「医者という技術者」の育成の難しさ


読売新聞の記事より。


【東京医科大学病院(東京都新宿区、臼井正彦院長)第2外科で、2002年10月から今年にかけて、男性心臓外科医(45)が担当した心臓弁膜症の患者4人が、手術後に相次いで死亡していたことが分かった。
 医療ミスを疑った3遺族は、東京簡裁に証拠保全を請求、これを受けて同簡裁は10日、死亡患者3人の診療録(カルテ)などの保全手続きを行った。心臓弁膜症手術の死亡率は34%とされ、専門家は「極めて異常な事態」としている。外科医が所属する医局は、院長ら病院トップに事実を報告していなかった。
 この外科医は10日、読売新聞の取材に対し、「執刀した3人を相次いで死なせてしまったので、4人目も主治医だったが、手術では執刀をさせてもらえず、助手を務めた」と語った。4件目の手術についても、遺族は、この外科医が執刀医だったと説明されていた。
 関係者によると、1例目の女性(71)(東京都杉並区)は2002年10月、心臓弁の閉鎖不全と診断され、この外科医の執刀で手術を受けた。翌日、心臓から出血していることが分かり、再手術を計3回受けたが、2か月半後に死亡した。
 この女性が死亡する6日前に手術を受けた女性(81)(同)の場合には、手術時間が予定を大幅に上回る20時間以上を要し、女性は意識が戻らないまま12日後に死亡した。
 昨年3月には、弁置換手術と冠動脈バイパス手術を同時に受けた女性(68)(中野区)が、手術後も出血が止まらず、再手術を数回繰り返した後、脳死状態となって2週間後に死亡。
 今年に入ってからも、弁置換などの手術を受けた患者が死亡している。
 病院側は手術前、「難しい症例ではない」などと説明していた。死亡した理由について、外科医は遺族に「合併症などが原因」「弁置換は成功したが、ほかの血管が切れた」などと説明したという。
 今回の事態について、同病院の行岡哲男副院長は10日夜、「寝耳に水の話で、大学当局には、全く報告がなかった。早急に調査する」と語った。
 日本胸部外科学会によると、心臓弁膜症の弁置換や冠動脈バイパス手術は、全国約500か所の心臓外科で一般的に行われており、所要時間は通常45時間。患者が高齢でも、死亡するのはまれだという。同学会の役員の1人は「検証してみないとわからないが、1年あまりで4人の死亡は多過ぎる」と指摘している。】

 心臓弁膜症=心臓の弁が正常に閉まらずに、血液が逆流する「閉鎖不全」と、弁の開きが悪くなって血流が妨げられる「狭窄(きょうさく)」の2種類がある。高齢化による血管の硬化、細菌感染によるリウマチ熱など様々な原因があり、手術には、人工弁に替える「弁置換」と、弁を縫い合わせて形を整える「弁形成」がある。】

【東京医科大学病院(東京都新宿区)の第2外科で、同じ外科医(45)が担当した心臓弁膜症の患者4人が相次いで死亡した問題で、第2外科の主任教授の石丸新教授(57)は11日夜、読売新聞の取材に応じた。
 石丸教授は、患者の死亡が続きながら、引き続き、この外科医が執刀したことについて、「トレーニングとして経験を積ませようと思った」と語り、自らの指示だったことを認めた。
 病院によると、外科医はバイパス手術が専門で、弁膜症手術の執刀経験は、これまでにかかわった995例の手術のうち21例にとどまっている。

 このため、石丸教授は「弁膜症手術の経験を重ねさせてやろうと思った。言葉としては悪いが、トレーニングとして必要だった」と話した。
 また、「(外科医は)海外での経験もあり、(今後の)教育の問題もある。いつまでも(手術を)やらせないわけにはいかない。(手術チームに)外部からベテランを呼んだうえで、経験を積ませようと判断した」とも語り、4人の患者の死因については、「手術ミスではなく、合併症などが原因だったと判断した」と述べた。
 自らが病院内の安全管理を統括するリスクマネジメント委員長だった当時に起こった死亡例を、院長らに報告しなかったことについては「やるべきことはすべてやっており、報告すべき事例ではないと考えた」と話した。】

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 確かに「検証してみないとわからないが、1年あまりで4人の死亡が多すぎる」というのは間違いないようです。この教授のお話からすれば「まだトレーニングが必要な段階の医者が執刀していた」というのも事実なようだし。実際のところは、そういう「難しい症例」というのが連続することが絶対にありえないか?と言われれば「絶対にそうとは言い切れない」のだし、「手術時の担当医の技術的な問題」ではなくて、「こういう患者さんは手術に耐えられる」とう「手術適応」を決める段階での問題があったのかもしれません。要するに、「手術に耐えられない可能性が高いような患者さんを手術してしまっているのではないか?」ということも考えられるのです。

 もっとも、外科医は、「耐えられないかもしれない状態」でも、救命のために手術を行うこともありますから、「危険な手術=悪いこと」と一概に言い切れないところもあるわけで、家族への説明不足だった可能性もあります。「難しい症例ではない」というのは、安心させようと思っていったのかもしれませんが、事実だとしたらちょっと楽観的すぎたのかも。

