我々は福島事件で逮捕された産婦人科医の無実を信じ支援します。


 私も賛同します。(かなり遅れてしまって申し訳ないのですが)

 この福島事件というのはまったく他人事ではなくて、医療を生業とする人間にとっては、いつ自分が同じ立場になってしまってもおかしくない話なのです。プロセスをまともに検討しようとせず、「結果責任」で刑事事件の被告席に立たされるのはあんまりです。僕は北朝鮮に拉致されてしまった人たちを見るたびに、「この人たちは、自分の責任ではないところで人生をマイナスからはじめることになってしまって、どんなにがんばってもスタート地点にすらなかなかたどり着けない人生を送らされているのだ」と悲しくなってしまうのですが、この福島事件でいま罪を問われている医師は、まさにそれと同じ状況に置かれているのです。孤立無援の状態で、医者としての水準以上の知識と技能を振り絞って患者さんの命を救うために闘った人間の力が結果的に病気に及ばなかったからといって、その死の責任を問われるのはあまりに残酷です。そして、この医師の人生というのは、「この理不尽な裁判が無罪でようやくスタート地点に戻れる」、いや、さまざまな「風評被害」を考えれば、無罪であってすら、マイナスの状態からの再スタートになってしまう可能性が高いのです。ましてや、もし「有罪」にされてしまったら……
 この事件のことを考えるたびに、「では、途中で患者さんが亡くなるであろうことは承知の上で、『救急搬送』すべきだったのか?」と思ってしまいます。いや、たぶんそうしていれば、この医師は少なくとも逮捕されることはなかったのではないかという気がします。

 正直、僕はこの事件に関していままであまり積極的に発言することはありませんでした。こんなの許せない!という気持ちはあったのですが、その一方で、積極的に発言している医者ブログの人たちに感謝しながらも、ブログやサイトという公の場で発言することには、かなりの怖さがあったのです。最近はかなり医療問題の「第一線」からは身を引いて、お気楽に自分の書きたいことを書いてやっていければいいや、と考えていましたし。僕自身、『Doctor's Ink』の内容について、嫌がらせや中傷のメールをもらうことも多くて、「医者が医療問題について語ること」の難しさにかなり辟易してもいるのです。多くの人は、「医者が語っている」というだけで、「どうせ仲間を庇ってるんだろ!」というような印象を持ってしまうようなんですよね。いや、そういう偏見は実際僕のなか、これを読んでいる多くの人の中にもあって、「公務員」「政治家」「学校の先生」「マスコミ」そういう人たちの多くは、その職業に従事しているというだけで、むき出しの敵意を向けられたりもするのです。そして、多くの医療サイトで挙げられている「応援」の声のなかには、「2ちゃねらーもビックリ」するような、恫喝まがいのものや冷笑交じりにものもみられましたし、僕はそういう人たちと「共闘」していると思われるのは嫌だったのです。

 無礼な物言いであることは百も承知で言いますが、やはり、ブログのコメント欄にハンドルネームで支持を書き込むことと、自分のサイトやブログで支持を表明することと、職場や社会のなかで実名を出して、被告席に立たされている先生を支援することは違うと思います。もちろん、後者になればなるほど、支援する側にも「痛み」が伴いますし、「覚悟」が必要なのです。

 僕がいちばん自分を情けなく思ったのは、僕自身のこの問題に関する「事なかれ主義」でした。

 医療制度は崩壊してきているけれども、こうしてときどき「人柱」を差し出せば、まだしばらくはこの職業でそれなりに褒められたり叩かれたりしながらも食べていけるのではないか、あるいは、あの「被害者」の先生は「運が悪かった」けれども、自分がそんな貧乏クジを引く可能性はそんなにないはず、というような「楽観」が、僕の中にはまだまだ残されています。 「さわらぬ神にたたりなし」というか、「あの先生は運が悪かったねえ、かわいそうだねえ」というような反応が僕の周囲の医師のあいだでは「一般的」なんですよね実際。そして、彼らは「問題意識のない悪人」なのではなくて、単に「自分の仕事をこなすことに精一杯で、社会問題にまで手が回らない」人がほとんどです。

 でも、それでは結局何も変わらない。みんな「自分の順番」が次かもしれないのに、「生贄制度」を「今回は自分の番じゃないし、それで神の怒りが静まるならしょうがないじゃないか」と受け入れているようなものなのに。

 僕はこの「福島事件」に関しては、ネット上でマスコミを叩いて愚痴を言い、患者さんたちを恫喝するだけではなくて、これを機に「医者という職業の問題点を社会にアピールする」必要があると思うし、そのためには医者たちは、もっと患者さんや世間の人たちにわかりやすい言葉で語る必要があると考えています。「マスコミじゃないヤツに、メディアのことがわかるもんか」という言葉に僕が感じる反感と同種のものを「医者じゃない連中に、医療のことがわかるもんか」という言葉に世間の多くの人は反感を抱いているのです。
 残念ながら、多くの医者は自分の目の前の仕事に忙しすぎて、なかなか「医療全体の問題」に目を向けることはできません。僕だって同僚としてありがたい存在なのは、自分が当直中の21時に来た外科の患者さんを「勤務時間外だから」と診てくれない医者より、「ああいいですよ、僕の専門ですから任せてください」と気軽に診てくれる医者なんですよね。前者のほうが、「医者という職業の勤務環境の改善に積極的な人物」だとしても。

 そして、僕たちにとってもうひとつ大事なことは、とにかく、当たり前のことなのですが、目の前の患者さんをなるべく丁寧に診ていく、ということなのです。権利を主張するだけではなくて、僕たちにとっての「お客様」に、「日頃頑張っている『病気を治してくれる職業の人たち』を助けてあげたい」と思ってもらえるように。

 最後になりましたが、医者であるかどうか以前に、ひとりの人間がこんな冤罪で人生をマイナスから始めなければならなのは、本当に悲しいし、腹立たしいことです。たいしたことはできませんが、僕も自分の痛みを覚悟しつつ支援させていただきます。