Evidence−Based−Medicine(EBM)が抱える可能性と矛盾
<EBMとは>
EBMとは医療に際し経験や直感に頼らず、科学的な根拠に基づいて最適の医療・治療を選択し、実践する方法論であり、入手可能で最良の科学的根拠を把握したうえで、個々の患者に特有の臨床状況と価値観に配慮した医療を行うための行動指針と定義される。
1991年、EBMという言葉がカナダのDr.Guyattらにより医学雑誌で初めて用いられた。
<EBMの必要性>
これまで疾患の診断・治療には、病院、医師、地域、国によって種々の程度に差がみられている。その差が生じる原因として、
(1) 疾患の自然歴(何も治療しなかった場合の経過)や治療効果について、科学的に信頼できるデータが少ない。
(2) 信頼できるデータがあっても、複数の選択肢に優劣がつけられない。
(3) 選択肢の間の優劣は明確でも、個々の患者の価値観・意向が異なる。
(4) 医療の供給・支払いシステムが、特定の選択肢への誘引となっている。
(5)
文化・社会的規範が異なり、医療行為に独特の価値観が付与されている。
<EBMの医療に与える影響(効果)>
(1) 個人的経験や観察に基づく医療から、体系的に観察・収集されたデータに基づく医療へ変わる。
(2) 基礎医学的知識を臨床に応用する生物学的中心の考え方から、実際の患者から得られたデータを最重要視する姿勢への変化
(3) 新しい検査・治療法の有効性の評価に際し、従来の知識と技量を重視する徒弟制度的臨床では不十分で、文献検索のためのコンピューターの扱いの知識、原著論文の妥当性、信頼性を評価するための臨床疫学や生物統計学をマスターする必要性。
(4) 客観的なデータに基づかない、エキスパートの個人的経験や直感に依存した意見よりも、第3者によって客観的に評価されたデータを重視する。
<従来の医療活動とEBM>
これまでの医療活動は、臨床経験のなかで似たような患者を思い出して、それに準じた診断・治療が行われ、専門家や臨床経験の多い医師の助言が大きく影響している。EBMではそのような思考過程をとらず、過去の臨床経験を系統的かつ客観的に評価したうえで診療に応用する。
<Evidence x(診療・治療の根拠となる資料)の収集>
1)コンピュータ
2)テキストブック(いわゆる「教科書」)
3)医学雑誌(ただし、すべてが100%信頼できる情報とは限らない)
4)医学中央雑誌、MEDLINEなどの文献データベース
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というような、かなり専門的かつ難しそうな話を延々と書いてしまいました。すみません。
で、何が言いたいかというと、最近は医学の世界でも「経験に基づいた医療」から、「データを総合的に分析した医療」への転換が叫ばれている、とうことなんです。
これをつきつめれば、どんな患者さんでも、データさえ揃っていれば、それをコンピューターで分析して最適な医療を導き出すことができるということになります。
つまり、一年目の研修医でも、ベテラン医師でも、治療に関して完全に同じ答えが出る、ということになるんですよね。
今までは、指導医が「前にこんな患者さんを診たときはこうだった」という経験論が医者の世界の大きな原則のひとつであり、そのために「徒弟制度」と言われるような医師養成システムができていたわけなのですが。
このシステムができれば、救急時の対応などは難しいかもしれませんが、下手したら「誰でも医者になれる」時代が来るかもしれません。
さて、このEBM、いいコトずくめのシステムのような感じなのですが、問題点もあるのです。
先日僕が行った学会で、ある議論が行われていました。
ある先生の癌の治療についての発表に、アメリカから来られていたコメンテーターの先生が意見を述べました。
「その研究は、症例数が足りないし、なんといっても、『前向き研究』ではないじゃないか」と。
それに対して、日本代表(?)の先生が、「われわれには何千、何万の経験があるし、その経験が根拠だ!」と反論したのです。
自然科学の統計学的検討には、大きく分けて『前向き研究』と『後ろ向き研究』というのがあります。
『後ろ向き研究』というのは、現在から逆算して過去の症例を集めて統計をとるものです。
たとえば、胃癌の患者さんを過去のカルテから100人ピックアップして、それぞれの人の治療内容と予後の相関を調べる、というような方法。
それに対して、『前向き研究』というのは、現在から病院を受診される胃癌の患者さんを「手術をした場合」と「しなかった場合」の2群にランダムに分けて、結果がわからない状態から、ずっと経過を追って統計をとっていく、というものです。
『後ろ向き』の場合は、結果が出てしまっている状況なので、どうしても先入観が入ってしまいやすい、という弱点があるのです。
学会的には、圧倒的に『前向き』のほうが評価されます。
まあ、それを比較するために条件を揃えたものですから、当然ではあるのですが。
しかし、ここには大きな落とし穴があるのです。
そのアメリカの先生が指摘されたのは、「早期癌の治療について」という内容に対して「あなたの発表では、『治療をしなかった場合はどうだったのか?』というデータが無い」という点でした。
確かに、「早期癌を治療すると、治療しない場合に比べて予後は良くなるのか?」と問われた場合に、日本には、それを大規模に比較した「前向き研究」がないのです。
まあ、よく考えてみたらそれもそのはずで、「あなたは早期癌ですけど、医学の進歩と人類の今後のために、治療する組かしない組かのどちらか一方にランダムで入ってください」と頼まれたら、たいがいの人は、「絶対イヤ、治療する!」と言うのではないでしょうか?
経験上は、早期癌は治療したほうが予後がいい、と僕も思うのですが、確かに、それはあくまでも経験論、でしかないわけで。
でも、少なくとも今の日本の医療の状況では、「早期癌の治療をしたほうがいいかどうかの前向き研究」なんてのに参加する酔狂な人はいないでしょう。
アメリカでは、けっこうボランティア(もしくは医療を受けるお金が無い人)がいるらしいのですが。
僕たち医療サイドでも、「今後の人類のために」という名目で、今、目の前にいる人の早期癌を「統計的なデータの蓄積のひとつ」にしてしまうのは忍びないのです。
「治療してもしなくても一緒」という統計的な結果が出る可能性がゼロじゃなくても。
というわけで、日本では、EBMの早期実現は、なかなか難しいでしょう。
データの蓄積は医学や人類のためには有益かもしれないけれど、そのためには、言葉は悪いですが「実験材料」が必要となってしまうわけです。