医者は「Dr.コトー」だけじゃない〜へき地医療の2つの現実


沖縄タイムスの記事に、こんなのがありました。

【西表島東部の県立八重山病院大原診療所の医師(54)が体調不良を理由に辞任していたことが三十日までにわかった。同病院は、後任の医師を県内外から探しているが、めどはたっていない。夏場は観光客も増え、医師を必要とするケースも多くなることから、後任の医師が決まるまで、同病院の医師を交代で大原診療所に派遣する。

 辞任した医師は長崎県内の病院を退職後、今年五月に県から同診療所に採用された。一人で診療にあたっていたが「昼の通常勤務に加え、夜中も起こされ、休むことができない。体力も落ちたので辞任したい」と、八重山病院に申し出た。辞表提出は二十八日付。

 那根元竹富町長は「東部地区は千人近い人口を抱え、観光客も多いので心配だ。町内では竹富町、黒島も無医地区となっていて、あらためて離島医療の難しさを感じる。人命にかかわることであり、早急に医師が配置されるよう県へ要請していきたい」と話した。

 八重山病院の伊江朝次院長は「後任着任は早くても一カ月後。診療所に二十四時間体制で勤務するのは体力的にも精神的にもきつい。県、病院、地域で離島の診療体制を守っていくことをしていかないといけない」と話した。】

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 昨日の昼間にテレビを観ていたら、大学の先輩が出ていました。
 そんなに仲の良い知りあいというわけじゃなくて、どこかで見たことがあるくらい、という人なのですが。
 それで、どうしてテレビに出ていたかというと、その先輩は、某県のとある島の診療所にこの春から赴任しており、常勤医として赴任しており、ローカル番組の「県内の有人の島」という特集の中で紹介されていたのです。
 この島の診療所は、数年間常勤医がいない状況だったのだとか。
「これで安心できます」という島のおばあちゃんの話が紹介されていました。

 この先生は、僕より何年か先輩で、ちょうど30代半ばくらい。綺麗な奥さんと一緒に取材を受けていて、「話をきいて、数週間くらい悩んだけれど、妻にもすすめられて」この話を受けたということ。奥さんの話では「前よりも時間に余裕ができて、勉強ができるようになった」そうです。
 余裕ができた時間に勉強するなんてすごいなあ、と僕は感心しっぱなし。

 それと「大学にいるときより、患者さんの話をゆっくり聞けるようになった」というコメントがありました。「患者さんとの距離が近い感じ」とも。

 まさにこの2つの話は、いわゆる「へき地医療の光と影」みたいなものだと思います。
 前者の先生ががへき地医療からすぐにリタイアしてしまったからといって、この先生はひどい医者だと言い切れない部分もありますし。
 もちろん、人にもよるのでしょうが、やっぱり、54歳という年齢は、新しい環境に順応するにはちょっと辛いでしょうしね。
 それに、医師という仕事の辛いところは、実際の就業時間が長いというのはもちろんなのですが、他の職業ではオフになっているはずの時間でも、いつ呼び出されるかわからない、という面もあるのです。
 当直とか「寝てるだけでたくさんお金もらえていいじゃない」なんて言われることがあるのですが、実際はいつ呼ばれるかわからないと眠りも浅いですし、疲れもとれません。

 「休み」のはずでも、完全に気持ちがオフにならないんですよね。
 僕は現在は研究室勤務なので(でも無給ですよ、念のため)ポケベルも持たずに映画やコンサートに行ったりできますが、臨床では、そんなイベントのチケットを買うこと自体が賭けだったりするのですよね。
 もっとも、基礎系には、臨床と比べて「ごまかしがきかない」面もあって、それはそれで辛い面もあるのですが。

 この沖縄の先生だって、自分なりの理想を持って赴任したのだと思います。
 でも現実はけっこう厳しかったみたい。
 田舎では、患者さんとの距離が近いというのはよく耳にしますし、僕自身の経験の中でも確かにそういう面があるとは思うのですが、それは、けっしてプラスな面だけではないのですよね。

 「先生、先生」と頼られる一方、あくまでも「よそ者」としての扱いを受けることもあるし、夜中にちょっとしたことで叩き起こされることもあるわけです。
 それは、お互いの信頼関係の証なのかもしれませんが、「子供が熱を出した」という理由で毎晩起こされたりしたら、やっぱり現実的には辛いですよ。
 実際は、「こんなことで起こさなくても…」と思うようなことだって、けっこうあるのではないでしょうか。
 診療所に住み込んでいたら、毎日当直しているようなものですし。

 ドラマに出てくるような急患が、毎晩毎晩来るわけじゃないけれど、「来るかもしれない」と頭の片隅にあるだけで、やっぱり心は休まりません。
 しかも、それが何ヶ月、何年も続くと想像したら…
 それでも、用事で1日診療所にいなかったときに、急病人でも出たら「先生は診療所にいてくれなかった」と島の人々に非難されてしまったりもするわけで。

 僕のように「他人との適度な距離を保ちたい人間」にとっては、やっぱり辛い仕事だと思うのです。診療所勤務って。

 先輩には綺麗で協力的な奥さんもいることですし、がんばってもらいたいなあ、と思ってはいるのですが。
 それにしても、あんまり経験不足だとひとりでの診療所勤務は辛いでしょうけど、やっぱり若いほうが(もしくは若いうちから)へき地医療には向いているのかなあ、とちょっと感じてしまいました。
 これだけ都会と田舎の情報格差が少なくなった時代ですから、もう「都落ち」みたいな心境では、へき地医療はやっていけないんでしょう。
 「へき地医療をやる」っていうのは、「大学で一生懸命はたらく」というのと同じくらいのモチベーションが必要なんでしょうね、きっと。

 実際問題としては、誰かのやる気に任せるよりは、何年かずつのローテーションでへき地医療への参画を義務化するとか、交代制にするとかにしたほうがいいのかな、とは思うんですけどね。

 しかし正直言うと、「患者さんの話をゆっくり聞く」というのは、ときに辛いこともあるんですよね。同じ話を繰り返されたり、不定愁訴が続いたりすると、本当に気が滅入ります。
 「忙しくて話が聞けない」というのは、ストレスである一方、そのおかげで助かっている部分もあるような気もします。
 仕事とはいえ、病気の話をずっと聞いているのも、けっこうキツイしねえ。

 結局人間なんてのは、忙しいと時間に余裕が欲しくなるし、人の話が聞けないと聞きたくなる。でも逆に、人の話を聞きすぎると、それはそれで疲れるし、距離を置きたくなる。

 どこにいても、自分の居場所はここじゃないんじゃないか、と感じてしまう生き物なのかもしれませんね。