「別れた妻」と「看取った女」、それぞれの価値


夕刊フジの記事より。

30日に55歳で亡くなった大相撲の二子山親方。長く闘病生活を支え、最期を看取ったのは、内縁関係にあったとされる40代の女性だった。その献身ぶりを、親方の弟弟子で何度も病床を見舞った松ケ根親方(48)=元大関若島津=が語った。
 「本当によくやってくれたと思う。だから(二子山)親方もがんばれたんじゃないかな」

 松ケ根親方は病身の二子山親方を支え続けた女性をねぎらった。
 女性は「親方が入院していた6カ月間、毎日付き添って、肉親以上に身の回りの世話をしていた。親方に『ようがんばってる』と声をかけ、励ましていた」という。
 松ケ根親方は二子山親方が亡くなった5月30日も、亡くなる午後5時40分の1時間前まで病室を訪れていた。その際も女性が付き添っており、松ケ根親方は「最期を看取ったのは、勝さんと女性だと思う」と話す。
 ただし、長男の花田勝さん(34)=元三代目横綱若乃花=は31日の会見で、「病室に入った直後に、医者から残念ですと伝えられた」と語っており、実際に二子山親方の死に立ち会ったのは、この女性だけだった。
 二子山親方の死後、この女性は「何も話さず、ただ泣いているだけだった」という。
 関係者によれば、2人が出会ったのは名古屋場所が開催されていた平成15年7月。二子山親方は当時、元妻の憲子さんと年下医師の不倫騒動が発端で13年8月に正式離婚し、家事もままならない状態だった。
 紹介したのは武蔵川部屋の関係者とされ、交際が始まった時期は親方の体調悪化と前後する。
 名古屋在住のこの女性は、芸能人でいうと岡田奈々さんや沢口靖子さんに似た小柄の美人。40代前半で離婚歴があり、別れた夫との間には高校生と中学生の子供がいる。
 女性は同居の両親に子供を任せ、東京で1人暮らしする親方の身の回りの世話をしたり、地方場所にも付き添った。
 女性に肉親以上の強い信頼を寄せた二子山親方は昨年5月、二男の貴乃花親方(32)=元横綱貴乃花=が強い愛着を持っていた「藤島」名跡の年寄株を、貴乃花親方に相談することなく武双山に売却した。手にした1億5000万円ともされる現金は、この女性に“生前贈与”したとされる。
 直後の6月、二子山親方は自宅で吐血し緊急入院。口腔(こうくう)底がんであることが発覚し、以後、親方が亡くなるまで、女性は闘病生活を支え続けた。
 二子山親方は早くから女性の両親に結婚の意志を伝えていたが、がんを克服してからと考えるうちに、最終的には入籍にはいたらなかった。松ケ根親方も「病気がなかったら、2人は結婚していたと思う」と話す。
 松ケ根親方は「(女性は)よく親方の世話をしていた。周囲にも認められていた」と彼女を好意的にとらえている。一方で、勝さんと貴乃花親方が女性をどう思っているかについては、「それは花田家の問題なので…」と言葉を濁した。
 今週発売の週刊誌で貴乃花親方は、「親父を愛してくれた人だし、親父も愛した人だから、私だってそれなりに大事にしなければと思っていました。でも彼女も身内の話を看護婦さんに話したり、文句を言ったりするようになった」と不快感を表明している。
 だが、子供たちがどう考えようと、二子山親方と女性の内縁関係が認められれば、遺産相続でも妻と同等の権利が発生する。2つの年寄株や不動産など5億円は下らないとされる遺産の行方に、二子山親方の心のよりどころだった女性がからむことは必至だ。


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 ちょっと長い引用になってしまいましたが、現在ワイドショーを騒がせている花田家の確執。なんだか、周りが煽ることによって増幅してきているようで、僕などからすれば、放っておけばいいのに、なんて思わなくもないのですけど。

