職業用語としての方言


僕が親について九州にやってきたのは、小学校5年生のときだった。それまで住んでいた広島にももちろん方言というのはあったけれど、それが僕にとっての標準語。

九州に来て何ヶ月かすると、父親は食卓で「〜じゃない『と』」というような言葉をおどけて使うようになり、それがすごく不快だった記憶がある。裏切り者、周りにすぐ影響を受ける人、みたいな感じ。
それは、次第に家族に蔓延していき、姉や妹も「〜ばってん」というような、コテコテの九州弁(正確には、博多弁だったのかな)を使うようになっていった。

もともと引越しが多い家庭ではあったのだが、この九州への引越しは、地方の中規模の都市から田舎への転居ということもあって、僕の価値観をめちゃめちゃに破壊した。

母親は、この土地で一番高い建物である7階建ての小さなデパートを見て嘆息し、僕は学校の周りのすべての場所で蛇が出そうな気がして、怖くて仕方がなかったのだ。

一年もすれば、家の中では方言が標準語となり「〜と」という語尾が常用された。
相変わらず、僕は自分の中での標準語である広島弁を使おうとしていたし、学校でたまに方言をしゃべろうとするとものすごい違和感と軽い自責の念にさいなまれた。
お前は、田舎の言葉に妥協しようとしている、と。

そんな時代から、もう20年。そのあいだ、僕はずっと九州の佐賀県というところに住み続けている。言葉も、たぶん関東の人が聴いたら九州人のしゃべりなんだろうと思う。

4年前から2年間、ただでさえ田舎であるこの県のさらに田舎の病院に赴任することになった。最初は、地元のお年寄りが話していることの内容が、まったくわからなくて困惑。おまけに、そのひとたちはみんな耳が遠くて、大声を出すのが大嫌いな僕でも、自然に外来じゅうに響き渡るような声が出せるようになっていった。
そして何ヶ月かたつと「何々とね!」というような方言が、自然と口をついて出るようになってきた。軽い違和感が自分の中にはあったけれども、そこで生きていくためには、必要な適応であったのだ、きっと。
お年よりはNHK的な「標準語」なんて全然わかんないし、その「わからないこと」を理解できないほうが筋違い。同じような言葉を使うことで、少しでも地元の人たちに近づきたかった。いや、そうしないとやっていけなかったんだ。異邦人である僕たちが、合わせていかないといけないのだ。家でおどけて「〜ばってん」なんて子供たちにウソっぽい方言を使っていた父も、たぶんいろんな葛藤があったんだろうなあ。それを使って生きていかざるをえない違和感は、ずっと長い間、他の言語圏での経験が長い彼のほうが大きかったはずだから。

いま、そのことを父に尋ねてみたくても、彼はもうこの世の人ではなく。
ただ、にわか九州弁の響きとしゃべり手と聞き手の恥ずかしさが、記憶の底に蘇ってくるのみ。 

ふるさとの方言を懐かしめる人、ふるさと自慢ができる人が、とってもうらやましい。
今でも、僕の佐賀弁は「先生、こっちの人じゃないでしょ」と言われるレベルのものなのだ。それは、ココロの距離なのか。そう、ドコノヒトデモナイノデスヨ。
なんていいつつ、学会などで東京の人の「〜ですけどね」とか「〜じゃん」とかいうのを耳にするとかっこつけやがって!とか、妙に敵愾心を燃やしていたりもするわけなんだけどさ。