広末さんの結婚・妊娠と、ひとりの女性研修医の受難


 広末さんの妊娠について、「社会人としての自覚が足りないのではないか」というような内容のことを「活字中毒R。」で書いた。まあ、やっかみ半分ではあったけど、それでも彼女の急な妊娠によって、たくさんの人が迷惑を被ったはずだ。
 でも、ある話を思い出して、僕はなんとなく広末さんを責めるのも筋違いかな、なんて思いはじめている

 それは、若い研修医たちが、はじめて外の研修病院に出ることになり、挨拶周りに行ったときの話。
 その病院は、ある地方の中核病院で、かなり忙しいと噂されているところだ。
 院長に挨拶に行ったその既婚の女性研修医は、院長にものすごく不愉快なことを言われたのだ、という。
「セクハラですよ、あれは!」と憤る彼女に話を聞いてみると、こんなことを言われたのだという。

「先生、結婚しているらしいけど、うちにいる間は妊娠したりしないでね」
 …確かに、セクハラだと僕も思う。
 でも、現場で働く人間の本音って、こんなものなのかな、という気もするのだ。

 「妊娠して子供ができる」というのは、非常にすばらしいことだ。今のところ人類は、それ以外に新しい命を生み出すことはできないわけだし。
 しかしながら、それが「望まれた、幸福なもの」であっても妊娠には多くの場合、つわりの期間があり、安定期に入るまでムリはできない。お産の前後は産休が必要だろうし、子供が小さければ育児のための時間だって要る。実家のサポートが得られればいいが、今の核家族化がすすんだ状況で、誰しもが自分の身内を頼るというわけにもいくまい。
 それでも、ある病院に常勤医として、例えば10年勤めるのであれば、1年くらい産休・育児休暇があっても、現場としては仕方ないと判断してくれるだろう。
 だが、現実問題として、1年とか2年単位で次の人と入れ替わる研修医が妊娠・出産ということになれば、その女性研修医が派遣されてきた病院は、圧倒的な機能低下をきたすことになる。
 大学病院のように医者の数が多いところでなら、みんなで少しずつ協力していけばなんとかなる面もあるのだが(でも、仲間の研修医がひとり減るだけでもかなりキツイ)、一般病院や田舎の公立病院のように、もともとの医者の数がギリギリなところにとっては、例えば、4人の常勤の内科医が3人になったりしたら、たちまち大パニックになってしまう。しかも、研修医というのはだいたい、その病院の仕事のいちばんキツイ部分を割り当てられるものだし。
 誰か代わりの医者を派遣して、ゆっくり休ませてあげられる余裕があればいいのだが、現実には大学にだって、いつでも動かせるような余剰医師はゼロなのだ。

 女性の医師が子供を産むことを選択するというのは、けっこう大変なことだと思う。
 僕も「育児のため」ということで、ハードな職場を離れて比較的時間に余裕がある(ただ、「本人のやりがい」という面ではどうかな、と思う)職場に移った優秀な女性医師を何人か知っている。
 医者の仕事というのは、やれ研修だ、次は派遣病院だ、今度は研究だ、とやっていたら、あっという間に年をとっていくし、どこの職場でも「じゃあ、うちにいる間に子供を作っておいたらいいよ」なんて言ってくれはしない。
 「今はそんな時期じゃないだろう」なんて言っていたら、いつまで経っても「そんな時期」なんてやってこないに違いない。
 僕が同僚だとして、同僚の女性医師の妊娠を知らされたら、「おめでとう」という気持ちと同時に、「今よりもっと仕事が増えるのか…」と内心フリーズしてしまうだろう。

 もちろんこれは、医療業界に限った話ではないのだけれど、医者の場合、若いうちはとくにいろいろな病院や研究施設などを短期間で次から次へと異動させられるので、とくに深刻な問題なのだ。前述の院長の言葉ではないけれど、「20年勤続してくれる人なら、産休も仕方がないが、1年しかいないのに半年産休では割に合わない」という発想は、病院を経営していくという立場からは、けっして理不尽なものではないだろう。
 実際、地方病院の経営は、どこもギリギリなのだ。

 なら、「いっそのこと医者なんか辞めてしまえ」なんて言うのは簡単なことだが、もともと医師という職業を選んだ女性たちなのだから、「働きたい」という意識は高いし、「仕事を辞める」とか「ラクな職場に移る」という選択肢は、なかなか選びがたいのだろうな、とも思う。
 さりとて、「主夫」をやるような男性を伴侶としている女性医師は非常に少ないだろうし(いずれにしても、妊娠する役まで替わることはできない、今のところは)。

 結局、周りの都合ばかり優先して考えていくと、妊娠・出産という選択肢は選びにくいようになっているのだ。女性医師も、広末さんも。そういう意味では、「ワガママ」と取られても、結婚・妊娠・出産を選んだ広末さんの選択は、間違いではないのかもしれない、と思う。

今、広末さんがバカ正直に事務所に「結婚してもいいですか?」「子供産んでもいいですか?」なんて尋ねても、「今、仕事もいい調子だし、まだ早い!」と言われるに決まっているし。
 「既成事実を作ってしまう」という以上の解決法があるんですか?と問われたら、「事務所とよく話し合って…」なんていうのは、建前として正論ではあるが、実現までには、あまりに遠い道のりのような気がする。

広末さんの選択が正しかったのか(こんなことに「正しい」「正しくない」なんて、もともと無いのだろうけど)、それは、今後の彼女の人生が決めていくことなのだし。

 それにしても、「誰も不幸にせずに幸せになる」っていうのは、本当に難しいことだ。
 あの院長だって、スタッフに余裕があるか、もし誰かが産休をとってもいつでもサポートしてくれるような状況だったら、そんなこと言わない人なのかもしれないし。

 広末さんがいなくなっても、広末さんの穴を埋めたい女優さんはたくさんいるだろうけど(もちろん、その「存在感」においては、広末さん以上の人はなかなかいないかもしれないが)、「田舎の病院の研修医枠」の穴を埋めたい人なんて、そんなにいるわけないからなあ…