 現場の人間としては、「こういう合併症があります」「命を落とす可能性もあります」と、患者さんや家族を不安にするような話ばかりするのは、いたたまれない気持ちになることも多いんですけどね。

 さて、この件そのものに関しては、今後の調査結果をみていかないと、正直、僕には今の時点では何も言えることはないのですが、これを読んでいて、あらためて「医者という技術者」を育成することの難しさを考えさせられました。

 たとえば料理人や陶芸家であれば、トライ&エラーというか、作品が不出来であれば、「ダメだ!」と言ってゴミ箱に投げ込んだり、叩き割ったりしても、材料がもったいないだけで、誰かが傷つくわけではありません。逆に、そうやって修行するのが当たり前の世界なのです。

 しかしながら、医者の世界では、「トレーニング」=人間相手にやってみる、と、ならざるをえないのです。エコーなど下手でも時間がかかるくらいで他人に直接危害を与えないような検査なら、まだいいのですが(もちろん「練習として」なので、最終的な結果は、上の先生に確認してもらうことが必要です)。採血や点滴、胃カメラレベルであれば、医者仲間で練習しあったりもできるのですが、いくらなんでも、同僚の健康な人に対して「心臓弁膜症手術の練習をさせて!僕の手術もしていいからさ」と言うわけにはいきません。だからこそ、最初はそれこそ手術時の視界を確保するために、道具をずっと引っ張っているだけの役割からはじまって、手術後の縫合とか、手術に使う血管を体の他の部位から取ってくる係だとか、人工心肺を管理する係だとか、さまざまな役割をステップを踏んで練習して、上の先生の手順や手術の勘所を頭とからだに染み込ませてから術者として一本立ちしていくのです。とくに心臓関係の手術というのは、ここにも「全国500箇所」とありますが、かなり大がかりな機材や多くの熟練したスタッフを要するので、実際に行っているのは全国でもそんなにたくさんの施設ではなく、その技術を学ぶのも非常に時間がかかるのです。僕は大学時代に「心臓外科の執刀医は、大学にひとりいれば十分だから、術者になるのは大変」と聞いたような記憶があるのです。この教授の年齢を考えても、「後継者」に経験を積ませたい、という気持ちがあったのは確かでしょう。21例執刀、というのは、「経験不足」と断じていいほどの「少ない数字」ではないような気もしますし、それを言うなら、誰も「新規参入」できなくなってしまうし。

ひとりの患者としては、僕自身だって「熟練医」に診てもらい、手術してもらいたいと思います。しかしながら、医者の立場から考えると、「すべての患者さんを熟練医しか診られなくなったら、『熟練医』は、いずれ絶滅してしまうじゃないか!」というのも、ひとつの現実です。どこかで「世代交代」していかないといけないのは、宿命なのです。

 とはいえ、「あまりにも問題ばかり起こす人」というのに対しては、やっぱり、「できるまで練習させる」というわけにもいかないし、「トレーニング」なら「トレーニング」なりの、比較的簡単(と予想される)ケースを熟練者と一緒にやることによって経験を積んでいくべきでしょう。それでも、「いつかはひとり立ちしなければならない」のだし、「簡単な手術ばかりやっていては、実力がつかない」のです。

 それこそ、アメリカみたいに、「お金は払わなくていいけど、ここは研修病院だから、研修医が診ます。熟練医に診てほしかったら、自分でお金を払って好きなところで診てもらっていいですよ」というほうが、ある意味「合理的」なのかもしれません。それはそれで、今の日本の医療制度に慣れた僕からすれば「いやな感じ」ではあるのですが。

 研修医のことばかりが取りざたされがちな昨今ですが、これからは、「ある程度経験を積んだ医者が、どうやって自分の技術を磨いていくか」ということも、考えなければいけない時代になってきているのは間違いないようです。その「ミス」が患者さんに与える影響というのは、研修医のちょっとしたミスよりも、はるかに重くなることが多いわけですから。

 それにしても、こうして考えてみると、今までの日本の「国民健康保険による、かなり平等に近い医療制度」というのは、ある意味「先生、まだ頼りないけど、頑張ってね」と温かく見守って、多少の点滴の失敗やエコーの練習も許してくれる優しい患者さんたちのおかげなのかもしれません。今回の件とは関係ありませんが、すべての患者さんが「この分野で最高の医者を呼べ!」なんて言うようになったら(しかも、それを求められれば、紹介状を書くというのが今の制度)、熟練医は、みんなパンクしてしまいます。そして、時間が経つにつれ、経験を積む機会を失った「未熟な」医者たちの割合が、どんどん増えていくことになるのです。

 もちろん、「未熟だから」という理由で、ミスを許すというのは間違いです。しかしながら、今回の件で、「医者を育てる」というのは、非常に難しいことなのだなあ、とあらためて考えさせられました。それこそ、「器用で、なんでも最初から自分ひとりで完璧にできる」ような「天才」ばかりが医者になっているのならいいんでしょうけど、残念ながら、そういう人間だけしかなれないのなら、医者の数は不足しまくってしまうでしょうし…