 どうして今回この記事を取り上げたのかというと、僕は医者という仕事をしてきて、人間というのは、「死にかた」とか「死の間際」というものに、こだわる生き物だよなあ、と感じさせられることが多くて、その一方で、そのことに、みんなが感じているほどの意味があるのだろうか?と考えることも多かったからなのです。

 この「女性」は、結局、2年にも満たない二子山親方との生活で、1億5千万円もの「遺産」を手にすることとなりました。もちろん、彼女は「遺産目当て」などではなかったのでしょうが、その一方で、30年もの長いあいだ結婚生活をともにしてきた憲子元夫人の慰謝料は、5千万円で、しかも、まだ完済されていないそうなのです。いくら「女性」が、献身的な看護をして親方を支えてきたとしても、「時間」という点だけから判断すれば、やっぱり不公平な印象は拭えません。他の身内からすれば、「弱ったところにつけこんで…」なんて、思ってもしょうがないかな、なんて考えてしまいます。

 ただ、医療関係者側からすれば、「死ぬ間際にいろいろと尽くしてくれた人」の評価は高くなりがちです。末期の癌などで死に向き合っている人間というのは、なにかとわがままになったり、感情的になったりすることもありますし、その「世話」というのは、現実的には、清潔でもなければ、格好よくもありません。だから、そういう「汚れ仕事」を心を尽くしてやってくれる人というのは、「立派だなあ」と考えてしまうのです。もっとも、僕たちには、その時間しか見えないので、遠くで働いていて全然顔を見せない身内などには、「冷たいよなあ」なんて、判断しがちなんですけど。

 【貴乃花親方は、「親父を愛してくれた人だし、親父も愛した人だから、私だってそれなりに大事にしなければと思っていました。でも彼女も身内の話を看護婦さんに話したり、文句を言ったりするようになった」と不快感を表明している。】

 というコメントを読んで、僕は、貴乃花親方は、きっと、自分の仕事で忙しくて、父親の病室に詰めて身の周りの世話をしたりすることはほとんど無かったのだろうな、と思いました。
 介護というのは本当に辛い仕事だし、誰からも褒めてもらえるわけでもなく、患者さんや身内の悪い面ばかり見えるようなこともあり、そんな状況に耐えかねて看護師に愚痴をこぼす人なんて、たくさんいるのです。でも、それは介護というのは、それをやる側にも、ものすごい精神的な負担を強いるものである、ということを考えれば、いたし方ないのではないでしょうか。
 それこそ、「奴隷」じゃないんだから、看護師さんに愚痴くらいこぼすだろうよ、と。

逆に、「身内」のはずの花田家の人々には、そんなことは言えなかったでしょうしね。ましてや、貴乃花親方にそんなことを言おうものなら、とんでもないことになりそうだし。

 僕は、だからといって、彼女の介護が1億5千万円の価値があって、憲子元夫人には5千万円の価値しかないかと言われたら、必ずしもそうではないと思うんですけどね。本当は「普通に生活しているときに支えてくれた人」の存在というのはものすごく大事だと思うし、憲子さんがいなければ、親方も、ここまでの栄光を手にすることはできなかったはずです。なんでも、「後出しは有利」なんて決めてしまってはいけないのだろうけど、いくら好きでも、自分の子供を実家に預けて親方の介護をつきっきりでするというのが正しいのかどうか、僕にはよくわからないのです。

 ただ、その「1億5千万円分の誠意」を、もっと早く憲子さんに向けていたらどうだったのか、とか、貴乃花親方も、週刊誌で「女性」を批判する前に、少しでも父親と向き合って、介護の一端でも体験していたらどうだったのか、とか、考えずにはいられません。
 それは、花田家のような栄光はないけれど、親の「子供」として30年以上も生きて、そういう別れを体験してきた僕自身の、自責の念でもあるのです。

意識がなくなってしまってから、一生懸命「介護」したり、亡くなってから美辞麗句を並べたりするくらいなら、相手が元気なときに、日常のなかで感謝の気持ちを伝えておけばよかったのに。