこう酔っ払っていました)。
「先輩、自分の子供がいたら、医者にしたいと思います?」
僕は自分自身が医者になったということに後悔はしていないけど、正直、自分に向いているかと言われると疑問なところもあるし、もともと弁護士か学者になりたかったのに(後者のほうについては、あながち的外れとも言えないけれど)、親の影響+なんとなく外堀を埋められてしまったのではないか、というような思いもあって、
「う〜ん、本人がよっぽど『なりたい』って言うならともかく、俺としては、『できればなって欲しくない』という気がするなあ。こんな医者にとっては難しい時代でもあるし」
と答えました。
すると、その後輩は僕にこんなふうに言ったのです。
「えーっ!ボクは子供を医者にしたいですけどねえ」
「それは、跡継ぎとか、そういうの?」
「いや、ボクは自分の病院とか造る気はないですけど、やっぱり医者って恵まれていると思いますよ。こんな世の中なのに、就職活動なんかほとんどしなくていいし、仕事をひどく選り好みしなければ失業することもない。他人に『ありがとうございました』なんて感謝されて平均よりはマシなくらいにはお金ももらえるし、ちょっと忙しいことを除けば、こんなに良い仕事は他には無いですよ。」
確かに、そうかもしれないな、という気もしたのです。
今から考えると、「自分に医者以外の仕事ができたか?」なんて怪しいものだし。
就職活動のために何度も「不採用」を喰らったり、契約を得るために思ってもいないお世辞を口にしたり、クレーマーみたいな顧客に平謝りしたり。
そういう「普通のサービス業をやっている自分」というのは、なんだか想像できない。
昔読んだ「課長・島耕作」に、島の上司の部長がお得意先の新年会の時間を間違えて教えられたために遅刻し、その場で裸踊りをやるという話を読んで、「サラリーマンってキツイなあ…」と戦々恐々とした記憶もあるし。
もちろん、医者の世界にも難しい人間関係というのはたくさんあるし、クレーマーみたいな人に絡まれることもあるのだけれど、研修医の一時期を除けば、「勉強はしなくてはならないし、キツイのは確かだが、プライドは保てる職業」ではあるのだよなあ。
ただ、「プライドだけの人間」になってしまうリスクは常に抱えた仕事でもある。
そういう人だって、けっしていないわけじゃない。
僕はそれでも、自分の子供は医者にしたくはないのだけれど。
まあ「絶対に医者にしない」というのは「絶対医者にする」のと同じような発想のような気もするし、だいたい、子供ができるかどうかだって今の僕には怪しいものだ。
でもなあ、あらためて考えてみると、医者というのは「他人に頭を下げなくてお金をもらえる」「勉強をしてお金をもらえる」という意味では、たぶん、恵まれた仕事なのだろう。
もちろん、テレビドラマに出てくるよりは細々とした雑用が多くて、キツくて汚くて危険な仕事なんだけどね。
とりあえず「医者は恵まれた職業」なのだと僕も思う。
他の仕事に就いたことはないから、比較はできないけれど。
そう考えれば、「良い仕事には、責任が伴うのは当然」であり「世間の人々の多くが、自分の体を診る人間を特別視することで不安感を払拭しようとしている」のならば、その幻想を破壊するのが正しいのかどうか?
「誰もやりたがらないような仕事をイヤイヤやるような人」に針を刺されたり、手術をされるのは自分が病人だったらたまらないだろうしなあ。
とはいえ、医者には医者なりの辛さがあるのも事実なので、やっぱりこの仕事にも「向き・不向き」というのはあるのだと思います。
それはたぶん「偏差値」ではなくて、人間としての「生き方」みたいなものに対して。