『Dr.コトー診療所』を診療してみました(1)



 吉岡秀隆、こういうのはハマリ役なんだなあ、と思いながら観ました、このドラマ。

 いやまあ、細かいツッコミどころは満載で、「そんな僻地医療に従事するんだったら(しかも、救急医療を志すんだったら)、車の免許くらい持っとけよ」とか、星野さん、そんな来るなり「あんたもすぐどっか行っちゃうに決まってる!」とか因縁つけられたらタマラナイってば、とか、いくら島の医者が信用できないからって、みんな薬くらいはもらいに来るだろうから、患者ゼロはないんじゃないか、とか、いろいろあったんだけど。

 でもなあ、いろいろ身につまされる話もあったのですよね、これ。

 「来てくれる医者がいなくて、やっと来た医者は、すぐ本土に帰ったり、酒びたりになったり。台湾人の先生にも来てもらったこともあったけど、言葉が通じなくてダメだった。

 こんなに日本に医者がたくさんいるのに、どうしてココには来てくれないの?」

 なんだか、「ごめんよ…」と思っちゃったよ、僕は。

 それに、「医者が来てくれてよかった」と喜ぶ人ばかりじゃなくて、死亡診断書を書くことを期待されてしまっていたり、「島の人達は、ちゃんとした医療を受けたいときは、手遅れになるのを承知で本土の病院へ行く」なんていうのもリアルな話で。

 離島にまで、「大病院志向」があるんだなあ、などとあらためて思い知らされたり。

 今のところ、医者の世界では、「離島に行く」なんていうのは、まさしく「都落ち」という印象を持たれてしまうんですが、逆に、「患者さんを治療する」ということでは、離島でも都会の大病院でも同じなんですよね。

 だから、どっちが偉いとか、そういう問題ではないような気はするのです。

 それでも、ああいう診療所での仕事は大変だと思う。自分に何かあったときに替わりはいないわけですし。街であれば、自分の専門外のことは他の病院を紹介すればいいし、検査もいろいろできるけれど、「たいした症状ではないけれど、ちょっと心配」くらいのときに、果たして、船で6時間もかかる本土の病院に紹介するべきなのかどうか?というのはすごく悩ましいと思います。たいしたことなかったら…って考えてしまうし。

 このドラマのロケに使われている、与那国島の自然は素晴らしくて、番組のHPにも「一度行ってみたい!」という書き込みが満載みたいです。

でも、僻地というのは、必ずしも、のどかで美しい自然に囲まれて、というだけじゃないんですよね。

街中なら助かるはずの病気で死ぬかもしれない、というリスクもあるわけです。

そういう意味では、都会より危険な面もあるのです。

それにしても、あの船での手術はすごいなあ。

それこそ「ブラックジャック」じゃあるまいし、そんな状況で(しかも、懐中電灯の光で)手術をするなんて、ちょっと信じがたい話なんですが。清潔操作は大丈夫なんだろうか…

 それでも、僕は内科医なので、ああいう手術という手段を持っている外科の先生は、羨ましく思ったりもするんです。

 しかし、いくらなんでも、第2回、あそこで大動脈瘤の手術はないんじゃないかなあ…

 いや、100歩譲ってコトー先生が天才でも、あの設備に、手術の介助に慣れていないスタッフという状況、いったい、術後管理はどうするんだろう?

 実は、医者の仕事というのは、手術が終わっても、その後の全身管理がすごく大変なんですよね、実際は。

 ところで、たぶんこのドラマの中では、コトー先生は、さまざまな試練を乗り越えて行くことになると思うのですが、本当は、離島で働く医者にとって一番の敵は、アクシデントよりも「同じことの繰り返し」と「退屈」だと思うのです。

 周りに比較すべき医者がいない状態でのこういう「平凡な生活」というのが、それこそ「酒びたり」になってしまう原因なのではないかなあ、と。

 まあ、そんなのを描いてもドラマにはならないに決まっているのですが。

 看護師さんも、柴咲コウじゃなくて、普通のおばさんだったりするだろうし。

 (というか、あんなに口と態度が悪い看護師も、それはそれで問題だと思うけどさ)

 とか言いつつも、これはけっこういいドラマになりそうな予感。