「へき地医療」の理想と現実と未来
<参考リンク「医学生に僻地医療を問う」(「最北医学生の日常」より)>
僻地医療の危機、というのは、実は最近になって叫ばれだしたことではなくて、僕が医学部に入る前から、ひょっとしたら、「医者」という職業が誕生した時点からの問題なのかもしれません。
「医師」というのは、ある意味「技術者」ですから、技術を高めるために、情報や人が多いところに集まるのは必然なのです。
僕の経験からは、実は「僻地医療に関心のある、医学部受験者」というのはけっこう多いのではないかと思われるのですが。
実際、「人の役に立ちたい」ということならば、「交通の便が悪い、医者がいなくて困っているような地域の人々の力になる」というのは、わかりやすく役に立てますし(「代わりがいない」っていうのは、最も明らかな「必要とされている状態」なわけですから)、一時期、医学部の受験での面接において、「地域医療に貢献したい」という態度をみせると高得点だ、という噂も流れていましたし。
しかし、僕と一緒に大学の入試を受けた同級生は、意地悪な試験官に「みんなそういうんだよ、じゃあ、地域医療の問題点をキミは理解しているのかね?」と突っ込まれまくって、酷い目にあったそうですが。
さて、これらの「僻地」と呼ばれる地域での勤務なのですが、僕自身は、本当の僻地医療に携わったことはありません。
せいぜい、人口1万人くらいの町の中核病院での勤務くらいのもの。
でも、実際に僻地医療に携わった先生たちには、いろいろと悩みがあるみたいです。
(ちなみに、これらの先生たちは、自分の意思で僻地勤務を経験されたわけじゃなくて、大学のローテーションで派遣された人達で、勤務期間も1〜2年間です。年齢は、だいたい30歳前後くらい)
まず困ることが、ひとりの勤務だと、何でも自分でやらないといけない、ということ。
街中の病院では、骨折の人が来れば整形外科を紹介しますし、眼に異物が入れば、眼科を紹介します。内科のなかでも、神経内科とか循環器内科などのそれぞれの科に紹介することも多いのです。
でも、周りに専門医がいない僻地では、「自分でやるしかない」という自体が頻繁に出てきます。実際、自分の専門外の領域に手を出すことは、ものすごく怖いのです。
もちろん、紹介せざるを得ない場合だってあるわけですが。
そして、悩んだときに「相談したり、チェックしてくれる人がいない」というのは、医療という仕事においては、不安で仕方がない状況。
それに、検査機器も簡単なものしか置いてないことが多いです。大がかりな機械には維持費もかかりますし、それを動かすための技師さんも必要になります。さらに、それを使う頻度も少ない、ということであれば、やっぱり存在意義をみつけるのは難しいでしょう。
だから、都会では緊急で心臓カテーテル検査(プラス治療)が行われるような急性心筋梗塞でも、僻地では保存的に治療せざるを得ない場合もあるでしょうし、街の病院に搬送するとしても、搬送自体のリスクが高いし、時間もかかってしまう。
逆に言えば、のどかな田舎暮らしというのは、裏を返せば、いざとうときのリスクは高い、ということになりますね。
さて、次の問題は、医者としてのキャリアなのですが、若い医者にとっては、「僻地医療に携わった」というキャリアは、ほとんどプラスの評価にはなりません。
数年間、島のお年寄りたちと苦楽をともにするよりは、大学病院で論文の一本でも書くか、有名な病院で研修したほうが、医者の世界での評価は圧倒的に高くなります。
実際、僻地医療をやっていても、技術的なレベルアップは望めません(という発想自体が誤りで、ほんとうはプライマリ・ケアの技術や患者さんとのコミュニケーション技術において、プラスになるところはたくさんあるとは思うのだけれど)。
まあ、確かに若い時期に先輩医師から技術を吸収できない期間がある、というのは、デメリットも大きいのです。
では、ベテランの先生が僻地に行けばいいんじゃない?
そう思われる人もいると思います。
技術的には確かにその通りなのですが、僻地医療では、長時間の往診とか、夜間の急患とかで、体力が必要です。行った先生の話では、「急患なんてそんなにあるもんじゃないけれど、『何かあったら自分が呼ばれる状態』というのがずっと続いているというのは、やっぱり精神的にキツイ」ということでした。
ずっとオンコールってことですから…
それに、家族の問題もあります。「子供は田舎でノビノビと育てよう」とか割り切れる人はいいかもしれませんが、やっぱり偏差値的な勉強のレベルは低いでしょうし、習い事もさせられません。しかも、周りは高齢者が大多数で、地元意識の強い人ばかり。これでは、家族もけっこうキツイです。
僻地医療に携わっている医者の中には、結果的に、「単身赴任」している人も多いのです。
結局、若い人にも、ベテラン医師にも、それなりの問題がある、ということになります。
そうそう、悪い話ばっかりじゃあんまりだから、良い話も。
僻地と呼ばれるところには、「給料がすごく良いところがある」らしいです。
数年目かの研修医でも、月収100万オーバー+ボーナスつき、とかいう話も。
しかも、「僻地」と呼ばれるところは、基本的には暇です。
前述の先生たちも、午前中の外来が終わったら、診療所の窓から釣りをしていた、とか、料理に凝って、すっかり腕が上がってしまった、とか。
「僻地」とか言っても、今の日本ですから、電気と水道くらいはあるわけで。
そう考えれば、そういう「ラクで高収入!」な僻地に行きたがる医者(もちろん、どこでもそうだというわけじゃないけれど)が、けっこう沢山いてもおかしくないと思いませんか?
確かに、自分の病院の開業資金とか、留学資金のために僻地で「一稼ぎ」してくるなんて話もあるらしいし。
僻地医療の醍醐味というのは、「地域に密着して、地元の人々のかけがえのない存在として医療に従事できる」ということに尽きると思います。でも、医療の現場において、「自分の替わりがいない状態」っていうのは、すごいプレッシャーなのです。
そうそう、僕はけっこう、「地域医療実習」自体はいい考えだとは思うのです。
というのは、普段医学生たちが大学病院で接するのは、「大学で偉くなった先生」か「大学で偉くなろうとしている先生」なわけですよね。
そういうのとは違う「お医者さんの世界」というやつを見ておくのは、凄く大事なことなのではないかなあ、と。
医者の世界では、大学教授になる人より、一般開業医や勤務医になる人のほうが、はるかに多いわけですし。
たぶん、その場では「大変だなあ」としか感じないだろうし、すぐに僻地診療を志望する医者の数が目に見えて増えることはないだろうけれど、彼らが医者になって、何かに行き詰ったり、先端医療を追うことに疲れたときに、きっと僻地医療を志す人も出てくるのではないでしょうか。
全く知識がないと、選択肢にすら、なりえないわけですから。
でもね、本当に不思議な話なんですが、医者というのは、「ちょっと不便だけど比較的ラクで高収入」よりも「仕事が死ぬほどキツくて給料がものすごく安くても、世間的に名前が売れていて勉強になる職場」を選びたがる人々なのです。