看護師は、ガイコクジーン!



読売新聞の記事より。

【政府が地域を限定して規制を緩和する「構造改革特区」の第5次の申請で、全国12の病院や介護施設などが、外国人の看護師や介護士の受け入れを認めるよう求めていることが、30日明らかになった。
 高齢化の進展で、地方を中心に看護師や介護士の不足が深刻化していることが背景にある。政府は外国人労働者の受け入れに高いハードルを設けているが、フィリピンとの自由貿易協定(FTA)の交渉では、フィリピンが看護師と介護士の就労を求めていることもあり、今後、外国人受け入れを巡る議論が活発化しそうだ。
 外国人の看護師は現在、日本で働く際は期間に制限があり、外国人の介護士は在留資格がないため、日本で働くことができない。
 12の病院などは、高齢化と若年層の都市集中などによって、地方では看護や介護の担い手がなかなか確保できず、外国人の介護士や看護師に来てもらいたいとして、特区を申請した。
 この中で、福岡県内の病院は「地方の病院は毎年必要な看護師を確保するのに苦慮している」とし、外国人看護師が期限なしで就労できるように要求。また、兵庫県内の病院も「政府の医療人材確保への対応は不十分」として、同様の規制緩和を求めている。

 在留資格=政府が、外国人の滞在期間と滞在中に可能な活動や身分・地位などを認定する制度。出入国管理及び難民認定法では27種類の資格を規定しており、看護師は日本の看護学校を卒業して国家資格をとれば、4年間働くことができるが、介護士は認められていない。】

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 もし自分が病気になったとして、外国人に看護してもらいたいと思いますか?

 うーん、これは非常にデリケートな問題です。「国際的な人材の交流」とか「外国人差別の撤廃」という観点からは、「外国人看護師・介護士の受け入れ」というのは、けっして間違ったことではないでしょう。むしろ、率先して進めるべきことなのかもしれません。
 それは、理屈としてはよくわかるのですが…

 医者の世界では、海外の研究施設や病院に「留学」する人は、けっこう多いのです。

 僕も、そんな留学経験のある人たちに接する機会があるのですが、そういう人たちが口々に言うのは、「留学といっても、基礎の研究ならともかく、外国で臨床をやるというのは本当に難しい」ということなのです。
 「どっちも海外で仕事をするという点では、似たようなものなんじゃない?」と思われる方も多いのではないでしょうか。でも、やっぱり「臨床のほうが、はるかに大変」だということみたい。

どうして海外で臨床をやるのは、基礎研究をやるより難しいのか?
 結論から言うと、「言葉と文化、そして対象とする相手の違い」というのがあるからです。
 日本人は「英語の読み書きは得意だけど、喋るのは苦手」とよく言われます。
 しかしながら、普通に海外で仕事をしていれば、日常レベルの会話というのは、それなりにこなせるようにはなるみたいですし、臨床の現場でだって、そんなに問題ないのでは?なんて僕などは考えていたのですが、ある先生は、僕にこんなふうに話してくれたのです。

「だってさ、相手は具合が悪くてイライラしていることだってあるし、症状の微妙なニュアンスなんて、日本語でだって読み取るのは難しいんだから。それに、普通のアメリカ人は、わざわざ病院に来たのに東洋人に診察されることに、けっしてプラスの感情を抱かないしなあ。第一、ラボ(研究室)での会話みたいに、周りの人も「この日本人に聞き取りやすいように」なんて親切にゆっくりはっきり話してもくれないし、下手な英語を聞き取る努力もしてくれないしね」
 確かに、それが現実なんだろうなあ、と思うのです。

 研究室というのは、そういう意味では同じような目的を持った人たちが集まる場所ですし、そういう「言葉に慣れていない人」に対して臨床の場よりは比較的寛容でもあるのでしょう。

 臨床の現場で、苦しくて息も絶え絶えの人に「言葉がわからないから、もっとゆっくり喋ってください」なんてお願いできないですよね。

 では、この記事のような「日本国内における、外国人看護師・介護士」の場合はどうなのでしょうか?正直なところ、僕はこれを読んで、「日本の医療界は、そこまで人手不足なのか…」と暗澹たる思いがしました。

 もちろん「外国人が日本で働く」ということに関して、なるべく機会均等であろうという発想そのものは、間違ったものではないでしょう。日本の看護学校を卒業した人であれば、4年間と言わずに、普通に働いてもらえばいいのではないかなあ。
 逆に、看護学校を卒業するのに必要な時間を考えれば、「4年間」という年限は、あまりにも短すぎるのではないかな、と思いますけど。
 その一方で、この申請をしている病院が「地方で、看護師の人手不足」というような病院であるというのは、なんだかなあ、という気もします。
 この「看護師・介護士不足」の御時世でも、条件が良かったり、勉強になるような病院のこれらの職については、けっして定員割れしているわけではありません。一般企業と同じように「より仕事がキツくて、条件が悪くて、あまりステップアップにも繋がらない」という職場のほうが、人手不足に陥りがちなのです。
 そういう場所を外国人で穴埋めする、というのは、なんだかなあ。
 というか、はたしてそこで外国人看護師たちが正当な扱いを受けられるのか?とかいわゆる「員数合わせ」を目的としたものではないのか?という疑問もあります。
 もちろん「それでも、自国よりは条件の良い日本で働きたい」とか「日本で勉強したい」という人もたくさんいるのでしょうけど。

 その一方で、患者さんの側からしたら、どうなのでしょうか?
 先ほどはアメリカに留学した日本人医師の話でしたが、自分が患者であれば、やはり「コミュニケーションがとりやすい人」を望むのは、自然な感情なのではないでしょうか。もちろん「全然日本語はわからない」なんてことはないでしょうが、やっぱり症状の微妙なニュアンスとかを伝えたり、ちょっとした日常会話の場では、「難しい面もある」というのが現実だとは思うのです。

 「看護・介護の心」は同じでも、そういう「壁」というやつは、とくに体に不調を抱えている人間にとっては、大きな問題があるのではないかなあ、と。
 とくに、多くの日本人は、外国人と接する機会に乏しいですし、病人にいきなり「国際交流」を求めるのもツライのでは…
 まあ、ひょっとしたら、「今の若い日本人の娘のほうが、よっぽど話が伝わらない!」とかいう声も出てきたりするのかもしれませんが。

 そう言いながらも、日本国内での看護師・介護士不足という実情が急に改善されることはありえませんし(第一、介護される側の人の増加に追いつくことは困難だろうし)、担当の看護師が外国人、なんていうのは、近い将来にはごく当たり前のことになる可能性もありそうです。

 ただ、それならばなおさら「単なる受け入れ」だけではなくて、その看護師が、言葉や専門家としての能力において、業務に差し支えの無い能力を持っている、ということをちゃんと評価する場が必要でしょうし、本来はそういう「受け入れ」というのは、「田舎の誰も働きたがらない病院」でいきなり、というよりは、日本国内の中核病院でしかるべき研修を積んでもらってから、行われるべきだと思います。

 フィリピンだって看護師や介護士がありあまっているわけではないでしょうから、なんだか切ない話ではあるんですけどね。

付記:もちろん、海外でも臨床で頑張っておられる医師もいらっしゃいます。
 コチラの方などは、その代表ということで御参考までに。