「せめて、人間らしく」と言われても……


参考リンク:「患者様」に腹立たしさ(YOMIURI ONLINE


 僕自身は、「○○様」というふうに、患者さんに呼びかけることはまずありません。なんだかよそよそしいというか、あまりに「サービス業的」な感じになってしまうので。

 その代わりに、患者さんと話をするときには、なるべく、言葉の端々にまで気をつけているつもりです。まあ、あくまでも「つもり」でしかないし、医療の現場というのはものすごくプライベートな問題などがかかわってきますし、例えば、糖尿病で減量の必要な患者さんに「食事と運動で体重を減らしましょうね」と話しても、「太っていると言われて傷ついた」と相手は感じていることだってあるわけで。癌の告知なんていうのは、どんなに慎重に話したとしても、やっぱりそれを聞かされる側は、傷つくことだって多いのだと思います。そういうのは病院の宿命だということはわかっているし、人は、ディズニーランドのアトラクションに並んでいるときと同じ気持ちで、病院の待合室にいるわけではないというのは、頭では理解しているつもりなのですが。
 しかし、ある意味僕たちの側も、「先生」って呼びさえすれば、どんな無理難題を吹っかけてもいいって思われているのでは…なんて悲しくなることもあるんですよね。
 この参考リンクの記事を読んでいて思うのは、「医者というのは、つくづく買いかぶられている仕事なのだなあ」ということです。

つい先日も、西日本に住む乳がん患者(46)から相談の電話を受けた。全身転移を防ぐための術後治療の選択に悩んでいるが、主治医は「○○が標準治療」と機械的に告げるだけだという。予後の悪いタイプだったため、より強い治療法がいいのではないかと不安だが、医師はそんな気持ちを酌んでくれない。彼女は「納得いく選択ができるよう話がしたい。人間らしい対応を望んでいるだけなのに……」と訴える。「セカンドオピニオンを取りたいが、主治医の気分を損ねるのが怖い」といった相談も多い。医師側の態度がこれでは、「様」をつけて呼ばれても、バカにされているとしか思えない。

 医者側の立場からすれば、「そういう疑問があれば、言ってくれたらいいのに…」と感じるのです。こういう言い方は誤解を招くのかもしれませんが、医者の仕事というのは、基本的には、「ある病気に対して、最も患者さんにメリットのある選択肢を提示し、それを忠実に遂行すること」なのですよね。ですから、「○○が標準治療」というふうな説明そのものは、単なる「客観的な事実」なわけです。そして、言葉にはされなかったのかもしれませんが(そして、その「言葉にしなかった」ということが最大の問題なのでしょうが)、その言葉が選ばれる前には、「より強力な化学療法を行っても、副作用が酷くなるばかりで、予後には大きな変わりはないかから…」というような思考の過程があるのです。
 いや正直、「より強い治療法がいいのではないかと不安で尋ねてみたのだが、医者は全く話を聞いてくれないし、説明もしてくれない」のであれば、それはもう、その「非人間的な」医者は責められて然るべきだと思うけれども、「不安だが、気持ちを酌んでくれない(察してくれない)」と言われては、そこまで望まれても……と戸惑うばかりで。
 内心はどうあれ、表面上、黙って「そうですか」と聞かれていたら、「納得してくれているんだな」と思い込んでしまうのは、「非人間的な対応」なのでしょうか……次から次へと患者さんが押し寄せてくる外来などで、そんな「心の奥底を読む」ことまで望まれても……
 人間対人間のコミュニケーションって、常に、そのくらいの「噛み合わせの悪さ」があるもので、結局のところ、「言わなければ伝わらないこと」が多いのではないかと思います。

ファミレスだって、「お客様」に「なんでこの店は、私が食べたいと思った料理を酌んで持ってきてくれないんだ!」「この店は、注文しないと料理が出てこないのか!」って怒られたら、それはいくらなんでも…という雰囲気になりますよね、きっと。どんな優秀なコックがいて、材料が揃っていても、それでは宝の持ち腐れです。

メディアで叩かれているように、ごく一部には「とんでもない医者」もいるのは否定しませんが、大部分の医者は、自分の仕事に誠実で、患者さんのよりよい治療を行いたいと考えています。同じ人間として、「重症の患者さんが抱いている悩みや迷い」も、理解できると思います。だって、医者やその家族だって、永遠に健康なわけがないのですから。
 でも、相手が身内や友達であってさえ、「言わなければ伝わらない」ことってあるじゃないですか、やっぱり。
 より良い人間関係をつくっていくためには、患者さんの側からも、アプローチをお願いしたいと僕は考えているのです。ここに出てくる「人間らしくない医者」というのは、実はごく普通に「人間らしい医者」なんですよね、たぶん。そして、ニュータイプではない僕も、そういう人間なのです。
 もちろん、医者側も「質問しやすい雰囲気」をつくっていくことが大切だと思います(と書くのは簡単なんですけど、それがまた難しいことではあるんですけどね)。

ただ、それこそ「命にかかわること」なのだから、自分の身は自分で守るつもりで、積極的にわからないこと、疑問なことは、尋ねてみていただきたいと思うのです。心に秘めているだけでは、なかなか伝わらないから。

「非人間的だ」なんて決め付けるのは、話しかけてみてからでも、遅くないはず。
 話してみれば、医者なんてみんな、「普通の人」ですよ。