「はやく元気になって」と「もとのようには元気になりません」
『話すチカラをつくる本』(山田ズーニー著・三笠書房)より。
【私たちはよく「はやく元気になって」と人を励まします。
私の母は心臓病で、長く入退院を繰り返していたことがあります。当時、若かった私は、自分にできることなら何でもして、1日もはやく、元通りの明るい元気な母にしてあげたいと願っていました。
「はやく元気になって」と母に言うのはもちろん、「元気になったらあれをしよう、これをしよう」とあらん限りの希望の言葉をかけました。「1日でもはやい回復を」と切に願う私の気持ちは、言葉だけでなく、表情や態度に、あふれ出ていました。
しかし、そんな励ましに、しだいに母は「迷惑かけてすまない」を繰り返すようになりました。母はどんどん悪化し、「はやく元気に」という私の努力は、空回りし、焦りや苛立ちへと変わっていきました。とうとう専門病院に移さなければならないまでになりました。
その移った病院で、母は回復の契機をつかんだのです。
それは、お医者さんのあまりにも意外な一言でした。「(心臓病になったのだから、治療しても)もとの(健康体の)ようには元気になりません」という言葉です。
母は、この言葉を大事に胸に抱き、ことあるごとに自分にもまわりにも、言い聞かせました。母は順調に回復し、以降、入院することもなく元気です。
私は母に希望の言葉だけをかけ、少しの暗さも見せまいとしていました。ところが、お医者さんの言葉は、それをだいなしにするものです。
なのになぜ? 母は、お医者さんの言葉で立ち直ったんでしょうか?
(中略)
母の退院からしばらくして、こんどは私が不治の病を宣告されたことがあります。後からそうではないとわかったものの、その時点ではショックでした。「一生薬を飲み続ければ、日常生活に支障はない」と言われても人生が暗転したようでした。
そのとき、私が人から言われて一番つらかった言葉が、「健康が一番」という言葉でした。「私の病気は、どうやっても治らない。人が一番大事だという健康はもう、私には永久に手に入らないのだ」という気持ちになり、「健康第一」と言われるたびに、周囲から切り離されるような痛みを覚えました。
そんな私に、仕事上でも、人生の師としても尊敬している先生から、1通の手紙が届きました。そこにはこうありました。
「不謹慎と思われるかもしれませんが、山田さんの病気、私は、お友だちが1人増えたような気がしています。これからは、山田さんと、病気と、私の3人で、しっかりと肩を組んで歩いていきましょう」
身体の芯からすべてが癒される気がしました。実際、数ヵ月後、別の病院で、その病気ではないことがわかりました。誤診だったのか、本当に癒えたのか。
私は、母に対して犯し続けていた間違いにやっと気づきました。
(中略)
再び私の母の話にもどって、「はやくよくなれ、はやくよくなれ」を突きつけていたころの私は、「お母さんは大好きだけれど、お母さんについた病気は忌まわしい、大嫌い」と言っているようなものでした。母はどんな気持ちだったでしょう。母と病気は切っても切れない。自分の一部を忌み嫌われたような寂しさを感じるか、はやく元気になろうとして焦り、元気になれない自分を責めたに違いありません。
「はやく元気になって」という言葉には、「元気でない状態はよくない」という価値観が無自覚のまま入り込んでしまいます。それが、すぐには元気になれない人を威圧する場合があることを、それから私も心して使うようになりました。
「もとのようには元気にならない」と言った医師の根底には、病気のある日常もまた自然のこと、と受け入れる価値観があります。だから母は安らぎを覚え、焦ることなく、病気のある日常に向き合えたのです。】
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この医師が、ズーニーさんが書いておられるところまで意識して「もとのようには元気になりません」とズーニーさんのお母さんに言ったのかどうかは、僕にはなんとも言えません。医者という職業上の経験から、「このくらいの年齢の人は、病気をひとつやふたつは抱えているのがむしろ『あたりまえ』なのだから」ということで、思わず口をついて出てしまった言葉なのかもしれないなあ、とも思います。でも、僕たちは、こういう「ネガティブな言葉」が、ときに患者さんをリラックスさせることがあるというのを知っています。
80歳、あるいは90歳を超えるような患者さんが「若い頃はこんなに身体が弱くなかったのに……」と外来で嘆いていらっしゃるとき、多くの医者は「頑張って若い頃のように元気になりましょうね」とは言いません。むしろ「年を重ねていくと、そうなるのが自然だからねえ……」というような返事をしがちなんですよね。その言葉の中には「だから、医療の力ではどうしようもないんだよ」というような予防線も含まれてはいるのですが。
もちろん、ここでズーニーさんが書かれているような「元気になりません」という言葉が奏効する例ばかりではないことは事実です。「治らない」「よくならない」という医者の言葉に先行きを悲観してしまい、死を選んでしまう人だっているのです。このケースだって、医者が「よくならない」と言った直後にお母さんの体調が悪くなるようなことがあれば、「医者が気落ちするようなことを言ったからだ」と考える人だって少なくないでしょう。命というのが二つとないものであるだけに、医療というのは「結果」でプロセスが判断されてしまう面があるのは致し方ないところではあるのですけど。
ただ、僕自身も病気の親に「やっぱり健康が一番だね。私は健康診断を忘れないように受けなくちゃ」というような話をして帰っていった親戚に非常に不愉快な思いをしたことがあったので、このズーニーさんの気持ちはよくわかります。人というのは、「病気の他人」に対して「元気な自分」の優越性をひけらかすような言葉を、無意識に発してしまいがちなんですよね、実際。あるいは、患者さん本人や医療者に向かって「なんで元気にならないんだ!」と息巻いてみせることによって、「自分がいかに、この患者のことを考えている素晴らしい人間であるか」をひけらかそうとしている人もいます。病気で苦しんでいる上に「元気にならないこと」に対して周囲からプレッシャーをかけられ続けるというのは、本人の立場になってみると、「病気とうまく付き合っていこうよ」と言われるよりも、はるかに辛いことなのではないでしょうか。癌のように「うまく付き合うというのは難しい病気」はあるとしても。
それでも、「誰からも構ってもらえない、心配してもらえない」よりは「はやく元気になって」と言ってもらえる状況のほうが、はるかに幸せではあるとは思うのですけど。
現代の高齢化社会というのは、70歳を超えているような「子供たち」が看病している姿も、そんなに珍しくなくなってきていますし。「看病している側の体調のほうが不安」な状況を目にするたびに「長生きっていうのも、良いことばっかりじゃないよなあ」と考えてしまうことがあるのも事実なのです。それでも、自分の大事な人には長く生きていてもらいたいというのも「本音」ではあるんですよね。