第79夜 アタッチNo.1! 「デゼニランド」


 今から20年前のハドソンといえば、「粗製濫造」の代名詞のようなメーカーだったのです。

 そのハドソンが、社運を賭けて(だと思う)開発した、当時流行のアドベンチャーゲームが、この「デゼニランド」でした。

 パッケージには、「オールマシン語による高速画面表示!」「総画面数100画面以上!」なんて、単語が並んでいるのですが、たぶん、今のゲーム少年たちがこれを読んでも、全然意味不明だと思われます。

 当時のマイコンのアドベンチャーゲームは、「いかに画面を速く表示するか」と「画面数(場面数、と言い換えてもいいかな)の多さとグラフィックの美しさ」が、何よりの評価基準だったのです。

 「ミュージアム」では何度も書いているんですが、「昔のアドベンチャーゲームは、画面が描かれるのをプレイヤーは何分も(ヘタしたら、10分くらい)待たなくてはいけなかった」なんて、今のゲーマーには信じてもらえませんよね。

 ひどいのは、PSET(BASICのコマンドのひとつ)で点を1個ずつ打ってたもんなあ…

 ちなみに、「デゼニランド」は「オールマシン語」(当時のマイコンとしては、一番処理速度の速い言語)で書かれていたのですが、それでも、僕たちは画面切り替えごとに、線を引いたり色を塗ったりするプロセスを見なければなりませんでした。

 しかし、「デゼニランド」は、そんな中では、確かに画面切り替えは速かったほうだと思います。

 そして、「デゼニランド」のもう一つの特徴は、入力方式。

当時のアドベンチャーゲームではごく一般的なのですが、このゲームは英語の単語を「動詞」プラス「名詞」で入力していきます。

たとえば「OPEN DOOR」のように。「鍵を使ってドアを開ける」というのは、

「OPEN DOOR KEY」というように、最後に使うアイテムの単語を入れるのです。

 この入力方式(日本語の単語を入力するものもあり)は、「オホーツクに消ゆ!」で堀井雄二氏がコマンド選択をメジャーにするまで、日本のマイコンアドベンチャーゲームの主流でした。そして、「アドベンチャーゲームは言葉探しゲーム」とまで呼ばれるようになるのです。

 その一方、ゲームの数にもお金にも餓えていたユーザーの中には、「コマンド選択方式なんて、速く解けすぎてもったいない」なんて人もけっこう多かった時代なのですが。

 さて、本題に戻って「デゼニランド」の話。このアドベンチャーゲームは、ある大富豪が埼玉県に造ったテーマパーク「デゼニランド」の中に隠した秘宝「三月磨臼」(ミツキマウス)をさまざまなアトラクションを巡りながら探し出す、というストーリー。

 まあ、でかい「ミステリーハウス(日本版)」のようなもの。

 デゼニランドの中は、5つのアトラクション(「瀬戸内海の海賊」「ジャングルクローズ」「ホラマンション」「スペースリバー」「梅下館」)に分かれていて、プレイヤーは、これを次々と巡っていくことになります。

 まあ、現実問題としては、紙芝居のように勝手にストーリーが進むだけの「スペースリバー」を除けば、あまりの難易度に「次々と進む」なんてことはありえないのですが。

 さて、このゲームの最大の記憶といえば、なんといっても「言葉探し」

 やることの内容は合っていても、それをやるための単語が作者の設定したものと合っていなければ、クリアーできないのです。

 たとえば、「鍵を取る」という場面で、作者が設定したのが「TAKE KEY」だけであれば、「GET KEY」ではダメ、ということなのです。

 もちろん、ある程度融通が利くように創られている場面もあるのですが、このゲームで一番有名だったのが、棺桶に十字架を「はめる」シーン。

 僕も死ぬほど悩みました。

 入力が英語ですから、小学生だった僕は、和英辞典でやりたいことの単語を調べて、片っ端から入力していったものです。

 そして、このゲームでは動詞だけ入れると、使えない単語では「ココデハ ○○ デキマセン」という反応が返ってきて、ゲーム中で使える単語だと「ナニヲ ○○ スルノデスカ?」という反応が返ってきます。

 後者が出ると、「これは使える単語なんだ!」と一生懸命メモしていったものです。

 それでも、一日かけて一画面も先に進めないことなんて、しょっちゅうだったのですが。

 ちなみに、先ほど書いた「十字架をはめる」は、「SET CROSS」でも

「PUT CROSS」でもなくて、「ATTACH CROSS」と入力しないと先に進めません。

 そんなの思いつかねえよ!と当時のゲーマーたちは、涙を流したものです。

 今みたいに、すぐにネット上に答えがアップロードされる時代じゃなかったから、ほんとうに解けない謎は、どうしようもなかったんですよ、当時は。

 まあ、解けたときの喜びは、それこそ今の何百倍だったけど…

 このゲーム、トリックも不条理なものが多くって、絵を暖炉に投げつけると爆発して通路ができたり、柱を磨かないといけなかったりで、かなりクリアするのは大変だった記憶があります。

 いや、実は僕もクリアしてないんだけど。

 でも、当時のゲーマーは、ほとんどの人が一度はやったことがあったんじゃないでしょうか、この「デゼニランド」を。

 それにしても、あのデ●ズニーが、当時は何も言わなかったんでしょうか?

 

 このゲームでもうひとつ覚えているのは、当時、「マイコンBASICマガジン」という雑誌に、山下章という人が「チャレンジ・アドベンチャーゲーム」という連載記事を書いていて、その中で、このゲームが大々的に取り上げられていたことです。

 この記事は、それまで禁じ手だった「アドベンチャーゲームのストーリーを紹介し、画面写真を載せる(もちろん全部ではないけれど)」という画期的なものでした。

 「ハドソンのアドベンチャーゲーム?」と懐疑的だった僕は、その記事を読んで、安心してこのゲームを買った記憶があります。

 あの連載、毎月本当に楽しみだったんだよなあ、なんだか読んでると自分でゲームをやっているような気分になって。

 山下さん、今頃、どうしてるんだろうなあ…



 謝辞:今回は、こちらのサイト(Mental Sketch~心象風景)のコンテンツ「懐ゲー攻略」中の「デゼニランド攻略」を参考にさせていただきました。ありがとうございました。