医学の希望、医療の痛み〜双子姉妹分離手術に思う〜


毎日新聞の記事です。

【ロイター通信によると、シンガポールの私立ラッフルズ病院で頭部分離手術を受けていた29歳のイラン人の双子姉妹が8日、出血多量などで相次いで死亡した。

 ラダン・ビジャニさんとラレ・ビジャニさんの2人の手術は6日に始まった。病院によると、2人は脳の中央部の静脈を共有しており、ミリ単位の分離手術が続いた。脳の分離が完了した直後にラダンさんが、間もなくラレさんも死亡した。日、米、シンガポールなどの医師28人とスタッフ約100人が国際医師団を編成し、交代で手術に当たっていた。

テヘラン大学で法律を学ぶ姉妹はラダンさんが故郷のイラン南部シラーズで弁護士になることを希望、ラレさんがテヘランでジャーナリストになることを強く望んでいた。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕が最初に、この双子姉妹の手術死の記事を読んで感じたことは、「そんなリスクを負ってまで、2人を分離する必要があったのか?」ということでした。
 少なくとも、分離しようとしなければ、2人の自由は大きく拘束されるかわりに、手術の浸襲による生命の危険は回避できるでしょう。
 失敗したら、こういう結末になる可能性は十分に予見できていたはずなのに、と。

 ビジャニさん姉妹と、ここに集まった28名もの医師とスタッフ100人(しかし、いくら大手術とはいっても、28人という医者の数は多すぎるので、参加した医師のうちの何名かは、「後学のため」という意識があったことは否定できないような気がします)は、大きな困難が予測されたこの手術に挑み、そして夢は破れました。

 手術は奏功せず、姉妹は、2人とも出血死してしまったのです。

 この姉妹は、分離手術を受けようとしなければ、少なくともすぐに命を落とすことはありませんでした。
 患者さんの命を第一に考えるならば、こんな危険な手術はやるべきではないのでしょう。
 たぶん、医療スタッフにも、それは大きなジレンマであったのでは。

 「手術をしなければ、確実に命を落とす」という状況であれば、いかに困難な手術でも、挑戦することに意義はある。
 言葉は悪いけれど、「座して死を待つよりは…」という気持ちになる人は多いはず。

 正直、この手術を行う、ということが妥当な判断であったかは、脳外科を専門としているわけでもない僕にとっては、医学的には判断できません。

 医者の中にも、この手術を成功させることに功名心を持った人間だっていたでしょう。

 でも、いろいろ書かれていた記事の中で、僕は、この【テヘラン大学で法律を学ぶ姉妹はラダンさんが故郷のイラン南部シラーズで弁護士になることを希望、ラレさんがテヘランでジャーナリストになることを強く望んでいた。】という部分を読んで、その希望が叶えられなかった2人の無念を思うとともに、その希望のために、命を賭けた2人の決意も感じるのです。

 たぶん、危険は承知の上、だったのでしょうね。

 だからといって、この結果を素直に受け入れられるものではないとは思うのだけれど。
 
 この難手術に従事した関係者は、みんな、「2人に自由をあげたい」と考えていました。
 そのために、自分たちの持つ医学の力を最大限に発揮しようとしたはずです。
 この危険な手術を行ったことが、はたして正しいかどうかは、僕にはわかりません。
 でも、「絶対に間違っていた」と言えるひとはいなのではないでしょうか。

 「分離手術」という方法が存在しなければ、2人が希望を持つこともなければ、こうして命を落とすこともなかった…

 そんなことを考えるたびに、医学というのは、ある意味非情な学問だなあ、と僕は思うのです。 
 おそらく、今回の手術の経験は、将来の同様の患者さんの手術の際の大きな参考になるでしょう。

 医学は、「人類」という具体的な形が見えないもののために進化していきます。
 誰かにとっての大事な命や、多くの人の希望や絶望をエネルギーにして。